ザ・ローリング・ストーンズ(2003年3月15日)のサウンドを支え続けてきたドラマーである、チャーリー・ワッツ(2001年10月31日、2003年3月15日)の訃報が届いた。享年80、ロンドンの病院で亡くなったようだ。健康のため(喉頭癌と伝えられたこともあったか)、ツアーには参加せずというニュースは何度も届いており、それも高齢ゆえ致し方ないのかと思っていたが。

 彼には、対面で一度インタヴューする機会を得た。1990年代上半期だったか。自己バンドを率いて来日した際のこと。そのときの回答を大雑把に要約すると、<オレはジャズ・ドラマー。ストーンズもジャズだと思って叩いている>。彼は西海岸プログ・ジャズのドラマー/バンド・リーダーであったチコ・ハミルトンのことが大好きだったが、あのときはけっこうスウィング・ジャズにも言及したような。実際に会ったワッツさんは、実年齢よりかなり上に感じた。温厚寡黙な人ながらある種の含みを接する者に与え、やはり正の変人臭はどこか出ていたと思う。

 ビル・ワイマンが抜けたのち、ダリル・ジョーンズ(2003年3月13日、2003年3月15日、2013年3月8日、2017年4月8日)がその後を埋めた。そして、キース・リチャーズ流れで、ワイマンの後釜としてスティーヴ・ジョーダン(2005年11月13日、2006年11月20日、2006年12月22日、2010年10月26日)やチャーリー・ドレイトン(2018年11月22日)がストーンズで叩くのではないかとも言われている。

 ロックをロックたらしめるザ・ローリング・ストーンズの屋台骨を支え続けた、唯一無二のドラマー。どうぞ、やすらかに。これまでも、そして今後も、ぼくはあなたの演奏を聞き続けます。

▶過去の、ザ・ローリング・ストーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日(バック・バンド)。15日
https://43142.diarynote.jp/201904200941516964/ ストーンズ展
▶︎過去の、チャーリー・ワッツ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
▶過去の、ダリル・ジョーンズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 13日、バーナード・ファウラー他のセッション。15日、ストーンズ
http://43142.diarynote.jp/201303110415585115/
https://43142.diarynote.jp/201704130838405526/
▶過去の、スティーヴ・ジョーダン
http://43142.diarynote.jp/200511130413390000/
http://43142.diarynote.jp/200611221236140000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20061222
http://43142.diarynote.jp/201010301012548114/
▶︎過去の、チャーリー・ドレイトン
https://43142.diarynote.jp/201811251043143983/

<今日の、雨のち薄曇り>
 あの娘の好きな、チャーリー・ワッツ……。RCサクセション(2005年7月29日)の「エリーゼのために」の終盤には、忌野清志郎(2004年10月19日)によってそう歌われる。もう不埒極まりなくて、ぼくが大好きな曲。昨年だかミュージック・マガジン誌で<RCサクセション/忌野清志郎の100曲>みたいな特集の際、30曲をリストするアンケートに答えたが、ぼくは迷わず「エリーゼのために」を第1位に入れた。
 話は飛ぶが、ぼくは学生時代に一番やっていたバンドはストーンズぽいことをする5人組で、ゆえにストーンズのバンド・サウンドの妙を肌で感じていると自負している。実はそのストーンズ・バンドの際、ドラマーはジャズ研でマジにジャズをやっている奴を入れた。その彼(そのあき君という名前だったかな。苗字は忘れた。彼の発言でよく覚えているのは、ネイティヴ・サンの村上寛のドラミングは素人としか思えねえ)を引き入れたのは高校時代の友人であるリーダー格のヴォーカリストだったが、それはワッツの属性を知っていたからだった。メンバー中一番真面目だったそのあきくん、なんか妙で絶対にチャーリー・ワッツのように叩けないと言っていたな。うーむ、どこかにそのバンドのライヴや練習スタジオの録音テープが残っていないかしら。オレのオリジナルをやっていたバンドのそれは間違いなくあるんだけど……。ぼくはそのストーンズ系バンドではベースを弾いていたが、ビル・ワイマンはピック弾きをしていたものの普通に指弾きでことに当たった。なんか、ウィリー・ウィークス(2006年11月20日、2019年5月7日)やカール・レイドルが大好きだった者としては、ピック弾きをするのは恥ずかしかった。1976年曲「ヘイ・ネグリータ」のようなアッパーな曲の場合、控えめにスラッピングや引っ掛けもしていたしな。今となってみれば、かなりワイマンからは離れる音を出していたと思うがメンバーは誰も文句を言わなかったなー。実は最近、小さめのベース・アンプを購入〜こういう場合、ほんとネット・ショッピングって便利だな〜、ときどきブリブリ弾いている。オレ、こんなに下手だっけ? 少しヘコんでいるが、それはぼくの音楽素養が上がっているためだと思うことにしよう。しかし、バッドな弾き手だぁ、泣。
▶過去の、忌野清志郎/RCサクセション
http://43142.diarynote.jp/200410240628530000/
http://43142.diarynote.jp/200508042335560000/
▶︎過去の、ウィリー・ウィークス
https://43142.diarynote.jp/200611221236140000/
https://43142.diarynote.jp/201905080904334080/

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