映画「夢のアンデス」
2021年8月18日 音楽 渋谷・映画美学校試写室で、2019年チリ/フランス映画「夢のアンデス」(原題:The Cordillera of Dreams)を見る。ドキュメンタリー作品で、脚本を書き監督をしているのはパトリシオ・グスマン。1941年生まれで、マドリードの映画学校で学んでいたりもする彼は、1973年の裏に米国ありの軍クーデターを境にパリに居住し、<私とチリ>を語る映画をいろいろ撮ってきているようだ。そして、これはそうした流れにある3部作の3作目になるよう。原表題は英語だが、使われる言葉はスペイン語だ。
冒頭のほう首都のサンチアゴ(すごい都会。とても繁栄しているように見える)と、(その奥に広がる)アンデス山脈の雄大な空撮風景が映し出される。ナレーションは監督自身がしているようで、アンデス山脈こそはチリ悠久の歴史を背負う母なる事象であることが語られる。その自然を活用した彫刻家たちの発言や作業も紹介される。当面、そうした流れが続き、おおこれはものすごく含みを残した、原点回帰的視点を持つチリ讃歌作なのかと思いきや、途中から件のクーデターおよび、そこから生まれた米国傀儡政権の恐怖政治の様を語る部分が出てきて、手触りが変わる。同国の作家、カメラマン、火山学者などの発言も紹介され、とくに1980年代以降サンチアゴでの為政者側と市民の衝突を収めたそのカメラマンの映像も使われる。
ぼくはチリというとあまりに細長い国土の在りように興味が向き、そこにある地域性の違いはどーなっているのだろうとすぐに思ってしまうが、なんとチリは1962年にサッカーのワールド・カップを行っていたのか。会場の一つとなったサンチアゴの大きなスタジアムにはクーデター時にたくさんの逮捕者がそこに幽閉されたことも伝え、またクーデターの際にビクトル・ハラが惨殺されたと聞いて泣いてしまったという女性の発言も紹介される(その方の肩書きは見逃した)。そして、そうした生々しい軋轢を扱った末に、再び映像はアンデスの空撮映像に戻っていく。何となく、ホっとできる流れであり、技ありだな。
しかし、この時期にこんな内容に触れると、米国“ならず者”政権の狼藉で数奇な運命を辿っているアフガニスタンの今に思いは向いてしまう。ああ。
<今日の、アフター>
緊急事態宣言につきずっとバーを閉めている店主を呼び出し、15時前から店を開けてもらい、貸切で飲む。わあ、家では基本飲みたくならない人間なので、半月以上ぶりの飲酒だぁ。くいくいくい。ぐいぐいぐい。お酒はおいしいなあ。お酒の場は楽しいなあ。
冒頭のほう首都のサンチアゴ(すごい都会。とても繁栄しているように見える)と、(その奥に広がる)アンデス山脈の雄大な空撮風景が映し出される。ナレーションは監督自身がしているようで、アンデス山脈こそはチリ悠久の歴史を背負う母なる事象であることが語られる。その自然を活用した彫刻家たちの発言や作業も紹介される。当面、そうした流れが続き、おおこれはものすごく含みを残した、原点回帰的視点を持つチリ讃歌作なのかと思いきや、途中から件のクーデターおよび、そこから生まれた米国傀儡政権の恐怖政治の様を語る部分が出てきて、手触りが変わる。同国の作家、カメラマン、火山学者などの発言も紹介され、とくに1980年代以降サンチアゴでの為政者側と市民の衝突を収めたそのカメラマンの映像も使われる。
ぼくはチリというとあまりに細長い国土の在りように興味が向き、そこにある地域性の違いはどーなっているのだろうとすぐに思ってしまうが、なんとチリは1962年にサッカーのワールド・カップを行っていたのか。会場の一つとなったサンチアゴの大きなスタジアムにはクーデター時にたくさんの逮捕者がそこに幽閉されたことも伝え、またクーデターの際にビクトル・ハラが惨殺されたと聞いて泣いてしまったという女性の発言も紹介される(その方の肩書きは見逃した)。そして、そうした生々しい軋轢を扱った末に、再び映像はアンデスの空撮映像に戻っていく。何となく、ホっとできる流れであり、技ありだな。
しかし、この時期にこんな内容に触れると、米国“ならず者”政権の狼藉で数奇な運命を辿っているアフガニスタンの今に思いは向いてしまう。ああ。
<今日の、アフター>
緊急事態宣言につきずっとバーを閉めている店主を呼び出し、15時前から店を開けてもらい、貸切で飲む。わあ、家では基本飲みたくならない人間なので、半月以上ぶりの飲酒だぁ。くいくいくい。ぐいぐいぐい。お酒はおいしいなあ。お酒の場は楽しいなあ。
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