映画「ザ・パブリック・イメージ・イズ・ロットン」。
2021年6月22日 音楽 セックス・ピストルズ→パブリック・イメージ・リミテッド(PIL)のフロント・マンの半生を扱う2017年英国映画「ザ・パブリック・イメージ・イズ・ロットン」(原題:The Public Image is Rotten)をオン・ライン試写で見る。グループ名と旧芸名(ジョニー・ロットン)の姓を用いた表題はうまいな。8月中旬から、公開される。
1976年のデビューであり、何より本人が元気なだけに、いかようでも、というところはあったか。監督はスケード・ボード好きでベーシストをしていたこともあったメキシコ出身のタバート・フィーラーで、これがデビュー作となるよう。
複数にわたる自宅でのジョン・ライドンへのインタヴュー映像を柱に、いろんな周辺の人たちの取材マテリアルも用い、とうぜん写真や映像もいろいろ。PILの日本でのライヴ映像も少し出てくる。パジャマだったり、PILのTシャツを着ていたり、テーブルにコロナ・ビールが置いてあったりと、いろんなシチュエーションで自分語りをするライドンは、尊大さを感じさせるところも含め、そのパブリック・イメージからは離れない。
一方で、なにげに小心者(ピストルズ期にマルコム・マクラーレンに搾取されたことで、マネージャーに多大なわだかまりを持つ。ジョン・ライドンへの改名も、ピストルズ解散後の使用を禁じられたからのよう)だったり、意外に真っ当なところを伝えるところ(本は好きなようで、それは率直にして、核心を射抜く歌詞にも表れているか)もある。だいたい時系列で話は進められるが、長い付き合いを持つ妻でグルーピーとして英国ロック界で名を鳴らしたこともあったドイツ新聞王の娘であるノラ・フォスターには誠実な思いを持っていることを語る部分もある。また、今世紀に入ると、英国のリアリティ番組に出演したりして、おちゃめなおっさんというイメージが本国で広がったのは知っていたが、そこから出演依頼がきたバターのTV-CFも紹介される。
PILはライドン以外のメンバーの出入りが多いバンドであったが、それについてはけっこうマニアックに追われる。それはロックをやる人間のダメさやロック・ビジネスのやっかいさを伝えてくれるだろう。たくさん出てくる証言者のうち、サーストン・ムーアの外見や発言のまっとうさは際立っている。
へえ、ノラの孫たち(ザ・スリッツのアリ・アップの娘。双子だ)を引き取ったりもしていたのか。それを語るライドンは生理的に爽やかだ。昨年、14歳年上のノラが認知症になり、彼はフルタイムの介護に入ったというニュースが流れた。………ある種の勘の良さを持ち、またライドンが個性豊かなシンガーであったことを再確認できるドキュメンタリー映画だ。
▶︎過去の、アリ・アップの訃報
https://43142.diarynote.jp/201010241834415571/
<今日、感じたこと>
映画は、劇場か試写会で見る。そう決めているのは、その方が大きな画面や迫力ある音声で楽しめるから。という以前に、集中して対象を受け止めることができるからだ。もう配信を介しての家でのチェックだと集中力が散漫なため、他のことことに思いが向いたり、関係ないことをホイっとしたくなってしまう。ただの楽しみなら別にストリーム受容でいいのだが〜とはいえ、PCの画面ではなく、小さくはないTVモニターでは見たいけど〜ちゃんと原稿を書くなら、ぼくは家でぼさあと見ることをできるだけ避けたい。この時節がら試写案内にはオンライン試写の案内も付記されているが、まだそれを活用したことなかった。だが、オン・ラインの試写を見て原稿を書いてネという依頼が来て、その映画を見てみたいとも思ったので、今回引き受けたわけだ。ドキュメンタリー映画だと発言などの再確認をすぐにできるので、確かに楽で、有用な部分もあるナ。でも、それに慣れるとその場の作品理解力はどんどん落ちて行きそう、物事を他者に伝える職業に必要な勘のようなものは減じてしまいそうな気もする。また、やはりデスクトップの13インチの画面では絵が小さすぎる。なんか、音楽を安いPCの音で聞いている気になってしまう。秀でた音楽はどんな音で聞いても良い。というのは真理であるが、やっぱりいい音で、できるならアナログな環境で楽しみたいという気持ちはずっと持っていたいな。
1976年のデビューであり、何より本人が元気なだけに、いかようでも、というところはあったか。監督はスケード・ボード好きでベーシストをしていたこともあったメキシコ出身のタバート・フィーラーで、これがデビュー作となるよう。
複数にわたる自宅でのジョン・ライドンへのインタヴュー映像を柱に、いろんな周辺の人たちの取材マテリアルも用い、とうぜん写真や映像もいろいろ。PILの日本でのライヴ映像も少し出てくる。パジャマだったり、PILのTシャツを着ていたり、テーブルにコロナ・ビールが置いてあったりと、いろんなシチュエーションで自分語りをするライドンは、尊大さを感じさせるところも含め、そのパブリック・イメージからは離れない。
一方で、なにげに小心者(ピストルズ期にマルコム・マクラーレンに搾取されたことで、マネージャーに多大なわだかまりを持つ。ジョン・ライドンへの改名も、ピストルズ解散後の使用を禁じられたからのよう)だったり、意外に真っ当なところを伝えるところ(本は好きなようで、それは率直にして、核心を射抜く歌詞にも表れているか)もある。だいたい時系列で話は進められるが、長い付き合いを持つ妻でグルーピーとして英国ロック界で名を鳴らしたこともあったドイツ新聞王の娘であるノラ・フォスターには誠実な思いを持っていることを語る部分もある。また、今世紀に入ると、英国のリアリティ番組に出演したりして、おちゃめなおっさんというイメージが本国で広がったのは知っていたが、そこから出演依頼がきたバターのTV-CFも紹介される。
PILはライドン以外のメンバーの出入りが多いバンドであったが、それについてはけっこうマニアックに追われる。それはロックをやる人間のダメさやロック・ビジネスのやっかいさを伝えてくれるだろう。たくさん出てくる証言者のうち、サーストン・ムーアの外見や発言のまっとうさは際立っている。
へえ、ノラの孫たち(ザ・スリッツのアリ・アップの娘。双子だ)を引き取ったりもしていたのか。それを語るライドンは生理的に爽やかだ。昨年、14歳年上のノラが認知症になり、彼はフルタイムの介護に入ったというニュースが流れた。………ある種の勘の良さを持ち、またライドンが個性豊かなシンガーであったことを再確認できるドキュメンタリー映画だ。
▶︎過去の、アリ・アップの訃報
https://43142.diarynote.jp/201010241834415571/
<今日、感じたこと>
映画は、劇場か試写会で見る。そう決めているのは、その方が大きな画面や迫力ある音声で楽しめるから。という以前に、集中して対象を受け止めることができるからだ。もう配信を介しての家でのチェックだと集中力が散漫なため、他のことことに思いが向いたり、関係ないことをホイっとしたくなってしまう。ただの楽しみなら別にストリーム受容でいいのだが〜とはいえ、PCの画面ではなく、小さくはないTVモニターでは見たいけど〜ちゃんと原稿を書くなら、ぼくは家でぼさあと見ることをできるだけ避けたい。この時節がら試写案内にはオンライン試写の案内も付記されているが、まだそれを活用したことなかった。だが、オン・ラインの試写を見て原稿を書いてネという依頼が来て、その映画を見てみたいとも思ったので、今回引き受けたわけだ。ドキュメンタリー映画だと発言などの再確認をすぐにできるので、確かに楽で、有用な部分もあるナ。でも、それに慣れるとその場の作品理解力はどんどん落ちて行きそう、物事を他者に伝える職業に必要な勘のようなものは減じてしまいそうな気もする。また、やはりデスクトップの13インチの画面では絵が小さすぎる。なんか、音楽を安いPCの音で聞いている気になってしまう。秀でた音楽はどんな音で聞いても良い。というのは真理であるが、やっぱりいい音で、できるならアナログな環境で楽しみたいという気持ちはずっと持っていたいな。
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