映画「Billie ビリー」。映画「イン・ザ・ハイツ」
2021年6月16日 音楽 梅雨な空模様のなか、2つの米国映画を見る。アフリカ系とヒスパニック系が主役となる。
まず、不世出のジャズ・シンガー/ソングライターであるビリー・ホリデイ(1915〜59年)を扱う2019年英国ドキュメンタリー映画(原題:Billie)を新橋・TCC試写室で見る。冒頭にはBBCやユニヴァーサルのロゴも入る。彼女の肩書きにソングライターとつけたが、あっと驚く内容を持つ「ゴット・ブレス・ザ・チャイルド」、そして「ファイン・アンド・メロウ」や「ドント・イクスプレイン」や「ビリーズ・ブルース」など数は多くないものの、彼女が曲作りに関わった曲の歌詞には相当に魅力を覚えるからだ。ソングライターとしてのホリデイに焦点をあてる企画があってもいいと思えるほどに。
彼女の自伝を書こうとしていた米国人ジャーナリストのリンダ・リップナック・キュールによる1960年代から約10年にわたる関係者への取材テープ〜それは、200時間にも及ぶという。そして、彼女は志半ばで亡くなってしまった〜をもとに、いろいろな写真や映像を掘り起こながら巧みに構成している。いや、カウント・ベイシーをはじめとする共演ミュージシャンから薬方面の関係者まで、本当にいろんな人に取材していたのだな。
そして薬と酒とダメ男(彼女はバイ・セクシャルでもあった)にまみれた、マゾヒストという側面も多分に抱えたホリデイの人生と音楽が語られる。へえ、そうなんですかという部分はいろいろ。かなり悲惨な人生を送り、それが生理的に重い歌唱に繋がった人ではあったが、映画を見るとわりと円満な顔つき(年取る前はわりと体格もふくよか)であったことが分かり、なんかそれにぼくは救われた。映像や写真は最新技術で着色されてもいるようだが、彼女の顔の色はそれほど黒くない。彼女はアイルランド系のプランテーションの主が奴隷女性をコマして生まれた末裔であるようだが、映画では彼女が顔を黒く塗ってステージに立つことを強いられたことも伝える。あと、ホリデイは犬好きで、彼女のお葬式はそれなりに立派だったんですね。
米国20世紀前〜中盤の黒人芸能と境遇を編み込むこの映画は、7月2日から15日にかけて角川シネマ有楽町で開かれる<ピーター・バラカンズ・ミュージック・フィルム・フェスティヴァル>のメインの映画(一番上映回数が多い)として公開される。
その後は、2021年映画「イン・ザ・ハイツ」(原題:In the Heights)を、ワーナー・ブラザース神谷町試写室で見る。評判の高い同名のブロードウェイ・ミュージカル(日本人キャストで、本邦上演もあったよう)を映画化したもののようだが、本国でもコロナ禍のなか公開が留められ、先週の金曜日に上映が始まったばかりなよう。日本では7月30日より、公開される。
プエルトリコにルーツを持つようであるリン・マニュエル・ミランダが音楽込みで原作を作ったのは大学2年生のときで、80分の一幕ものとして大学で3日間披露された。それをもとに膨らまされて、オフ・ブロードウェイ→ブロドウェイと公開規模が大きくなり、ついに映画化にも至ったよう。監督はジョン・M・チュウで、ラテン姓がずらりと並ぶキャストはこの映画のために選ばれ、リパブリック/ユニヴァーサル(アンソニー・ラモス)やソニー・ミュージック・ラテン(メリッサ・バレラ)などからアルバムを出している人もいる。
タイトルにある“ハイツ”とはマンハッタンの155丁目以北の、かつてはドミニカ移民が多数居住していた地区であるワシントン・ハイツから来ている。ドミニカをはじめとするラテン・ルーツの人々/コミュニティの希望や挫折を今の街の風景とともに描いており、音楽の多くはラテン調。そこに歌やラップが載せられるわけで、英語主体ながらときにスペイン語も使われる。それは、全体の4分の1ほど(かな?)のセリフの部分も同様だ。音楽はもう少し打楽器群の効用が出たものにして欲しかったが、映画化にあたり新たに3人が音楽に関与しているようだ。
絵に描いたような明解なフックを持つ甘ちゃんストーリーであり、音楽がポップ化されたものでもあっても、やはりラテン系移民による気概や歌の力や躍動感にフフフとなれる。終盤のアパートの壁を使ったシーンとか感心しちゃう部分もある。ちゃんと音楽のシーンが収められているため、尺は143分。さすが、長いな。基本ハレの感覚を持つ映画であり、ワクチン接種が進んで以前の人間関係/生活が戻りつつある現況を祝う意味合いで、米国ではこの映画は受け取られるのではないだろうか。話が離れるが、サッカーのEUROの試合で、スタジアムがマスクなしの観客に埋まっているを見て驚いた。
<今日の、追記>
ビリー・ホリデイと言えば、ダイアナ・ロスである。彼女は映画産業に進みたがったモータウンがお金を出した1972年米国映画「ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実(原題:Lady Sings The Blues)」に主演した。しかし、ベリー・ゴーディJr.はよくこんなカラードの悲哀を山ほど背負った業の深いシンガーの役を、都会洗練派で売っていたダイアナ・ロスに演じさせることにしたよナ。両者のイメージは水と油のはずなのにロスの演技は大好評を得て、サウンドトラックはチャート1位になり(ロスの唯一の全米1位アルバムになるよう)、彼女がよりスターダムに登るのを後押しした。また、その映画によりホリデイの存在が広く伝わったのも間違いない。とか、偉そうに書いているが、40年近く前に一度見ただけで、おぼろげな記憶しか残っていない。今週、ダイアナ・ロスの新曲「サンキュー」が発表になった。その曲を含む22年ぶりの同名となる新作は9月にリリースされるという。
ところで、映画「Billy ビリー」の頭のほうで、彼女がビッグ・バンドを歌う映像が長めに流されるが、その満たされいてて、メロウな味にはうっとり。それは、ジャズが当時の一番の洗練を抱えていた“メインストリーム”であったからこそ導かれる味ではないのか。彼女が内に様々な闇を抱えていたとしても、彼女にとって歌うことは最大の自己表現であったのだとも思わせられる。そして、1970年代はロスがメインストリームに君臨した時期だった。
まず、不世出のジャズ・シンガー/ソングライターであるビリー・ホリデイ(1915〜59年)を扱う2019年英国ドキュメンタリー映画(原題:Billie)を新橋・TCC試写室で見る。冒頭にはBBCやユニヴァーサルのロゴも入る。彼女の肩書きにソングライターとつけたが、あっと驚く内容を持つ「ゴット・ブレス・ザ・チャイルド」、そして「ファイン・アンド・メロウ」や「ドント・イクスプレイン」や「ビリーズ・ブルース」など数は多くないものの、彼女が曲作りに関わった曲の歌詞には相当に魅力を覚えるからだ。ソングライターとしてのホリデイに焦点をあてる企画があってもいいと思えるほどに。
彼女の自伝を書こうとしていた米国人ジャーナリストのリンダ・リップナック・キュールによる1960年代から約10年にわたる関係者への取材テープ〜それは、200時間にも及ぶという。そして、彼女は志半ばで亡くなってしまった〜をもとに、いろいろな写真や映像を掘り起こながら巧みに構成している。いや、カウント・ベイシーをはじめとする共演ミュージシャンから薬方面の関係者まで、本当にいろんな人に取材していたのだな。
そして薬と酒とダメ男(彼女はバイ・セクシャルでもあった)にまみれた、マゾヒストという側面も多分に抱えたホリデイの人生と音楽が語られる。へえ、そうなんですかという部分はいろいろ。かなり悲惨な人生を送り、それが生理的に重い歌唱に繋がった人ではあったが、映画を見るとわりと円満な顔つき(年取る前はわりと体格もふくよか)であったことが分かり、なんかそれにぼくは救われた。映像や写真は最新技術で着色されてもいるようだが、彼女の顔の色はそれほど黒くない。彼女はアイルランド系のプランテーションの主が奴隷女性をコマして生まれた末裔であるようだが、映画では彼女が顔を黒く塗ってステージに立つことを強いられたことも伝える。あと、ホリデイは犬好きで、彼女のお葬式はそれなりに立派だったんですね。
米国20世紀前〜中盤の黒人芸能と境遇を編み込むこの映画は、7月2日から15日にかけて角川シネマ有楽町で開かれる<ピーター・バラカンズ・ミュージック・フィルム・フェスティヴァル>のメインの映画(一番上映回数が多い)として公開される。
その後は、2021年映画「イン・ザ・ハイツ」(原題:In the Heights)を、ワーナー・ブラザース神谷町試写室で見る。評判の高い同名のブロードウェイ・ミュージカル(日本人キャストで、本邦上演もあったよう)を映画化したもののようだが、本国でもコロナ禍のなか公開が留められ、先週の金曜日に上映が始まったばかりなよう。日本では7月30日より、公開される。
プエルトリコにルーツを持つようであるリン・マニュエル・ミランダが音楽込みで原作を作ったのは大学2年生のときで、80分の一幕ものとして大学で3日間披露された。それをもとに膨らまされて、オフ・ブロードウェイ→ブロドウェイと公開規模が大きくなり、ついに映画化にも至ったよう。監督はジョン・M・チュウで、ラテン姓がずらりと並ぶキャストはこの映画のために選ばれ、リパブリック/ユニヴァーサル(アンソニー・ラモス)やソニー・ミュージック・ラテン(メリッサ・バレラ)などからアルバムを出している人もいる。
タイトルにある“ハイツ”とはマンハッタンの155丁目以北の、かつてはドミニカ移民が多数居住していた地区であるワシントン・ハイツから来ている。ドミニカをはじめとするラテン・ルーツの人々/コミュニティの希望や挫折を今の街の風景とともに描いており、音楽の多くはラテン調。そこに歌やラップが載せられるわけで、英語主体ながらときにスペイン語も使われる。それは、全体の4分の1ほど(かな?)のセリフの部分も同様だ。音楽はもう少し打楽器群の効用が出たものにして欲しかったが、映画化にあたり新たに3人が音楽に関与しているようだ。
絵に描いたような明解なフックを持つ甘ちゃんストーリーであり、音楽がポップ化されたものでもあっても、やはりラテン系移民による気概や歌の力や躍動感にフフフとなれる。終盤のアパートの壁を使ったシーンとか感心しちゃう部分もある。ちゃんと音楽のシーンが収められているため、尺は143分。さすが、長いな。基本ハレの感覚を持つ映画であり、ワクチン接種が進んで以前の人間関係/生活が戻りつつある現況を祝う意味合いで、米国ではこの映画は受け取られるのではないだろうか。話が離れるが、サッカーのEUROの試合で、スタジアムがマスクなしの観客に埋まっているを見て驚いた。
<今日の、追記>
ビリー・ホリデイと言えば、ダイアナ・ロスである。彼女は映画産業に進みたがったモータウンがお金を出した1972年米国映画「ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実(原題:Lady Sings The Blues)」に主演した。しかし、ベリー・ゴーディJr.はよくこんなカラードの悲哀を山ほど背負った業の深いシンガーの役を、都会洗練派で売っていたダイアナ・ロスに演じさせることにしたよナ。両者のイメージは水と油のはずなのにロスの演技は大好評を得て、サウンドトラックはチャート1位になり(ロスの唯一の全米1位アルバムになるよう)、彼女がよりスターダムに登るのを後押しした。また、その映画によりホリデイの存在が広く伝わったのも間違いない。とか、偉そうに書いているが、40年近く前に一度見ただけで、おぼろげな記憶しか残っていない。今週、ダイアナ・ロスの新曲「サンキュー」が発表になった。その曲を含む22年ぶりの同名となる新作は9月にリリースされるという。
ところで、映画「Billy ビリー」の頭のほうで、彼女がビッグ・バンドを歌う映像が長めに流されるが、その満たされいてて、メロウな味にはうっとり。それは、ジャズが当時の一番の洗練を抱えていた“メインストリーム”であったからこそ導かれる味ではないのか。彼女が内に様々な闇を抱えていたとしても、彼女にとって歌うことは最大の自己表現であったのだとも思わせられる。そして、1970年代はロスがメインストリームに君臨した時期だった。
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