映画「最後にして最初の人類」
2021年6月7日 音楽 渋谷・ヒューマントラストシネマ渋谷で、映画音楽に引っ張りだこのロック・バンド出身の作曲家であるヨハン・ヨハンソン(1969年〜2018年。アイスランド生まれで、レイキャビクの大学を出ている。薬物過剰摂取で亡くなったのはベルリンの自宅)が監督した2020年アイスランド映画『最後にして最初の人類』(原題:Last and First Men)の試写を見る。彼の生前に完全に仕上がってはいなかったようで、死後に関与したスタッフたちが71分の作品に整えたよう。7月下旬より、公開される。
うわー。こんなん。いまいち事前紹介の文章を見てもどんな映画なのか像を結ばなかったのだが、なるほどねー。頭のほう、どう接していいのか分からず、ぼくはマジ困惑してしまった。そして、映画館で見ていて、よかったァとすぐに思った。たぶん、家で見ていたら放り出しちゃう。だが、他にもする事はないし、ワケ分かんねえなあと思いつつスクリーンと向かい合っていたら、不思議な感興を覚えてきて、ふーむ、ほうと、見てしまった。
原作があって、それは英国人哲学者/作家のオラフ・ステープルドン(1886年〜1950年)の1930年同名著作。20億年先の未来を描いたというその本でステープルドンは世間に認められ、続くSF作家たちに大きな影響を及ぼしたそう。本にもSFにも興味を持ったことがないぼくは、とうぜん彼の著述を読んだことがない。だが、当初覚えた困惑は、その本から抜粋され(ているのだと思う)た、ト書きのような文言の数々による。ほぼ今となっては気取りの入った荒唐無稽な戯言としか、ぼくにはそれが思えなくて……。
なお、その言葉群は、英国女優のティルダ・スウィントンのナレーションで提示される。そんなに作品を見ているわけではないが、ぼくのなかでは英国最高峰とイメージできる女優さんで、彼女の凛とした綺麗な英語を聞きながら字幕を追うのは文章自体になんじゃらほいとなりつつも、けっこう興味深い作業となったかな。
そして、言葉に従い、モノクロームの映像とポスト・クラシカルな音楽が綴られる。それら、不思議と文言と合っているし、さすがに映像と音楽もかなり粛々としたトーンのもと噛み合っている。ストリングス音やコーラスや電気音を巧みに使う音楽のほうは想像通りだ(それは、先日ドキュメンタリー映画を見たマックス・リヒターのそれと重なる)が、映像のほうはどこか雲をつかむような感覚を与える。自然のなかにある、人間の不可解な営みや創造性を感じさせる造形物/オブジェを撮影したものを遠近法を超越する感覚でぬぼーっと構成した〜また、一部では巧みにCGも使っているのかもしれない〜それは、なんか妙な働きかけを持つ。言葉の余韻をひずるようにそうした映像と音楽がすうーと続く場面もある。
そうした異形な造形物/オブジェ群は、旧ユーゴスラビアにある記念碑”スポメニック”というもののよう。旧共産主義政権がユニティをプロパガンダするために建築家や彫刻家を動員してこの60年以内にあちこちに作られたようで、それ自体にも目が点になる。うがった見方をすれば、この未来的な何かも抱えた旧ユーゴの造形物の存在を知り、ヨハンソンはこのこの映画を作る気になったのではないか。
正の????と、定石を超えたクリエイティティは確かにあり。ヨハン・ヨハンソンにはもう少し創作活動を続けて欲しかった。そう、思わせもする作品でもありました。
▶︎過去の、マックス・リヒターのドキュメンタリー
https://43142.diarynote.jp/202103200814239677/
<渋谷には、人がたくさんいる>
緊急事態宣言下、人出はなかなか。自分の利益誘導と虚栄心しかない人たちによる思いつき/ご都合主義的な日常制限がされているのに、五輪をやられてもな…。そういえば、昨日一昨日の土日、アリサ・フランクリン『アメイジング・グレイス』やデイヴィッド・バーン×スパイク・リーの『アメリカン・ユートピア』の上映館in渋谷は盛況だったよう。複数、知人情報を得た。試写の後、本当はグビグビ飲みたかったナ。気候もまあまあなので歩いて帰りたいとも思ったが、スクランブル交差点〜道玄坂と人混みを抜けるのがおっくう。すぐ地下道におり、素直に電車に乗る。車内は、少し時間の遅かった昨日の方が混んでいた。
▶︎過去の、映画「アメイジング・グレイス」
https://43142.diarynote.jp/201909260737052277/ 下部のほう
▶︎過去の、映画「アメリカン・ユートピア」
https://43142.diarynote.jp/202103191206316331/
うわー。こんなん。いまいち事前紹介の文章を見てもどんな映画なのか像を結ばなかったのだが、なるほどねー。頭のほう、どう接していいのか分からず、ぼくはマジ困惑してしまった。そして、映画館で見ていて、よかったァとすぐに思った。たぶん、家で見ていたら放り出しちゃう。だが、他にもする事はないし、ワケ分かんねえなあと思いつつスクリーンと向かい合っていたら、不思議な感興を覚えてきて、ふーむ、ほうと、見てしまった。
原作があって、それは英国人哲学者/作家のオラフ・ステープルドン(1886年〜1950年)の1930年同名著作。20億年先の未来を描いたというその本でステープルドンは世間に認められ、続くSF作家たちに大きな影響を及ぼしたそう。本にもSFにも興味を持ったことがないぼくは、とうぜん彼の著述を読んだことがない。だが、当初覚えた困惑は、その本から抜粋され(ているのだと思う)た、ト書きのような文言の数々による。ほぼ今となっては気取りの入った荒唐無稽な戯言としか、ぼくにはそれが思えなくて……。
なお、その言葉群は、英国女優のティルダ・スウィントンのナレーションで提示される。そんなに作品を見ているわけではないが、ぼくのなかでは英国最高峰とイメージできる女優さんで、彼女の凛とした綺麗な英語を聞きながら字幕を追うのは文章自体になんじゃらほいとなりつつも、けっこう興味深い作業となったかな。
そして、言葉に従い、モノクロームの映像とポスト・クラシカルな音楽が綴られる。それら、不思議と文言と合っているし、さすがに映像と音楽もかなり粛々としたトーンのもと噛み合っている。ストリングス音やコーラスや電気音を巧みに使う音楽のほうは想像通りだ(それは、先日ドキュメンタリー映画を見たマックス・リヒターのそれと重なる)が、映像のほうはどこか雲をつかむような感覚を与える。自然のなかにある、人間の不可解な営みや創造性を感じさせる造形物/オブジェを撮影したものを遠近法を超越する感覚でぬぼーっと構成した〜また、一部では巧みにCGも使っているのかもしれない〜それは、なんか妙な働きかけを持つ。言葉の余韻をひずるようにそうした映像と音楽がすうーと続く場面もある。
そうした異形な造形物/オブジェ群は、旧ユーゴスラビアにある記念碑”スポメニック”というもののよう。旧共産主義政権がユニティをプロパガンダするために建築家や彫刻家を動員してこの60年以内にあちこちに作られたようで、それ自体にも目が点になる。うがった見方をすれば、この未来的な何かも抱えた旧ユーゴの造形物の存在を知り、ヨハンソンはこのこの映画を作る気になったのではないか。
正の????と、定石を超えたクリエイティティは確かにあり。ヨハン・ヨハンソンにはもう少し創作活動を続けて欲しかった。そう、思わせもする作品でもありました。
▶︎過去の、マックス・リヒターのドキュメンタリー
https://43142.diarynote.jp/202103200814239677/
<渋谷には、人がたくさんいる>
緊急事態宣言下、人出はなかなか。自分の利益誘導と虚栄心しかない人たちによる思いつき/ご都合主義的な日常制限がされているのに、五輪をやられてもな…。そういえば、昨日一昨日の土日、アリサ・フランクリン『アメイジング・グレイス』やデイヴィッド・バーン×スパイク・リーの『アメリカン・ユートピア』の上映館in渋谷は盛況だったよう。複数、知人情報を得た。試写の後、本当はグビグビ飲みたかったナ。気候もまあまあなので歩いて帰りたいとも思ったが、スクランブル交差点〜道玄坂と人混みを抜けるのがおっくう。すぐ地下道におり、素直に電車に乗る。車内は、少し時間の遅かった昨日の方が混んでいた。
▶︎過去の、映画「アメイジング・グレイス」
https://43142.diarynote.jp/201909260737052277/ 下部のほう
▶︎過去の、映画「アメリカン・ユートピア」
https://43142.diarynote.jp/202103191206316331/
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