資料は、ヤニス・クセナスキを20世紀を代表する現代音楽作曲家の一人、と説明。なるほど。名前はなんとなく知っていたものの、建築家でもあったという、このルーマニア生まれのギリシャ系フランス人(1922年5月29日〜 2001年2月4日)については、ぼくの引き出しになかった。理系知識を活かした独創的作風で、オーケスラ、もっと小さな単位や歌を使ったもの、そして電子音楽までいろいろなことをやった人であるという。そして、彼は日本の文化にも興味を持ち、日本と繋がったりもしたことで、こういう表題付けの出し物が、生誕100年ということもあり企画されたようだ。芸術監督は、加藤訓子(2012年6月7日)が務める。今は、米国から戻ってきているようだ。
都立大学・めぐろパーシモンホール。入場時になかなか細かいパンフレットをいただく。本来は昨年に予定されていたものが、この日に延期となった。大ホールや小ホールを用い、クセキナスの財産が今の日本人の手により紹介されるらしい。夕方に、会場(同じ建物の横は、新型コロナ・ウィルスのワクチン注射の会場になっていた)に行き、まず地下の小ホールを覗く。もう少し早い時間には、高橋アキ他によりクセナキス曲が演奏されたようだ。
この時間の小ホールは、ホール中央に円形に椅子が並べられ、外側に6枚の縦長の平面透明ヴィジョンが設置されていた。流されていたのは、インダストリアル・サウンド/ノイズっぽい音。その際の映像はレーザー光線調グラフィック。途中から音が凶暴になり、ルー・リードの『マシン・メタル・ミュージック』やザ・ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のアヴァンギャルドな弦音パートを思い出させるようなものになる。おお。琴の音が途中で入ったりする場面もあったこの「響・花・間」という曲はクセナキスが大阪万博で鉄鋼会社の連合が出した鉄鋼館用に出したもので、制作手法的にも会場音響設定のうえでも度を越した作法が取られ、彼自身も来日したらしい。鉄鋼館といえば、フランソワ・バシェの音響オブジェ(2015年5月9日)も展示していたわけで、いやはや〜〜〜。
そのあとは、クセナキスの「プレイアデス」を加藤訓子がマリンバ類で多重録音したものが流される。その際、映像は加藤の演奏映像を映すのだが、それはちゃんとそれぞれの演奏の様を撮影したものだった。もっと、そこにいたかったが、大ホールのホワイエで開演前に出し物があるというので、そちらも好奇心で見たかった。
二つ出演し、一つはジャンベみたいなのを叩く3人のユニット。掛け合いっぽい感じで流れていくが、奏者たちの前には譜面がどーんと置かれ、かなり頼っている感じもあり。内容はアフリカのどこかでやっているものを、譜面におこしたというノリ濃厚。スリルもグルーヴもない。不毛。あんなの、今の経験値の高い非クラシック系パーカッショニストだったらすぐにできちゃいそう。それをわざわざ譜面を前にアカデミックにやるなら、原サンプルを換骨奪胎しもう聞いていてどこがどこなんだか分からない、こりゃ絶対にこの複雑怪奇な演奏には混ざれないと思わせるものをやらなきゃ。演奏者は幼く見えもし、そんなに目くじら立てなくてもとも思ったが、こういうお題目のなかで出されるのはナッシング。
次にヴィオラ奏者が出てきて、濁った音を多用しつつ、もう一つの弧を描こうとする。こっちのほうが全然共感できるが、徹頭徹尾スコアとにらめっこだとシラける。普通の人が演じる狂気という感じよりも、狂人がやる普通やマジメの方をぼくは求める。な〜んて。そりゃ、狂人がさらりと出す狂気に触れたら、ヤラれてしまいますね。
そして、大ホール。まず、加藤訓子と能楽観世流シテ方/能舞の中所宜夫が出てきて、クセナキスの「ルボンと舞」を披露する。大小の太鼓をいろいろ叩く加藤の音に合わせて、中所はひたひた間を存分に抱えた動きをとる。15分ちょい、しかし加藤はあんなに力一杯たたいていて、リストを痛めたりはしないのだろうか。彼女は譜面なし。
すぐに、「18人のプレイアデス」という演目が始められる。広いステージにはいろいろと鍵盤打楽器や打楽器が置いてあり、以降は18人の奏者(女性中心。皆、音大や同大学院を出た人たちのよう)が出てきて、面々が4パートに分かれた「プレイアデス」を演奏する。その構成員は、悪原 至、東 廉吾、伊藤すみれ、齋藤綾乃、佐藤直斗、篠崎陽子、高口かれん、谷本麻実、戸崎可梨、冨田真以子、中野志保、新野将之、原 順子、藤本亮平、古屋千尋、細野幸一、眞鍋華子、三神絵里子、横内 奏。このプロジェクトは、持続して持たれてきているようだ。
<金属><鍵盤><太鼓><合奏>と分けられ、3つのパートはそれぞれ6人の奏者で演奏され、最後の<合奏>部は6×3=18人の奏者が一緒に音を重ね、そのときのみ加藤が中央に出てきて指揮をする。
広義のミニマム曲、と言っていいか。<金属>はクセナキスの創作楽器らしい、ジクセンという音階が取れないらしい19鍵の鉄琴を6つ横一線に並べて、いろいろと重なり合う。その様は何気に複雑で、キラキラした迷宮でチョウが舞っているような音像を、一筋縄ではなく作っていく。いや、覚えるの大変だったろうなー。
<鍵盤>は同様の曲調/作法が、マリンバやヴァイブラフォンやシロフォンなどを用い演奏される。各奏者の重なり、それを受けての広がりはただただ興味深い。そして、<太鼓>部はボンゴ、トムトム、ティンバニ、べース・ドラムなどを並べた微妙にセッティングの異なる6つの打楽器の塊を同様に6人の奏者が演奏する。この部分のみ、担当奏者たちは譜面を置いていた。とくに、このパートが難しいのだろうか。
そして、それらを聞いて曲調などから、バリ島のガムラン・アンサンブルとの近似性〜どこかトランシーになる部分も含めて〜を覚える。そういえば、会場に行く前に偶然聞いたクセナキスの1967年合唱曲「Nuits」はもろにガムランの肉声を思わせる掛け声も入っていて、彼がインドネシアの民族音楽からインスパイアされていたのは間違いない。
▶︎過去の、加藤訓子
https://43142.diarynote.jp/201206110945571082/
▶︎過去の、フランソワ・バシェの音響オブジェ
https://43142.diarynote.jp/201505111008456782/
▶︎過去の、ガムラン/ジェゴグのグループ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
https://43142.diarynote.jp/201610110956409068/
<今日の、追記>
実は、18人の中に友人が一人。今年になって入ったそうで、一番若いのかな。知り合いの勇姿、うれしいもんです。ところで、クセナキスは1997年に京都賞を思想・芸術部門でもらったという。副賞、現在は1億円だっけか。京セラの稲盛和夫が作ったもので、メシアン、ケイジ、ナム・ジュン・パイク、パナ・ビウシュ、セシル・テイラーらも同賞を受賞している。稲盛がお金を出している京都サンガF.C.は今年は好位置につけているが、久しぶりにJ1に上がれるか。一度、亀岡市にあるスタジアムに行ってみたいな。
▶︎過去の、ピナ・バウシュ トリビュート
https://43142.diarynote.jp/201207031354181031/
都立大学・めぐろパーシモンホール。入場時になかなか細かいパンフレットをいただく。本来は昨年に予定されていたものが、この日に延期となった。大ホールや小ホールを用い、クセキナスの財産が今の日本人の手により紹介されるらしい。夕方に、会場(同じ建物の横は、新型コロナ・ウィルスのワクチン注射の会場になっていた)に行き、まず地下の小ホールを覗く。もう少し早い時間には、高橋アキ他によりクセナキス曲が演奏されたようだ。
この時間の小ホールは、ホール中央に円形に椅子が並べられ、外側に6枚の縦長の平面透明ヴィジョンが設置されていた。流されていたのは、インダストリアル・サウンド/ノイズっぽい音。その際の映像はレーザー光線調グラフィック。途中から音が凶暴になり、ルー・リードの『マシン・メタル・ミュージック』やザ・ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のアヴァンギャルドな弦音パートを思い出させるようなものになる。おお。琴の音が途中で入ったりする場面もあったこの「響・花・間」という曲はクセナキスが大阪万博で鉄鋼会社の連合が出した鉄鋼館用に出したもので、制作手法的にも会場音響設定のうえでも度を越した作法が取られ、彼自身も来日したらしい。鉄鋼館といえば、フランソワ・バシェの音響オブジェ(2015年5月9日)も展示していたわけで、いやはや〜〜〜。
そのあとは、クセナキスの「プレイアデス」を加藤訓子がマリンバ類で多重録音したものが流される。その際、映像は加藤の演奏映像を映すのだが、それはちゃんとそれぞれの演奏の様を撮影したものだった。もっと、そこにいたかったが、大ホールのホワイエで開演前に出し物があるというので、そちらも好奇心で見たかった。
二つ出演し、一つはジャンベみたいなのを叩く3人のユニット。掛け合いっぽい感じで流れていくが、奏者たちの前には譜面がどーんと置かれ、かなり頼っている感じもあり。内容はアフリカのどこかでやっているものを、譜面におこしたというノリ濃厚。スリルもグルーヴもない。不毛。あんなの、今の経験値の高い非クラシック系パーカッショニストだったらすぐにできちゃいそう。それをわざわざ譜面を前にアカデミックにやるなら、原サンプルを換骨奪胎しもう聞いていてどこがどこなんだか分からない、こりゃ絶対にこの複雑怪奇な演奏には混ざれないと思わせるものをやらなきゃ。演奏者は幼く見えもし、そんなに目くじら立てなくてもとも思ったが、こういうお題目のなかで出されるのはナッシング。
次にヴィオラ奏者が出てきて、濁った音を多用しつつ、もう一つの弧を描こうとする。こっちのほうが全然共感できるが、徹頭徹尾スコアとにらめっこだとシラける。普通の人が演じる狂気という感じよりも、狂人がやる普通やマジメの方をぼくは求める。な〜んて。そりゃ、狂人がさらりと出す狂気に触れたら、ヤラれてしまいますね。
そして、大ホール。まず、加藤訓子と能楽観世流シテ方/能舞の中所宜夫が出てきて、クセナキスの「ルボンと舞」を披露する。大小の太鼓をいろいろ叩く加藤の音に合わせて、中所はひたひた間を存分に抱えた動きをとる。15分ちょい、しかし加藤はあんなに力一杯たたいていて、リストを痛めたりはしないのだろうか。彼女は譜面なし。
すぐに、「18人のプレイアデス」という演目が始められる。広いステージにはいろいろと鍵盤打楽器や打楽器が置いてあり、以降は18人の奏者(女性中心。皆、音大や同大学院を出た人たちのよう)が出てきて、面々が4パートに分かれた「プレイアデス」を演奏する。その構成員は、悪原 至、東 廉吾、伊藤すみれ、齋藤綾乃、佐藤直斗、篠崎陽子、高口かれん、谷本麻実、戸崎可梨、冨田真以子、中野志保、新野将之、原 順子、藤本亮平、古屋千尋、細野幸一、眞鍋華子、三神絵里子、横内 奏。このプロジェクトは、持続して持たれてきているようだ。
<金属><鍵盤><太鼓><合奏>と分けられ、3つのパートはそれぞれ6人の奏者で演奏され、最後の<合奏>部は6×3=18人の奏者が一緒に音を重ね、そのときのみ加藤が中央に出てきて指揮をする。
広義のミニマム曲、と言っていいか。<金属>はクセナキスの創作楽器らしい、ジクセンという音階が取れないらしい19鍵の鉄琴を6つ横一線に並べて、いろいろと重なり合う。その様は何気に複雑で、キラキラした迷宮でチョウが舞っているような音像を、一筋縄ではなく作っていく。いや、覚えるの大変だったろうなー。
<鍵盤>は同様の曲調/作法が、マリンバやヴァイブラフォンやシロフォンなどを用い演奏される。各奏者の重なり、それを受けての広がりはただただ興味深い。そして、<太鼓>部はボンゴ、トムトム、ティンバニ、べース・ドラムなどを並べた微妙にセッティングの異なる6つの打楽器の塊を同様に6人の奏者が演奏する。この部分のみ、担当奏者たちは譜面を置いていた。とくに、このパートが難しいのだろうか。
そして、それらを聞いて曲調などから、バリ島のガムラン・アンサンブルとの近似性〜どこかトランシーになる部分も含めて〜を覚える。そういえば、会場に行く前に偶然聞いたクセナキスの1967年合唱曲「Nuits」はもろにガムランの肉声を思わせる掛け声も入っていて、彼がインドネシアの民族音楽からインスパイアされていたのは間違いない。
▶︎過去の、加藤訓子
https://43142.diarynote.jp/201206110945571082/
▶︎過去の、フランソワ・バシェの音響オブジェ
https://43142.diarynote.jp/201505111008456782/
▶︎過去の、ガムラン/ジェゴグのグループ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
https://43142.diarynote.jp/201610110956409068/
<今日の、追記>
実は、18人の中に友人が一人。今年になって入ったそうで、一番若いのかな。知り合いの勇姿、うれしいもんです。ところで、クセナキスは1997年に京都賞を思想・芸術部門でもらったという。副賞、現在は1億円だっけか。京セラの稲盛和夫が作ったもので、メシアン、ケイジ、ナム・ジュン・パイク、パナ・ビウシュ、セシル・テイラーらも同賞を受賞している。稲盛がお金を出している京都サンガF.C.は今年は好位置につけているが、久しぶりにJ1に上がれるか。一度、亀岡市にあるスタジアムに行ってみたいな。
▶︎過去の、ピナ・バウシュ トリビュート
https://43142.diarynote.jp/201207031354181031/
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