ニューオーリンズ・ソウルの系譜に入るヒット歌手の訃報が届いた。ニューオーリンズ近郊に生まれ、同地の名作編曲家/制作者であるデイヴ・バーソロミュー(1918年12月24日〜2019年6月23日。うわあ、長生きしたんだなー)に認められ「ロウディ・ミス・クロウディ」をレコーディングし、大ヒットさせたのときはまだ10代だった。その自作曲を歌うとってもハリのあるプライスの歌声とスーダラしたサウンドのマリアージュはまさに同地の美点をいまだ喧伝すると書きたくなるか。兵役を経て、他にも「スタッガ・リー」や「アム・ゴナ・ゲット・マリード」らをヒットさせた彼は1962年に自己レーベルの“ダブル・L”を設立。ウィルソン・ピケットはそこから巣立っている。その後も、彼は複数のレーベルを持った。

 そして、シンガーとしての活動からは離れることに繋がったが、彼の興味深いキャリアはここからが真骨頂となる。1960年代後期にはニューヨークのブロードウェイにクラブを持つなどした彼は興行の道にも進み、懇意にしたのがボクシングのそれで知られるドン・キングだった。キングというと1974年10月にザイール(現コンゴ民主共和国)のキンシャサで行われたモハメド・アリとジョージ・フォアマンの世界戦のプロモーターとしても知られるが、その実現にプライスもまた尽力、その頃彼はアフリカに住んでいたという。そのキンシャサでの試合を盛り上げるために同地で9月に企画されたJBやB.B.キングやビル・ウィザース、ミリアム・マケバやOKジャズ、ザ・ファニア・オールスターズらが出演した3日間の音楽フェス“ザイール74”(その模様は、2008年にドキュメンタリー映画「ソウルパワー」としてまとめられた)も持たれたが、それにもプライスは関わったろう。
 
 そんなプライスはブロンクスとスタッテン島に二つの住宅建設会社を持つとともに、“グローバル・アイコン・ブランド”という缶詰からクッキーまでを扱う食品会社もかかえた。2009年には、「Lawdy Miss Clawdy: The True King of the 50’s: the Lloyd Price Story」をロイド・プライス出版から出してもいるようだ。かように実業家として成功をおさめていた彼はニューヨーク州のウェストチェスター(デイヴィッド・サンボーンは同地の豪邸に住んでいる)にずっと住み、亡くなったのも自宅か病院かは分からないが、ウェストチェスター群だった。死因は、糖尿病による合併症であるという。

<今日の、自己暗示>
 飲食店で飲めないのは流石にきつい。えーん。15年は基本やめていた家飲み、復活させちゃおーかな……。4日前には、インタヴューがてら黄色いシートの空いている特急に乗って秩父に行く。あら、東京と違い、お店で飲めるぢゃん。世界的な評価を受けるモルト・ウィスキーの酒造があり、レアなそれを扱うバーが複数あるというのは初めて知った。遊びの予定を入れるのをやめたゴールデンウィーク期間中、母親訪問をした以外は唯一の公共交通機関乗車なり。いい気分転換になりました。さーあ、心機一転し、すいすいとGO!

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