R.I.P.メアリー・ウィルソン(1944年3月6日〜2020年2月8日)
2021年2月9日 音楽 モータウン、いや米国を代表するガールズ・グループであるザ・スプリームスのオリジナル・メンバーであるメアリー・ウィルソンが、ラスヴェガスでお亡くなりになった。2日前にはYouTubeでユニヴァーサルから新作(旧録音曲を主ソースとするよう)が出ることもアナウンスし、突然死だったようだ。彼女はデトロイトではなく、ミシシッピ州グリーンヴィルの生まれ。そして、中西部に移り、高校に入ったころからザ・スプリームス(の前身)を組んだ。その後にモータウンとの契約を取り、1964年以降はインターナショナルに表舞台に立っている。
1977年に脱退して解散するまで、彼女はザ・スプリームスに在籍した。美貌というと、同い年の結成メンバーのダイアナ・ロスの方がまず頭に浮かぶが、かつての写真を見ると彼女もすごく可愛い。1960年代に12曲も全米1位曲を記録し〜ウィルソンがリード・ヴォーカルを取ったのは2曲と言われる〜、モータウンの興隆を支えた際たる存在。ああ、米国ポップ・ミュージックのあまりに甘美で幸せな記憶……。
解散後はザ・スプリームスの権利でモータウンともめたが和解し、1979年に同社からディスコ調のセルフ・タイトル作をリリース。また、1992年にはエルトン・ジョンとの作業で何より知られる英国人制作者のガス・ダッジョンのプロデュースで『Walk the Line』(CEO)を出した。実はシングルはいろいろあるもののアルバムはその2枚だけだが、ラスヴェガス的ショウ・シンガーとしてのキャリアは安定し、2000年代に入っても彼女はライヴDVDを出している。
1986年に1960年代のザ・スプリームスの内側を描いた自伝「Dreamgirl: My Life As a Supreme」(St. Martin’s Press)を上程し、これはその手のものとしては破格のセールスを記録したそう。その事実は、ザ・スプリームスという存在の大きさを示唆する。そんな彼女は1990、1999、2019年にもやはり共著で回顧録を出している。映画(2007年1月18日)にもなったモータウンとザ・スプリームズをモデルに置いたブロードェイ・ミュージカル「ドリーム・ガールズ」は、彼女の本が売れたことで作られた。
1974年に結婚(1981年に離婚した)し、子供たちや養女のもと大勢の孫と1人のひ孫がいるという。彼女は慈善活動など社会活動にも熱心だった。華と美貌のもとセレブ道を歩んだダイアナ・ロスとはまた別の、胸を張ったセレブ/文化人の道を歩んだ人だったのだと思う。
▶過去の、︎映画「ドリーム・ガールズ」
https://43142.diarynote.jp/200701211122480000/
▶︎過去の、モータウンのドキュメント映画
https://43142.diarynote.jp/202009301104353283/
<今日の、四方山話>
ウィルソンとダイアナ・ロスは同い年で、高校に入る頃から一緒に活動していた。以下の記述は、ナイル・ロジャース(2003年4月15日、2003年8月24日、2006年4月11日、2009年4月6日、2010年4月30日、2011年4月18日、2012年12月28日)から聞いた話だ。彼とバーナード・エドワーズのシック組はロスの『ダイアナ』(モータウン、1980年)をプロデュースした。そのレコーディング中に、ちょっと音程が狂っているよ、とナイルはロスに指摘したんだそう。そしたら、彼女は怒ってスタジオを出て行ってしまった。その後、彼女は姿を見せず。少したってから、「私は今、コートダジュールにいるのよ」と電話があったそう。「大変だったけど、まさに彼女の振る舞いはセレブリティだったね」。そんな彼女にまつわる話に以下のようないい話も。https://43142.diarynote.jp/201406231449024018/(下の方)
▶︎過去の、シック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 4月15日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm Mt.フジ・ジャズ・フェスティヴァル
http://43142.diarynote.jp/200604141318090000/
http://43142.diarynote.jp/200904120633434116/
http://43142.diarynote.jp/201005011117591329/
http://43142.diarynote.jp/201104220822068448/
http://43142.diarynote.jp/201301051329276221/
1977年に脱退して解散するまで、彼女はザ・スプリームスに在籍した。美貌というと、同い年の結成メンバーのダイアナ・ロスの方がまず頭に浮かぶが、かつての写真を見ると彼女もすごく可愛い。1960年代に12曲も全米1位曲を記録し〜ウィルソンがリード・ヴォーカルを取ったのは2曲と言われる〜、モータウンの興隆を支えた際たる存在。ああ、米国ポップ・ミュージックのあまりに甘美で幸せな記憶……。
解散後はザ・スプリームスの権利でモータウンともめたが和解し、1979年に同社からディスコ調のセルフ・タイトル作をリリース。また、1992年にはエルトン・ジョンとの作業で何より知られる英国人制作者のガス・ダッジョンのプロデュースで『Walk the Line』(CEO)を出した。実はシングルはいろいろあるもののアルバムはその2枚だけだが、ラスヴェガス的ショウ・シンガーとしてのキャリアは安定し、2000年代に入っても彼女はライヴDVDを出している。
1986年に1960年代のザ・スプリームスの内側を描いた自伝「Dreamgirl: My Life As a Supreme」(St. Martin’s Press)を上程し、これはその手のものとしては破格のセールスを記録したそう。その事実は、ザ・スプリームスという存在の大きさを示唆する。そんな彼女は1990、1999、2019年にもやはり共著で回顧録を出している。映画(2007年1月18日)にもなったモータウンとザ・スプリームズをモデルに置いたブロードェイ・ミュージカル「ドリーム・ガールズ」は、彼女の本が売れたことで作られた。
1974年に結婚(1981年に離婚した)し、子供たちや養女のもと大勢の孫と1人のひ孫がいるという。彼女は慈善活動など社会活動にも熱心だった。華と美貌のもとセレブ道を歩んだダイアナ・ロスとはまた別の、胸を張ったセレブ/文化人の道を歩んだ人だったのだと思う。
▶過去の、︎映画「ドリーム・ガールズ」
https://43142.diarynote.jp/200701211122480000/
▶︎過去の、モータウンのドキュメント映画
https://43142.diarynote.jp/202009301104353283/
<今日の、四方山話>
ウィルソンとダイアナ・ロスは同い年で、高校に入る頃から一緒に活動していた。以下の記述は、ナイル・ロジャース(2003年4月15日、2003年8月24日、2006年4月11日、2009年4月6日、2010年4月30日、2011年4月18日、2012年12月28日)から聞いた話だ。彼とバーナード・エドワーズのシック組はロスの『ダイアナ』(モータウン、1980年)をプロデュースした。そのレコーディング中に、ちょっと音程が狂っているよ、とナイルはロスに指摘したんだそう。そしたら、彼女は怒ってスタジオを出て行ってしまった。その後、彼女は姿を見せず。少したってから、「私は今、コートダジュールにいるのよ」と電話があったそう。「大変だったけど、まさに彼女の振る舞いはセレブリティだったね」。そんな彼女にまつわる話に以下のようないい話も。https://43142.diarynote.jp/201406231449024018/(下の方)
▶︎過去の、シック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-4.htm 4月15日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm Mt.フジ・ジャズ・フェスティヴァル
http://43142.diarynote.jp/200604141318090000/
http://43142.diarynote.jp/200904120633434116/
http://43142.diarynote.jp/201005011117591329/
http://43142.diarynote.jp/201104220822068448/
http://43142.diarynote.jp/201301051329276221/
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