今年最後に触れる訃報
2020年12月30日 音楽 まず、ジャイヴ・レコード初期の代表ラップ・チームであるフーディーニの中心人物であったジョン“エクスタシー”フレッチャーがお亡くなりになった。12月23日に56歳で、アトランタで死去。“剛”のラン・D.M.C.(2000年7月29日)、“愛想のいいフーディーニ”なんでも言われた在ニューヨークの連中で、うまくシンセサイザーを使ったトラックを用いていた。その1983年セルフ・タイトルのデビュー作にはクラフトワーク(2002年12月13日)他のプロデュースで知られるドイツ人大制作者のコニー・プランク(1940〜87年)が関わった曲も2曲(「Nasty Lady」と「Rap Machine」)入っていた。同作には、トーマス・ドルビー(2012年2月18日)制作曲も2つ収められた。基本2MC1DJのチームだったが、フィレッチャーは一番格好が良かった。かつてそのグループ名はハンガリー出身の稀代の奇術師であるハリー・フーディーニから取られたと言われたりもしたが、ハリーさんの方のスペルはHoudiniで、彼らはWhodini。スウェーデンのアウトドア衣料メイカーは前者と同じ綴りですね。
▶過去の、ランDMC
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
▶︎過去の、クラフトワーク 13日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
https://43142.diarynote.jp/202005070812126303/ メンバーの訃報
▶︎過去の、トーマス・ドルビー
https://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
少し遡ると、12月12日にはロック側にも出張った活動(ex.ザ・ストゥージーズ)も少し認められる現代/前衛音楽の作曲家/ピアニストであるブルー“ジーン”ティラニーが12月12日に逝去。ニューヨークのホスピスで糖尿病の合併症で亡くなったという。1945年1月1日生まれだった。絡んだ人は、ぼくの馴染みのある方では、カーラ・ブレイ(1999年4月13日、 2000年3月25日)、ローリー・アンダーソン、ジョン・ケイジ、ピーター・ゴードン(2004年2月13日)など。近い間柄であったロバート・アシュリーのAll Music Guideの項のバイオを書いているが、キュレイター/批評家気質も抱えていた彼は同サイトのライターを務めてもいた。それほどティラニーについて詳しくはないが、1970年代のアルバムにはドラムやギターなどを使う反復系のアルバムもあったし、シンガーを起用するのも嫌いじゃなかったはずだ。
▶過去の、カーラ・ブレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
▶︎過去の、ピーター・ゴードン
https://43142.diarynote.jp/200402171832080000/
また、ブルーグラス界の巨人アコースティック・ギタリストであるトニー・ライスも鬼籍入りした。1951年6月8日〜2020年12月25日。ヴァージニア州生まれで妻と住んでいたノース・カロライナ州リーズヴィルで亡くなったが、死因は発表されていない。カントリー&ウェスタンやブルーグラスにはほとんど触れてきおらず、ライスのこともほぼ聞いてきていないぼくではあるが、デイヴィッド・グリスマンのバンドを経てソロとなって出した1970年代末のデビュー作から日本盤が出ていて、その名前には親しみがある。また、彼の名を見ると、現在はコンコード傘下にあるラウンダー(いろいろサブ・レーベルがあったな。1990年代にはニューオーリンズ・ミュージックに特化するものもあった)やシュガーヒルというレーベルを思い出すか。なかにはシンガー・ソングライター的なアルバムもあったような気もするが、来年はもう少しブルーグラスとジャズの抜き差しならぬ関係を見てみたいと思ったりもする。その項目も、ライスは抱えていたかな? かつてのゲイリー・バートン(2005年8月21日、2011年7月20日)からまで近年のジェリアン・ラージ(2005年8月21日、2009年6月24日、2011年7月20日、2017年2月1日、2017年11月13日、2018年12月11日、2019年9月2日、2019年9月3日)まで、ブルーグラス関連とのやりとりを見せた冴えたジャズの担い手は散見できるから。
▶︎過去の、ゲイリー・バートン
https://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
https://43142.diarynote.jp/201107230819362417/
▶過去の、ジュリアン・ラージ
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200906300951327850/
http://43142.diarynote.jp/201107230819362417/
http://43142.diarynote.jp/201702021523283237/
https://43142.diarynote.jp/201711141337544172/
https://43142.diarynote.jp/201812121252088734/
https://43142.diarynote.jp/201909031830055314/
https://43142.diarynote.jp/201909071014576603/
<今年の、総括>
間違いなく、例年とは違った1年だった。酒量はいつもの100分の1以下だろう。だって、夜遊びしなくなったから。その主となるものはライヴ(+アフター)であったが、まずそれが大幅に減った。人に言うと驚かれるが、だいぶ前からなぜか家飲みはあまりしなくなったので飲酒の量は飛躍的に減った。311のときも一時外出が大幅に減り、その際は家飲みが一時復活したけど、今回は家飲みの復活はなかったなあ。そんなにストレス感じていない。と、判断するしかない。年をとってきていろんな欲望が減衰してきているのかもしれないし、頭のなかでうまく生理をコントロールする術を身につけてきているのかもしれない。とはいえ、311のときは財布を落として凹んだが、今回は8月に12月に購入したばかりのアイフォンを落として大変だった。バックアップを取っていなかったので、多くの方々の電話番号が消えた。でも、人と会う機会が激減しているので、不便はほぼ感じていない。と、思ったら、入れた記憶はないのだが、マック・ブックの連絡先にそれなり人数の電話番号が残っていた。とはいえ、無精ゆえ、それを新たに電話機に入れようとは思わない。今のところは。
結局、人生をリセットしなさいと言われたような1年であったという観を得ている。
▶過去の、ランDMC
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm
▶︎過去の、クラフトワーク 13日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
https://43142.diarynote.jp/202005070812126303/ メンバーの訃報
▶︎過去の、トーマス・ドルビー
https://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
少し遡ると、12月12日にはロック側にも出張った活動(ex.ザ・ストゥージーズ)も少し認められる現代/前衛音楽の作曲家/ピアニストであるブルー“ジーン”ティラニーが12月12日に逝去。ニューヨークのホスピスで糖尿病の合併症で亡くなったという。1945年1月1日生まれだった。絡んだ人は、ぼくの馴染みのある方では、カーラ・ブレイ(1999年4月13日、 2000年3月25日)、ローリー・アンダーソン、ジョン・ケイジ、ピーター・ゴードン(2004年2月13日)など。近い間柄であったロバート・アシュリーのAll Music Guideの項のバイオを書いているが、キュレイター/批評家気質も抱えていた彼は同サイトのライターを務めてもいた。それほどティラニーについて詳しくはないが、1970年代のアルバムにはドラムやギターなどを使う反復系のアルバムもあったし、シンガーを起用するのも嫌いじゃなかったはずだ。
▶過去の、カーラ・ブレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live1.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
▶︎過去の、ピーター・ゴードン
https://43142.diarynote.jp/200402171832080000/
また、ブルーグラス界の巨人アコースティック・ギタリストであるトニー・ライスも鬼籍入りした。1951年6月8日〜2020年12月25日。ヴァージニア州生まれで妻と住んでいたノース・カロライナ州リーズヴィルで亡くなったが、死因は発表されていない。カントリー&ウェスタンやブルーグラスにはほとんど触れてきおらず、ライスのこともほぼ聞いてきていないぼくではあるが、デイヴィッド・グリスマンのバンドを経てソロとなって出した1970年代末のデビュー作から日本盤が出ていて、その名前には親しみがある。また、彼の名を見ると、現在はコンコード傘下にあるラウンダー(いろいろサブ・レーベルがあったな。1990年代にはニューオーリンズ・ミュージックに特化するものもあった)やシュガーヒルというレーベルを思い出すか。なかにはシンガー・ソングライター的なアルバムもあったような気もするが、来年はもう少しブルーグラスとジャズの抜き差しならぬ関係を見てみたいと思ったりもする。その項目も、ライスは抱えていたかな? かつてのゲイリー・バートン(2005年8月21日、2011年7月20日)からまで近年のジェリアン・ラージ(2005年8月21日、2009年6月24日、2011年7月20日、2017年2月1日、2017年11月13日、2018年12月11日、2019年9月2日、2019年9月3日)まで、ブルーグラス関連とのやりとりを見せた冴えたジャズの担い手は散見できるから。
▶︎過去の、ゲイリー・バートン
https://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
https://43142.diarynote.jp/201107230819362417/
▶過去の、ジュリアン・ラージ
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200906300951327850/
http://43142.diarynote.jp/201107230819362417/
http://43142.diarynote.jp/201702021523283237/
https://43142.diarynote.jp/201711141337544172/
https://43142.diarynote.jp/201812121252088734/
https://43142.diarynote.jp/201909031830055314/
https://43142.diarynote.jp/201909071014576603/
<今年の、総括>
間違いなく、例年とは違った1年だった。酒量はいつもの100分の1以下だろう。だって、夜遊びしなくなったから。その主となるものはライヴ(+アフター)であったが、まずそれが大幅に減った。人に言うと驚かれるが、だいぶ前からなぜか家飲みはあまりしなくなったので飲酒の量は飛躍的に減った。311のときも一時外出が大幅に減り、その際は家飲みが一時復活したけど、今回は家飲みの復活はなかったなあ。そんなにストレス感じていない。と、判断するしかない。年をとってきていろんな欲望が減衰してきているのかもしれないし、頭のなかでうまく生理をコントロールする術を身につけてきているのかもしれない。とはいえ、311のときは財布を落として凹んだが、今回は8月に12月に購入したばかりのアイフォンを落として大変だった。バックアップを取っていなかったので、多くの方々の電話番号が消えた。でも、人と会う機会が激減しているので、不便はほぼ感じていない。と、思ったら、入れた記憶はないのだが、マック・ブックの連絡先にそれなり人数の電話番号が残っていた。とはいえ、無精ゆえ、それを新たに電話機に入れようとは思わない。今のところは。
結局、人生をリセットしなさいと言われたような1年であったという観を得ている。
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