R.I.P.ハロルド・バッド(1936年5月24日〜2020年12月8日)
2020年12月10日 音楽 現代音楽/アンビエント・ミュージックの作曲家であり、ピアノなども演奏したハロルド・バッドが、Covid-19による合併症のために亡くなった。
82歳であったのか。大学での教鞭色など1960年代からアカデミックな活動をしていたようだが、ぼくは彼がブライアン・イーノのオブスキュア・レーベルから紹介された1980年前後に彼のことを知ったので、イーノと同年代かと思っていた。音響や反復の酩酊感などにも自覚的であった彼は、XTCのアンディ・パートリッジ、コクトー・トゥインズのロビン・ガスリー(2013年1月16日)、ダニエル・ラノワ(2012年1月16日、2013年7月31日、他)、ウルトラボックスにいたジョン・フォックス、PILにいたジョー・ウォブル(別のところに書いた原稿でふれたため当ブログには触れてないけど、2012年のフジ・ロックで彼を見たな)など、ポップ・ミュージック側にいる人たちと絡みもした。
▶︎過去の、ロビン・ガスリー
https://43142.diarynote.jp/201301211104381751/
▶︎過去の、ダニエル・ラノワ
https://43142.diarynote.jp/201201171011033219/
https://43142.diarynote.jp/201308061328468695/
<今日の、各様>
母親の将来を見越し、荻窪の病院にあるホスピスの面談を午前中にする。こういう場合は、ピアスを外しますね。入るときの検温は、34度代。それは、一緒に行った姉も同じだった。しかし、行き帰りに寒さを感じたなー。まだまだ序の口、この冬を乗り切る自信がありまっしぇーん。。帰りに、天ぷらを食べる。1ヶ月ほど前に久しぶりに天ぷら屋に入り、家で一番食べにくい〜作っても、お店とおいしさに落差がある最たる食べ物〜との話をしたが、本当にそう思うなー。なんか、外で食事をする際、天ぷらモードが続くかもしれない。つけていたマスクを挟む紙片をオーダーを取る際に渡してくれて、そのサーヴィスにはおおいに頷いた。
82歳であったのか。大学での教鞭色など1960年代からアカデミックな活動をしていたようだが、ぼくは彼がブライアン・イーノのオブスキュア・レーベルから紹介された1980年前後に彼のことを知ったので、イーノと同年代かと思っていた。音響や反復の酩酊感などにも自覚的であった彼は、XTCのアンディ・パートリッジ、コクトー・トゥインズのロビン・ガスリー(2013年1月16日)、ダニエル・ラノワ(2012年1月16日、2013年7月31日、他)、ウルトラボックスにいたジョン・フォックス、PILにいたジョー・ウォブル(別のところに書いた原稿でふれたため当ブログには触れてないけど、2012年のフジ・ロックで彼を見たな)など、ポップ・ミュージック側にいる人たちと絡みもした。
▶︎過去の、ロビン・ガスリー
https://43142.diarynote.jp/201301211104381751/
▶︎過去の、ダニエル・ラノワ
https://43142.diarynote.jp/201201171011033219/
https://43142.diarynote.jp/201308061328468695/
<今日の、各様>
母親の将来を見越し、荻窪の病院にあるホスピスの面談を午前中にする。こういう場合は、ピアスを外しますね。入るときの検温は、34度代。それは、一緒に行った姉も同じだった。しかし、行き帰りに寒さを感じたなー。まだまだ序の口、この冬を乗り切る自信がありまっしぇーん。。帰りに、天ぷらを食べる。1ヶ月ほど前に久しぶりに天ぷら屋に入り、家で一番食べにくい〜作っても、お店とおいしさに落差がある最たる食べ物〜との話をしたが、本当にそう思うなー。なんか、外で食事をする際、天ぷらモードが続くかもしれない。つけていたマスクを挟む紙片をオーダーを取る際に渡してくれて、そのサーヴィスにはおおいに頷いた。
コメント