東銀座・松竹試写室で、9月25日から公開が始まる、2019年英国映画を見る。元オアシス(2000年2月29日、2009年3月20日)のフロント・マンを扱うドキュメンタリー映画で、音楽畑の映像にいろいろ関わるチャーリー・ライトニングとダブリン出身のドキュメンタリー映画畑のギャヴィン・フィッツジェラルドが監督している。ここ10年プライヴェイトな付き合いを持つライトニングとの信頼関係を元に(リアム・ギャラガーの独白映像が随所で出てくる)、フィッツジェラルドが映画としての質を盛ったという成り立ちを持つか。

 メガ・バンドであるオアシスにおける<世界一影響力を持つ兄弟喧嘩>の話は有名だが、この映画は2009年8月のフランスのフェスの出演直前に喧嘩をして、ライヴが中止→兄のノエル・ギャラガーがオアシス脱退を発表し、同バンドが活動休止となったところから始まる。

 結局、ノエルを除くメンバーでビーディ・アイと名前を代えて活動するものの、2枚のアルバムを残して2014年に解散。その後、ソロとなり新規蒔き直しの道をリアムは進むわけだが、映画は<喪失からの再生>、<どん底からの、栄光>をテーマに置いている。外様な聞き手であるぼくはビーディ・アイもそれなりの成功を納めていたように感じるが、映画は黄金の喉を持つものの曲作りはそれほど得意でないリアムにとってもうノエルの曲を歌えなくなったという事実が<喪失>であり、<どん底>であるとしているようにも深読みできる。

 映画の表題は、リアムの2017年ソロ・アルバム『アズ・ユー・ワー』と連動してのものだろう。実は、この映画はもともとその『アズ・ユー・ワー』のメイキング映像としてレコード会社(ワーナー・ブラザーズUK)が企画したものが拡大した。ゆえに、その総体は、もう竹を割ったような“リアムのプロパガンダ”作品という性格のものになっている。否定的な視点は一切ない。だが、当のリアムの発言や行動が人でなしだったりトホホだったりするので、そこから映画の陰影のようなものは醸し出される。

 母親のペギーも、ギャラガー3人兄弟の長男ポールも、3人の子供たち(他にも、いるはずだが)も屈託なく出てきて、全面協力。実家の場面もあり。あと、失意から這い上がりソロ活動に邁進できたのは、今のパートナーでマネイジャーも務める、オアシスはあんまし聞いてなかったというデビー・グワイサーの存在が重要であったことも示され、彼女もいろいろ登場する。

 リアムは相変わらず女々しくノエルの悪口大会を映画で続けているが、周辺親族は出てきても、ノエルは一切出てこない。なんかノエルの欠席裁判みたいな感じもあり、それについてはすこし後味の悪さも感じる。『アズ・ユー・ワー』発表後はオアシス登り坂期もびっくりなほど彼は精力的に世界中でライヴをやったそうで、日本の映像(2018年のツアーか)もほんの少し入る。

▶︎過去の、オアシス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-2.htm
https://43142.diarynote.jp/200903211331359083/

<最近の、リアム>
 欧州チャンピオンズ・リーグの対バイエルン戦での歴史的大敗の流れで、バルセロナの絶対的存在であるメッシの退団がこの10日間で既成事実になっている。リアム・ギャラガーは故郷のフットボール・クラブであるマンチェスター・シティのエンスージアストであるのは有名だが、そのシティがメッシの移籍先の筆頭にあがっていることを受けて、彼はメッシの移籍大歓迎の意を出している。追記)結局、契約の縛りで、メッシはバルセロナFC残留を発表した。
 鳴り物禁止のうちに〜ようは、心地よい試合観戦を妨げる応援団ノイズがないうちに〜、Jリーグの試合を見に行きたいが、無理かな。あー、バルセロナ→神戸のイエニスタもまだ生で見てないよーー。

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