西海岸のシンガー・ソングライターであり、マルチ・プレイヤーであり、アレンジやエンジニアリングもこなす才人〜西のトッド・ラングレン(2001年11月9日、2002年9月19日、2002年9月28日、2008年4月7日、2010年10月10日)と言う海外の知人がいたっけ〜の訃報が届いた。睡眠中に亡くなったとのこと。1960年代半ばにはガレージ・バンドのパレスガードにドラマーとして加わったりしていたが、まだ70歳であったのか。

 1967年にはローズ主体のグループ、ザ・メリー・ゴー・ラウンド(ラングレンに置き換えるならナッズと言える?)でA&Mからセルフ・タイトル作をリリース。そこに入った「タイム・ウィル・ショウ・ザ・ワイザー」はフェアポート・コンヴェンションが1968年作でディラン曲やジョニ・ミッチェル曲とともに取り上げた。その後、ローズは個人名のもとポッパーとして活動をはじめ、やはりA&Mから1970年にデビュー作を出している。だが、全部1人でまかなう彼の表現がアピールされたのは、1970年から73年にかけて3作品を出したABC/ダンヒル時代。弦音や管音が入った曲もあるが、クレジットを見ると1から10までローズ1人でやっている。

 だが、それ以後は表舞台から離れてしまい、彼は裏方家業に入る。それは3年で6枚リリースという契約をローズが守れず、ダンヒル側から訴えられ気分がだだ下がりになったからでもあった。だが、2016年にジェイソン・フォークナー(2009年11月16日)やロジャー・ジョセフ・マニングJr.ら旧ジェリーフィッシュ組がサウンド作りで助力した『Rainbow Ends』(Omnivore Recordings)で唐突に復活。そこには、エイミー・マン(2005年10月3日、2009年8月25日)、ジョン・ブライオン(2007年7月19日)、スザンナ・ホフス(2010年4月3日。彼女がいたバングルスも彼の曲を取り上げていた)、ネルス・クライン(2010年1月9日、2010年4月23日、2013年4月13日、2014年8月14日、2015年6月2日、2017年5月13日)のらの名前も見られた。

 実は、そんなにローズにはまったことはないが、彼の名前を見ると甘酸っぱい気持ちになる。なんかしょっちゅう海外取材に行っていたとき、取材相手のスタッフと意気投合し、ダンヒル盤をもらったんだよなー↑先のラングレンの例えはそいつによる。あのころ、弾けてたなー。

▶過去の、トッド・ラングレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/LIVE-2001-11.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/200804081929500000/
http://43142.diarynote.jp/201010111257003810/
▶︎過去の、ジェイソン・フォークナー
https://43142.diarynote.jp/200911171258036933/
▶︎過去の、エイミー・マン
https://43142.diarynote.jp/200510041102370000/
https://43142.diarynote.jp/200909091018074627/
▶︎過去の、ジョン・ブライオン
https://43142.diarynote.jp/200707232252110000/
▶︎過去の、スザンナ・ホフス
https://43142.diarynote.jp/201004080753113236/
▶過去の、ネルス・クライン
http://43142.diarynote.jp/?day=20100109 田村/藤井郷子ファースト・ミーティング
http://43142.diarynote.jp/201004250658039897/ ウィルコ
http://43142.diarynote.jp/201304150854159566/ ウィルコ
http://43142.diarynote.jp/201408161131356136/ チボ・マット
http://43142.diarynote.jp/201506070750376864/ ネルス・クライン・シンガーズ
https://43142.diarynote.jp/201705140938439184/ スコット・アメンドラ

<今日の、初めて>
 セミの鳴き声がちょい聞こえたときがあったよ。

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