アラマーイルマン・ヴァサラット(2009年10月2日、2013年4月7日)という変調ミクスチャー・プログ・ロック・グループを率いていたフィンランド人リード奏者のスタクラ(Jarno “Stakula” Sarkula)が、病気でポルトガルでお亡くなりになった。北の不思議の国たるフィンランドの奇妙な味を体現するキャラクターに富んだ人だった。彼はイヴェンターの愛に恵まれ、極東においては最上の活動をすることができた。最後は、明るく暖かい地を選んだのかな? 

▶︎過去の、アラマーイルマン・ヴァサラット
https://43142.diarynote.jp/200910111331493710/
https://43142.diarynote.jp/201304091016036527/

 また、著名ジャズ・ピアニストと同じ名前を持つ、米国著名アフリカ系偉人の訃報も届いた。マーティン・ルーサー・キング以後の公民権運動を主導したと言ってもいいだろう彼は、5月下旬のジョージ・フロイドの死を発端とするブラック・ライヴズ・マター運動の世界的な広がりをどう感じていたろうか。

 差別のひどいディープ・サウスのアラバマ州の田舎町に小作人の10人兄弟の3番目として生まれ、15歳にときにキング牧師の存在を知り、彼に傾倒。そして、神学校や大学に通いながら、非暴力の公民権運動に身を投じるようになり、若いながらキング牧師流れの活動団体の重要メンバーとなっていく。当然、数々の妨害や迫害を受け、投獄されたこともあった。

 1981年にアトランタ市議会議員に当選し、政界に進出。1986年には民主党ジョージア州選出下院議員となり、以後17期連続で議員を務めてきた。民主党の大統領予備選にも2度ほど出たことがあったという。昨年暮れに、末期のすい臓がんであることを公表。ルイスの姿勢は、<ハードコア・リベラル>と評されもした。なお、キング牧師やルイス議員とも親しく、やはり公民権運動に身を投じていたC・T・ヴィヴィアン牧師も同じ日に95歳でお亡くなりになった。

<先日の、誤解>
 「良かったあ。(携帯)メールを出してもつながらないので、死んじゃったのかと思ったー」。これ、ちょい前のずっと会ってはいなかった知人からの電話に出た際の、先方の最初の言葉。オレ、そんなに死にそうかい? 昨年12月から、携帯をドコモからauに変えた。だって、とっても安くなるんだもん。ハードも含めて。それによってドコモの携帯メールは使えなくなり、上のような顛末になったわけ。おれ、あんまりドコモのメールは使っていなかったので、まいっかとキャリアを代えたことを公表していなかった。今、文書連絡をすることができるツールはいくつもあるわけだし。他に、ドコモの携帯メールが繋がらなくなって困惑している人はいないよな。

コメント