破天荒にして。オルタナティヴ。天衣無縫ブラジリアン・ロックの総元締め、83歳ながらいやあ矍鑠。最高に颯爽としていていて、ブっとんでいた。三鷹市公会堂・光のホール。以下は、頭に残っていることを箇条書きにて。そのうち、ライヴ評が日経新聞電子版に出ます。 追記:一緒にショウを見た記者が内容の素晴らしさを認め、電子版だけでなく、その短縮ヴァージョンが夕刊文化欄にも掲載されることになった。ともに、11月28日の掲載です。
▶︎冒頭、赤いコートを着た御大が一人で出てきて、それだけで、皆の注視を誘う。千両役者! ▶︎そして、彼はバンド・メンバーをユーモアたっぷりに一人づつ呼び込む。陣容は、パーカッッション/マンドリン、エレクトリック・ギター、キーボード(女性)、エレクトリック・ベース、ドラム。ドラマー以外は皆コーラスをおおいにつける。▶︎その1曲目は、ギターのパート、キーボードのパート、リズムのパートを別々にちょい出しさせ、バンド・サウンドの妙を伝えんとするかのように、その後にせえのでバンド・サウンドを出す。▶︎そういった音の伝え方、見せ方はいろいろ。ときに、トン・ゼーがバンド・メンバーの方を向き、指揮するように嬌声をださせたり。なんか、フランク・ザッパやんけ? ▶︎また、トン・ゼーがアコースティック・ギターを手にする場合も3曲。うち、2曲はそれを弾かずに小道具として用いる。一つは座って、擬人化してそれを扱う。また、もう1曲ではパフォーマンス中にそれをバラバラにしていったり。▶︎また、黒いジャケットをわざわざ着て、それを歌いながら引きちぎっていくという曲もあった。▶︎曲は変テコな構成を持つアヴァン風味を持つものから、ボサノヴァ調+まで、本当にいろいろ。それらが、様々な趣向のもと、送り出されるわけで、ショウに接していると、ええっ次はどんなものが送り出されるのと本当にワクワク。大人の遊園地に来てアトラクションをいろいろと体験しているという形容はあり? ▶︎すべての曲で、背後にポルトガル語歌詞の日本語訳が出てくる。それ、荒唐無稽な言葉使いやストーリー運びをしていて、その大意を掴みづらいが、世のつまらぬ流儀なんかあっちへホイという自由な創造性を持つことはばっちり確認できる。▶︎また、ときにはスタッフにポルトガル語のMCを通訳させたりも。うち一つは政権批判は好きじゃないが、今の米トランプと懇意にするブラジル政府には異議を覚える。これはトランプを歌った曲だ、みたいな説明をしたあと、「ポリティカ」(だったかな?)という曲を披露。背後に出るトんだ歌詞を見て、そういう意図を持つ曲と感じる人は少ないだろうが、その題材からして比較的最新の曲なのだろうか。▶︎一部器用なんだか不器用なんだか分からないところがあって、フェニズムを出すために、彼は赤い女性用の下着を身につけて歌ったりもした。▶︎とにかく、シアトリカルなショウの進め方(一度は、床に倒れたりしたときもあった)は、多大に印象が残る。そして、それはどんどん連鎖して、大きく、破格な像を結ぶ。ある意味、体験。これは、すごいゾ。▶︎温もり満載なんだけど、キレキレ。朽ちることのない、飽くなき表現精神に乾杯。▶︎最後は、踊りたかったら皆んな前に来てという言葉もあり、客が前につめかけて大団円。▶そんな彼は83歳にして、初来日。歌声もよく出ていたし、随所随所にアクションし、身のこなしも基本軽い。本当に驚くしかない。▶また、いい人ビームもどばあっと横溢で、日本にこれて嬉しいという気分も望外にだしていて、ショウ終了後はファン対応を誠心誠意やったよう。
<今日の、驚き>
朝、外国人の友人から、ポール・バレル(2000年12月8日、2012年5月22日、2019年8月31日)が肝臓癌で亡くなった、とのメール。ええ? トップ・ページにその逝去を伝えるリトル・フィートのHPをはじめ、ネットを引くとその悲報が出ている。1948年7月3日〜2019年10月26日。肝臓病治療の副作用のため直近のツアー参加をキャンセルして、UCLA病院に入院していたよう。自宅はウェストウッドにあり(バーバンク生まれで、生粋のLAっこだった)、奥さんと3人の子供がいるとのこと。この8月末に来日したとき、彼だけ一人座って演奏しており、健康に陰りがあるのかもとは思っていたが、歌には味があり、死の影は感じなかった。リトル・フィートはぼくのロック心をもやした5傑に入る。ほんとうに本当に、あなたのギターや歌はぼくの心に刻まれています!
▶︎過去の、ポール・バレル/リトル・フィート
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/
▶︎冒頭、赤いコートを着た御大が一人で出てきて、それだけで、皆の注視を誘う。千両役者! ▶︎そして、彼はバンド・メンバーをユーモアたっぷりに一人づつ呼び込む。陣容は、パーカッッション/マンドリン、エレクトリック・ギター、キーボード(女性)、エレクトリック・ベース、ドラム。ドラマー以外は皆コーラスをおおいにつける。▶︎その1曲目は、ギターのパート、キーボードのパート、リズムのパートを別々にちょい出しさせ、バンド・サウンドの妙を伝えんとするかのように、その後にせえのでバンド・サウンドを出す。▶︎そういった音の伝え方、見せ方はいろいろ。ときに、トン・ゼーがバンド・メンバーの方を向き、指揮するように嬌声をださせたり。なんか、フランク・ザッパやんけ? ▶︎また、トン・ゼーがアコースティック・ギターを手にする場合も3曲。うち、2曲はそれを弾かずに小道具として用いる。一つは座って、擬人化してそれを扱う。また、もう1曲ではパフォーマンス中にそれをバラバラにしていったり。▶︎また、黒いジャケットをわざわざ着て、それを歌いながら引きちぎっていくという曲もあった。▶︎曲は変テコな構成を持つアヴァン風味を持つものから、ボサノヴァ調+まで、本当にいろいろ。それらが、様々な趣向のもと、送り出されるわけで、ショウに接していると、ええっ次はどんなものが送り出されるのと本当にワクワク。大人の遊園地に来てアトラクションをいろいろと体験しているという形容はあり? ▶︎すべての曲で、背後にポルトガル語歌詞の日本語訳が出てくる。それ、荒唐無稽な言葉使いやストーリー運びをしていて、その大意を掴みづらいが、世のつまらぬ流儀なんかあっちへホイという自由な創造性を持つことはばっちり確認できる。▶︎また、ときにはスタッフにポルトガル語のMCを通訳させたりも。うち一つは政権批判は好きじゃないが、今の米トランプと懇意にするブラジル政府には異議を覚える。これはトランプを歌った曲だ、みたいな説明をしたあと、「ポリティカ」(だったかな?)という曲を披露。背後に出るトんだ歌詞を見て、そういう意図を持つ曲と感じる人は少ないだろうが、その題材からして比較的最新の曲なのだろうか。▶︎一部器用なんだか不器用なんだか分からないところがあって、フェニズムを出すために、彼は赤い女性用の下着を身につけて歌ったりもした。▶︎とにかく、シアトリカルなショウの進め方(一度は、床に倒れたりしたときもあった)は、多大に印象が残る。そして、それはどんどん連鎖して、大きく、破格な像を結ぶ。ある意味、体験。これは、すごいゾ。▶︎温もり満載なんだけど、キレキレ。朽ちることのない、飽くなき表現精神に乾杯。▶︎最後は、踊りたかったら皆んな前に来てという言葉もあり、客が前につめかけて大団円。▶そんな彼は83歳にして、初来日。歌声もよく出ていたし、随所随所にアクションし、身のこなしも基本軽い。本当に驚くしかない。▶また、いい人ビームもどばあっと横溢で、日本にこれて嬉しいという気分も望外にだしていて、ショウ終了後はファン対応を誠心誠意やったよう。
<今日の、驚き>
朝、外国人の友人から、ポール・バレル(2000年12月8日、2012年5月22日、2019年8月31日)が肝臓癌で亡くなった、とのメール。ええ? トップ・ページにその逝去を伝えるリトル・フィートのHPをはじめ、ネットを引くとその悲報が出ている。1948年7月3日〜2019年10月26日。肝臓病治療の副作用のため直近のツアー参加をキャンセルして、UCLA病院に入院していたよう。自宅はウェストウッドにあり(バーバンク生まれで、生粋のLAっこだった)、奥さんと3人の子供がいるとのこと。この8月末に来日したとき、彼だけ一人座って演奏しており、健康に陰りがあるのかもとは思っていたが、歌には味があり、死の影は感じなかった。リトル・フィートはぼくのロック心をもやした5傑に入る。ほんとうに本当に、あなたのギターや歌はぼくの心に刻まれています!
▶︎過去の、ポール・バレル/リトル・フィート
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/
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