アジムス・ウィズ・マルコス・ヴァーリ。ウッタ・ギダ
2019年10月27日 音楽 南青山・ブルーノート東京。1980年代はUSマイルズトーンと契約し米国進出も果たしていたブラジリアン・フュージョンの大御所であるアジムス(2011年6月15日)に、ジャズの才も持つブラジリアン・ポップの大家マルコス・ヴァーリ(2002年11月7日、2003年10月24日、2008年4月28日、2010年5月25日、2014年4月22日、2016年10月8日)がゲスト入りするという公演。ファースト・ショウ、満場。
長年トリオ編成で来ているアジムスはアレックス・マリェイロス(ベース)、イヴァン・コンチ(ドラムス)、キコ・コンティネンティーノ(キーボード)という陣容。前回の来日公演は黄金期メンバーによるものであったが、2012年に亡くなったホセ・ベルトラミに代わり今回は別の鍵盤奏者がつき、そつなく旧メンバーと重なる。3人はときに曲趣を高めるスキャットも入れた。
ブラジリアン・アクセントや同メロディの差し込みも持つ、くつろいだフュージョン。ぼくは、旧態依然のフュージョンという言葉も用いたくもあり、そろそろ変化が欲しいなと思えたとき、30分ぐらいたったところでヴァーリ御大がトランペットとフリューゲルホーンのジェッセ・サドッキを伴い登場する。その1曲めはインストだった。そしたら、アジムスの演奏も熱を帯び、おお。以下は、マルコス・ヴァーリとバック・バンドという形のショウになる。
フェンダー・ローズ(主体。一部、ピアノ音色めのキーボードも弾く)を弾きながら、悠々と歌っていくヴァーリのパフォーマンスには心底うなずく。接しながら、どんどん自分がウッキッキになるが分かり、オレってこんなにヴァーリのことが大好きだったのかと少し驚く。いやあ、いい味を感じてしまったなあ。ジェッセ・サドッキの演奏もこういう音楽性の場合はリード系管楽器よりもマウス・ピース系のそれのほうがとっても合うという事実を語るとても的を射た演奏をする。また、途中からは年齢は半分ほどだろう奥様のパトリシア・アルヴィ(2016年10月8日)も出てきて、コーラスをする。
結局、80分ほどのパフォーマンス。とにかく、ヴァーリの無形の“黄金”に触れることができて、ぼくはたいそう満たされた気持ちになった。そういえば、ヴァーリの「サマー・サンバ」とアジムスの「ヴォオ・ソブリ・オ・オリゾンチ」をマッシュ・アップした曲も面々は披露した。
▶︎過去の、アジムス
https://43142.diarynote.jp/201106161121512700/
▶過去の、マルコス・ヴァーリ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm 11月7日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm 10 月24日
http://43142.diarynote.jp/200805031401060000/
http://43142.diarynote.jp/201006031537221581/
http://43142.diarynote.jp/201404260858553785/
https://43142.diarynote.jp/201610140945007657/
そして、間を少しおいて、代官山・晴れたら空に豆まいて で、ウッタ・ギダという出し物を見る。それ、Salyu(2011年8月7日、2013年8月11日)と内橋和久(2004年7月6日、2005年9月6日、2007年1月27日、2009年9月27日、2010年9月11日、2011年5月22日、2012年6月17日、2014年9月7日、2018年7月16日、2019年4月17日)のデュオ。内橋の響き漂うエレクトリック・ギター演奏のもと、Salyuの透明感と含みを抱えるヴォーカルが舞う。その二人のパフォーマンスを書き記せば、そうなるか。このデュオ、過去にも行われているよう。
実はもう少し二人がその場で丁々発止する行き方をとり、ときに途中からどんどん飛躍していく〜それは、いわゆるジャズ的な流儀を取るものではないにせよ〜のかと想像するところもあったのだが、それはあまりなし。もっと曲の形を尊重し、お互いにその曲に寄り添いながら、よりしなやかでふわふわしたヴォーカル表現/音場を作っていた。とはいえ、両者の息遣いの重なりは、確かに楽曲に水を与えてもいた。たくさん歌われた曲はチャップリン「スマイル」やバーンスタイン「サムホエア」など海外有名曲からSalyuの持ち歌までたっぷり、様々。
▶︎過去の、Salyu
https://43142.diarynote.jp/201108101635051749/
https://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
▶過去の、内橋和久
http://43142.diarynote.jp/200407062149440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050906
http://43142.diarynote.jp/?day=20070127
http://43142.diarynote.jp/?day=20090927
http://43142.diarynote.jp/?day=20100911
http://43142.diarynote.jp/?day=20110522
http://43142.diarynote.jp/?day=20120617
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
https://43142.diarynote.jp/201807171220429185/
https://43142.diarynote.jp/201904180943312064/
<今日の、意見の相違>
ブルーノート東京と晴れたら空に豆まいて の間に時間があったので、会場であった人たちと飲み屋に流れる。そしたら、他の人はアジムスの演奏が良くて、もっと彼らだけの演奏が長くてもよかった、とのこと。ハイ、人の好みは様々です。
長年トリオ編成で来ているアジムスはアレックス・マリェイロス(ベース)、イヴァン・コンチ(ドラムス)、キコ・コンティネンティーノ(キーボード)という陣容。前回の来日公演は黄金期メンバーによるものであったが、2012年に亡くなったホセ・ベルトラミに代わり今回は別の鍵盤奏者がつき、そつなく旧メンバーと重なる。3人はときに曲趣を高めるスキャットも入れた。
ブラジリアン・アクセントや同メロディの差し込みも持つ、くつろいだフュージョン。ぼくは、旧態依然のフュージョンという言葉も用いたくもあり、そろそろ変化が欲しいなと思えたとき、30分ぐらいたったところでヴァーリ御大がトランペットとフリューゲルホーンのジェッセ・サドッキを伴い登場する。その1曲めはインストだった。そしたら、アジムスの演奏も熱を帯び、おお。以下は、マルコス・ヴァーリとバック・バンドという形のショウになる。
フェンダー・ローズ(主体。一部、ピアノ音色めのキーボードも弾く)を弾きながら、悠々と歌っていくヴァーリのパフォーマンスには心底うなずく。接しながら、どんどん自分がウッキッキになるが分かり、オレってこんなにヴァーリのことが大好きだったのかと少し驚く。いやあ、いい味を感じてしまったなあ。ジェッセ・サドッキの演奏もこういう音楽性の場合はリード系管楽器よりもマウス・ピース系のそれのほうがとっても合うという事実を語るとても的を射た演奏をする。また、途中からは年齢は半分ほどだろう奥様のパトリシア・アルヴィ(2016年10月8日)も出てきて、コーラスをする。
結局、80分ほどのパフォーマンス。とにかく、ヴァーリの無形の“黄金”に触れることができて、ぼくはたいそう満たされた気持ちになった。そういえば、ヴァーリの「サマー・サンバ」とアジムスの「ヴォオ・ソブリ・オ・オリゾンチ」をマッシュ・アップした曲も面々は披露した。
▶︎過去の、アジムス
https://43142.diarynote.jp/201106161121512700/
▶過去の、マルコス・ヴァーリ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm 11月7日
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-10.htm 10 月24日
http://43142.diarynote.jp/200805031401060000/
http://43142.diarynote.jp/201006031537221581/
http://43142.diarynote.jp/201404260858553785/
https://43142.diarynote.jp/201610140945007657/
そして、間を少しおいて、代官山・晴れたら空に豆まいて で、ウッタ・ギダという出し物を見る。それ、Salyu(2011年8月7日、2013年8月11日)と内橋和久(2004年7月6日、2005年9月6日、2007年1月27日、2009年9月27日、2010年9月11日、2011年5月22日、2012年6月17日、2014年9月7日、2018年7月16日、2019年4月17日)のデュオ。内橋の響き漂うエレクトリック・ギター演奏のもと、Salyuの透明感と含みを抱えるヴォーカルが舞う。その二人のパフォーマンスを書き記せば、そうなるか。このデュオ、過去にも行われているよう。
実はもう少し二人がその場で丁々発止する行き方をとり、ときに途中からどんどん飛躍していく〜それは、いわゆるジャズ的な流儀を取るものではないにせよ〜のかと想像するところもあったのだが、それはあまりなし。もっと曲の形を尊重し、お互いにその曲に寄り添いながら、よりしなやかでふわふわしたヴォーカル表現/音場を作っていた。とはいえ、両者の息遣いの重なりは、確かに楽曲に水を与えてもいた。たくさん歌われた曲はチャップリン「スマイル」やバーンスタイン「サムホエア」など海外有名曲からSalyuの持ち歌までたっぷり、様々。
▶︎過去の、Salyu
https://43142.diarynote.jp/201108101635051749/
https://43142.diarynote.jp/201308130851402454/
▶過去の、内橋和久
http://43142.diarynote.jp/200407062149440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050906
http://43142.diarynote.jp/?day=20070127
http://43142.diarynote.jp/?day=20090927
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http://43142.diarynote.jp/?day=20110522
http://43142.diarynote.jp/?day=20120617
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
https://43142.diarynote.jp/201807171220429185/
https://43142.diarynote.jp/201904180943312064/
<今日の、意見の相違>
ブルーノート東京と晴れたら空に豆まいて の間に時間があったので、会場であった人たちと飲み屋に流れる。そしたら、他の人はアジムスの演奏が良くて、もっと彼らだけの演奏が長くてもよかった、とのこと。ハイ、人の好みは様々です。
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