映画「サウナのあるところ」
2019年8月8日 音楽 アップリンク渋谷で、2010年フィンランド映画の試写を見る。フィンランドと日本の外交関係樹立100周年という名目のもと、9年前に本国公開された映画が9月中旬から日本でも上映される。監督と脚本は、ヨーナス・バリヘルとミカ・ホタイネン。音楽は控え目にニュー・エイジ・ミュージックやライト・クラシックふうなものが使われ、それはヨーナス・ボーリンという人が担当している。
サウナ発祥の地でバカみたいにサウナの数を持ち、日常生活とサウナが密接にあるというフィンランドならではのドキュメンタリー映画だ。老夫婦が仲睦まじくサウナに入っているシーンから始まるが、あとはずっと男同士がサウナに入り、語り合うシーンで映画は埋められる。と書くと、日本における銭湯や湯治場でのくつろいだ裸の付き合いとそれが生む素の会話のようなものを収めたほのぼの人情作であるように思われるだろうが……。実際、それぞれの人生のようなものは浮き上がるのだが、とにもかくにも、出演者たちが語る話が暗い。なかには、8年間だかの“お勤め”の後に女性と巡り会えこんな俺でも3児に恵まれ幸せという人やデカい熊と仲良く暮らしている老人(その様はサイコーだな)もいたが、もう多くは辛いハナシ。語っていて、自ら涙ぐむ人も複数いるもんなあ。うーむ、フィンランド……。まあ、サウナは知人同士によるセラピー的な場であるということを、映画では語っている。
描かれる季節は夏場だろう。ときどき、自然の風景もインサートされる。ほんの一瞬だけ、雪が積もった時期、サンタクロースの格好をした人たちの映像も出てくるが、これが全面的に冬場の映像だったらまたまったく異なるトーンの映画になったと思われる。日本でサウナというと木でできた立派なハコというイメージもあるが、あちらはトレーラー・ハウスや掘っ建て小屋やテント型のものや電話ボックスのようなガラス製の細い長方体に一人で入っているものまでいろいろ。サウナの一角に置かれた熱された石群に水をかけ蒸気を発生させる〜それ、ロウリュと呼ぶらしい〜があちらでは一般的のよう。それ、儀式みたいとも思わせる。書き遅れたが、映画の原題は「Miesten Vuoro」、英題だと「Steam of Life」となる。それから、サウナのシーンが大半なので、きれいとはいいがたいおっさんや老人の裸は山ほど。R-15指定映画であるのは、そのせい? そっちのほうのフェチの方は必見ですね。
<今日の、ボケ>
オレ、考えてみれば、ちゃんとサウナの恩恵を享受したことがないのではないか。行った先の施設にあり、サウナ室のなかに入ったことはあるが、我慢とかが嫌いで快感は最後にとっておこうとかいう性癖もないために、すぐに外に出てしまっているよな。そんなぼくなのでこの場合、ほとんど米国黒人音楽を聞かない人がブルース映画を見るような感じもあるかと。この映画を見て、猛烈にサウナに行きてえと思ったりはまったくなかった。それ、今の気候のせいもあるのかもしれないが。どうして、かの北の国であんなにサウナが普及したかといったら、普段接せない高温多湿な、日常と一線を画した場をなんとか作り出したかったからじゃないかと、この映画を見て思えたりもした。出演者たちが普段の作業着を来て歌(トラッドなのかな?)を歌うシーンが繋がれるエンディングがなんかとっともいい感じ。ネタばれ、すみません。それにしても、フィンランド語はまったくわからない。北欧系の言葉は本当に難しそうと思わずにはいられないナ。映画を見た後、日も暮れつつあったので少し”渋谷パトロール”。ああ、今学校は夏休みなんだなと、肌で感じる。本を読まないのに本を買っちゃったり、電気屋で余分な機器を思わず買ってしまったり。だめだ、頭の判断機能が鈍っている……。
サウナ発祥の地でバカみたいにサウナの数を持ち、日常生活とサウナが密接にあるというフィンランドならではのドキュメンタリー映画だ。老夫婦が仲睦まじくサウナに入っているシーンから始まるが、あとはずっと男同士がサウナに入り、語り合うシーンで映画は埋められる。と書くと、日本における銭湯や湯治場でのくつろいだ裸の付き合いとそれが生む素の会話のようなものを収めたほのぼの人情作であるように思われるだろうが……。実際、それぞれの人生のようなものは浮き上がるのだが、とにもかくにも、出演者たちが語る話が暗い。なかには、8年間だかの“お勤め”の後に女性と巡り会えこんな俺でも3児に恵まれ幸せという人やデカい熊と仲良く暮らしている老人(その様はサイコーだな)もいたが、もう多くは辛いハナシ。語っていて、自ら涙ぐむ人も複数いるもんなあ。うーむ、フィンランド……。まあ、サウナは知人同士によるセラピー的な場であるということを、映画では語っている。
描かれる季節は夏場だろう。ときどき、自然の風景もインサートされる。ほんの一瞬だけ、雪が積もった時期、サンタクロースの格好をした人たちの映像も出てくるが、これが全面的に冬場の映像だったらまたまったく異なるトーンの映画になったと思われる。日本でサウナというと木でできた立派なハコというイメージもあるが、あちらはトレーラー・ハウスや掘っ建て小屋やテント型のものや電話ボックスのようなガラス製の細い長方体に一人で入っているものまでいろいろ。サウナの一角に置かれた熱された石群に水をかけ蒸気を発生させる〜それ、ロウリュと呼ぶらしい〜があちらでは一般的のよう。それ、儀式みたいとも思わせる。書き遅れたが、映画の原題は「Miesten Vuoro」、英題だと「Steam of Life」となる。それから、サウナのシーンが大半なので、きれいとはいいがたいおっさんや老人の裸は山ほど。R-15指定映画であるのは、そのせい? そっちのほうのフェチの方は必見ですね。
<今日の、ボケ>
オレ、考えてみれば、ちゃんとサウナの恩恵を享受したことがないのではないか。行った先の施設にあり、サウナ室のなかに入ったことはあるが、我慢とかが嫌いで快感は最後にとっておこうとかいう性癖もないために、すぐに外に出てしまっているよな。そんなぼくなのでこの場合、ほとんど米国黒人音楽を聞かない人がブルース映画を見るような感じもあるかと。この映画を見て、猛烈にサウナに行きてえと思ったりはまったくなかった。それ、今の気候のせいもあるのかもしれないが。どうして、かの北の国であんなにサウナが普及したかといったら、普段接せない高温多湿な、日常と一線を画した場をなんとか作り出したかったからじゃないかと、この映画を見て思えたりもした。出演者たちが普段の作業着を来て歌(トラッドなのかな?)を歌うシーンが繋がれるエンディングがなんかとっともいい感じ。ネタばれ、すみません。それにしても、フィンランド語はまったくわからない。北欧系の言葉は本当に難しそうと思わずにはいられないナ。映画を見た後、日も暮れつつあったので少し”渋谷パトロール”。ああ、今学校は夏休みなんだなと、肌で感じる。本を読まないのに本を買っちゃったり、電気屋で余分な機器を思わず買ってしまったり。だめだ、頭の判断機能が鈍っている……。
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