UKロック史に残るロック・ギタリストであるミック・ロンソンを扱う2017年ドキュメンタリー映画(監督をしているは同国エンターテインメント界で力を持つ、1950年生まれのジョン・ブリューワー)を、渋谷・シネクイントで見る。去年サッカーW杯TV観戦流れで行った知人宅で酩酊見したDVDは、これだったのか。

 ハンサム君。ロンソンを見た女性は誰でも彼とやりたがるという話が映画中に出てきたが、かもねと頷ける。

 1946〜1993年、肝臓ガンで死去。なにより、デイヴィッド・ボウイの躍進期である1970〜1973年に彼の側近だった御仁だ。ロッカーへの夢破れ故郷のハル(サッカー・ファンにはおなじみの地名ですね)で庭師をしていたときに、ボウイ・バンドのドラマーをしていた旧友の紹介で道が開けたという話にはあらら。その頃、トニー・ヴィスコンティ(2015年7月7日)はボウイと一緒に住んでいたり、成人後に楽譜を独学したロンソンがボウイ表現の弦アレンジを担当、ステージでのアトラクティヴさを支えるとともに、バンド表現の屋台骨を背負っていたとは、知らなかった。

 中盤までは、ロンソンの存在を借りたボウイのサイド・ストーリーという観もある。英国のボウイのマネージメント会社が一瞬スティーヴィー・ワンダー(2005年11月3日、2010年8月8日、2012年3月5日)と契約をしかかった(が、破れ、ボウイ売出しに力を注いだ)とか、彼のロックロール曲「ジーン・ジニー」のリフはチェスのブルース・マンみたいだろとロンソンが発言する場面もある。

 ボウイから離れた前後から、イアン・ハンターやルー・リード(ハル訛りがきつくて何を言っているか分からなかった、と彼は発言)、1970年代中期のボブ・ディラン(彼のレコーディングやローリング・サンダー・レヴューに関与するくだりの話がもっとほしかったなー)、モリッシーなどの表現にロンソンが関与することも紹介。というわけで、その才能や格好よさをちゃんと伝えるつつ、(その才能に比すなら)不遇のロッカーであることも映画は伝えようとしているか。ボウイ、彼の昔の奥さんだったアンジー・ボウイ、ロンソンの妹、ヴィスコンティ、同時期にボウイ作に録音参加していた鍵盤奏者のリック・ウェイクマン、ロンソンの後釜ギタリストのアール・スリック(2016年5月5日)、写真家のミック・ロック、クィーンのロジャー・テイラーらいろんな人々の証言映像が出て来て、過去の映像や画像はよく集めているのではないだろうか。

 そういえば、ロンソンのボウイ・バンド在籍期のあたり日本ではグラム・ロックと呼ばれるが、その単語は出てこなかったような。また、あまり私生活のことは語られていないが、彼の娘リサ・ロンソン(2015年7月7日、2016年5月5日)は少なくても2度は日本にシンガーとして来ている。

 頭と終わりは、1992年ウェンブリーのサッカー・スタジアムでのフレディ・マーキュリー追悼コンサートでボウイと共演している映像だ。

▶︎過去の、トニー・ヴィスコンティ
https://43142.diarynote.jp/201507090944439091/
▶過去の、スティーヴィー・ワンダー
http://43142.diarynote.jp/200511130015240000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
▶︎過去の、アール・スリック
https://43142.diarynote.jp/201605170941039984/
▶︎過去の、リサ・ロンソン
https://43142.diarynote.jp/201507090944439091/
https://43142.diarynote.jp/201605170941039984/

<その後の、パーティ>
 虎ノ門・ホテルオークラで持たれた、アイルランド大使館主催の“セント・パトリックス・デイ”を祝うレセプションに行く。ジャケットには、緑色のポケット・チーフを入れたナリ……。普段大使公邸でやるパーティの大きめのやつかと思ったら、もっと格式高くて、すんごい広いところでものすごい人がいてびっくり。各国の大使館関係者も多いようで、外国人比率もかなり高い。入場時に、大使夫妻、そしてちょうど来日中の文化大臣(女性。ダブリン生まれで、政治家家系ながら放送畑出身とか)がいて、丁寧に来場者と言葉を交わす。大使とは一言ジャズの話をし、初めて会う大臣に自己紹介すると、すかさず好きなアイルランドの音楽はと問われる。答えを考えていたら、すぐに「U2(2006年12月4日)?」と言ってくる。いや、今はトラッド音楽のほうを聞く機会が多いですねと模範的な(?)答えをしておいた。
 会場前方にはアイルランド、日本、EUの旗が置かれ、冒頭にはフィドルとかの演奏で、君が代、アイルランド国家、知らない曲(EUの曲なんてあるの?)の3つが演奏される。それに続く、大使挨拶ではまずニュージーランドで起きた死者多数のテロ事件への言及がまずあり、黙祷がなされた。
▶︎過去の、ポール・ガヴァナ大使
https://43142.diarynote.jp/201812091225184437/
▶︎過去の、U2
https://43142.diarynote.jp/200612070141170000/

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