kokotob

2018年7月16日 音楽
 ちょうど1年前に届いたCDのことを欄外に書いている(http://43142.diarynote.jp/201707281227278311/ )が、その作者であるベルリンのトリオであるkokotobが13日から日本ツアー中。日程を見るとこの暑いなか北海道から関西まで毎日公演が入っていて大変だなあ。その、新宿・ピットイン公演を見る。ヴァイブラフォンの齊藤貿子、クラリネットとバスクラリネットのトビアス・シルマー、ピアノのニコ・マインホルドがその構成員で、曲紹介のMCは3人がそれぞれ取った。

 1部は、そのアルバム『Flying Heart』(Clean Feed)に繋がる演奏を聞かせる。ミニマル・ミュージック的な音の重なりや現代音楽的なアンサンブルも介しつつ、メロディや情緒が鮮やかに沸き立つ演奏は個性と鮮烈さを持つ。やはり、息を飲んじゃう。一聴しなやか〜流麗な重なりを展開しつつ、端々に奏者としての研鑽の高さも十全にアピール。また、魅惑的な間や響きもそれらは抱え、齊藤はボウを手にし、鍵の横をこすって効果的に音をだしたりもする。その最後の曲には、ダブル・ベースの瀬尾高志(2010年9月11日、2016年9月27日)が加わった。

 2部はすべて瀬尾、そしてダクソフォン(わりと新しい歴史の、木製エレクトリックな共鳴型実験楽器)とギターの内橋和久(2004年7月6日、2005年9月6日、2007年1月27日、2009年9月27日、2010年9月11日、2011年5月22日、2012年6月17日、2014年9月7日)も入った5人によるパフォーマンス。瀬尾と齊藤は今回初顔合わせながら同じ札幌出身で、すでに顔見知りの内橋は同じベルリン在住なはずだ。

 1曲がずっと長くなるこちらは一応素材となる曲はあるものの(1曲はシルマーが書いた「びっくり」という曲であることが告げられた)、完全なフリー・ジャズ流儀に基づく演奏。もう、5者が鋭敏にアンテナを張り巡らし、思うまま反応しあい、爆発する。kokotobの演奏だけを聞くとその3人はクラシックの素養も濃く持つ奏者たちなのかとも思ってしまうが、この2部に接すると完全なフリー・インプロヴィゼイションの担い手じゃんと痛感させられちゃう。いやあ、皆んな活き活き。2部では多くをマレット一本づつ持ちであたっていた齊藤はぼくが知っているなかで一番強靭な現役ヴァイブラフォン奏者であるとも思わせられた。ツアーは21日まで持たれ、最後の会場は渋谷・公園通りクラシックスだ。

▶過去の、内橋和久
http://43142.diarynote.jp/200407062149440000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20050906
http://43142.diarynote.jp/?day=20070127
http://43142.diarynote.jp/?day=20090927
http://43142.diarynote.jp/?day=20100911
http://43142.diarynote.jp/?day=20110522
http://43142.diarynote.jp/?day=20120617
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
▶︎過去の、瀬尾高志
http://43142.diarynote.jp/201009231546089571/
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/

<今日の、記憶>
 齊藤は桐朋を経てベルリン行きを決めたのは、NY生まれの広角型ジャズ・ヴァイブブラフォン奏者であるデイヴィッド・フリードマン(その初吹き込みは、1975年リリースの日本制作のイースト・ウィンド盤。その後はエンヤ他からリーダー作を順次リリースしている。彼は、ティム・バックリー、シック、ビリー・ジョエルなどスタジオ奏者活動もばりばりやっていたという印象がある)がベルリン大学でジャズ・コース教鞭をやっていたからのよう。そして、その後はずっとベルリン在住という。彼女は、彼のプロデュースでソロ演奏作も出していますね。1週間前にはやはりベルリン在住のアリス・フィービー・ルーのショウを見てもいて、ベルリンという場に対して思いはいろいろと向くなあ。ぼくがベルリンに、ロンドンに行ったついでによったのは大昔。そのとき、(当時はまったく知らなかったが)有名な初夏のベルリン・フィルの野外公演に知人にぐうぜん連れていってもらったんだよな。今も門外漢だが、そのころはクラシックなんか見向きもせず、ベルリン・フィルの名声なんかこれっぽち知らなかったが、あのデカい野外会場と、皆んな酒や食い物を手にピクニック気分で乗り込み、やんやのロックのりで乱暴に観演していた様にはかなり度肝を抜かれた。あれに触れていなかったら、高尚を気取りたい人の音楽というぼくのクラシックに対する印象は今もまったく和らいでいないかもしれない。とにかく、あのときはぼくの知らない、文化/生活様式が歴然とあることに大きく頷いてしまったんだよなあ。

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