合衆国が生んだ新旧の鬼才、デトロイト・テクノの巨匠(今はパリ在住?)とミニマル・ミュージックのリジェンドの顔合わせがなされた公演。渋谷・www X。各々単独公演も組まれているが、よくぞ一緒のやつも組んだよなあ。今回、そこにファナ・モリーナ(2002年9月7日、9月15日。2003年7月29日、2011年8月1日、2013年12月3日、2015年2月6日、2016年3月17日、2017年8月18日)も入り三つ巴のブッキングがなされているが、前回見てからあまり経っていないので、彼女絡みは今回はパス。共演があるかどうか、判別しなかったし。

 先発は、ジェフ・ミルズ。スタンディングであり、お酒を買いに行きたいので後方に立ったが、ステージの様はまったく見えない。音はいい感じ。響く音やノイズが魅惑的に連鎖、一つの世界を形作っていく。それ、詩的と言ってもいいかな。ダンス性は低めだが、それはその後に出てくるライリーの出し物との兼ね合いを考慮した部分はあったか。彼に、ぼくは知的というか思慮深いイメージを持つ。

 そして、機材とともにドラムが置いてあるのか、電気音に生音ぽいシンバル音やバスドラ音が入る場合もあり。ステージ後ろには映像が流れるが、あれは必要であったか? それを流すのだったら、彼のオペレートをおさえた映像を見せて欲しかった。だって、彼がどんなことをやっているか一切見えないのは、それ自体は臨機応変な流れを持っていたとしても、PC音を流されているのと変わらないから。オペレーションの様をまっすぐに収めたDVD商品も出している彼ゆえ、リアルタイムな所作をヴィジョンに映すのを嫌がるとも思えない。同年代の知人と話したら、あのブラックボックスの様にはフラストレーションを感じたと言っていたが、若い聞き手は何も疑問を持たないのだろうか。演奏が終わり、彼が立ち上げりやっと姿を確認。善人そうだな。

 休憩を挟んでのライリー実演は、エレクトリック・ギター奏者(息子らしい。なら、ギャン・ライリー。二人は2000年代にけっこうデュオ・ライヴをやっているようで、それらを集めた『Terry Riley and Gyan Riley Live』を2011年に出している)を伴ってのもの。で、グランド・ピアノに座った彼はそれをなでつつ、歌い始めてびっくり。それ、知る人ぞ知る中近東のスッコーンと抜けた弾き語りの担い手、なんて言われたら信じそう? 基本は少し反復フレイズも少し出しつつ、気ままにたゆたふ手癖ピアノを弾くインスト表現というもの。ギター奏者はそれに寄り添い、ときには御大をリードするようなところもあって善戦。ミルズはときに電気キーボードも弾き、ぼくはそちらの方がいいゾ、らしいぢゃんと思えた。携帯アプリもお茶目に使おうとしたみたいだが、それは不発、ピアニカも弾いた。その天真爛漫にいろんなことをやっていく様は昔のエルメート・パスコアール(2004年11月6日、2017年1月8日)的とも思えたかも? 82歳、自然体で矍鑠としていました。まあ、根気もなくなっていてもいるのだろうが、過去の財産に寄りかかっていないのにも共感が持てた。

 最後に、一緒にやるとは。拍手。ミルズのビートにライリーが乗る。

▶過去の、ファナ・モリーナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm トゥルー・ピープルズ・セレブレーション(7日)、モリーナ&カブサッキ(15日)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20110801 コンゴトロニクスvs.ロッカーズ
http://43142.diarynote.jp/201312171240301597/
http://43142.diarynote.jp/201502071011467530/
http://43142.diarynote.jp/201603221010109346/
http://43142.diarynote.jp/201708191803252111/

<今日の、ありゃ>
 会場のカウンターに、クレジット会社のマークが。一杯購入でも使えるようで、外国人客の不満から、そうするようになったそう。オリンピックに向けて、こういうことはより進むか。この件はいいと思うが、海外のダメ慣習への迎合もなされたりしたらやだなあ。しかし、今日の出し物、ジェフ・ミルズとテディ・ライリー(1980年代後期のUSソウルのメインストリーム的な動き“ニュー・ジャック・スウィング”の立役者)のダブル・ビル公演だと思っていた知り合いがいた。妙な組み合わせとは感じつつ、テリー・ライリーのことを知らないと、米国ブラック・ダンス音楽の一時代をともに築いいたということでそちらの方を想起するのか。でも、やったら意外にソツなく重なったりしてなあ。それが、米国ブラック・ミュージックの底力というものです。

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