いやあ、世界は広いし、文化の差異って本当に素敵、というか面白い。スアール・アグンに接した人は誰もがそう思ったのはないか。都立大学・めぐろパーシモンホール。

 スアール・アグン(2002年8月24日)はバリ島のジェゴグ・アンサンブルのグループで、竹製の大きな鍵盤打楽器が広いステージ上にずらり。それだけで、壮観。イヴェンターのカンバセーション社があったときは毎年のように彼らの来日公演をしていて、楽器がずっと日本に置かれていて、当初はそれを用いる予定であったという。だが、経年劣化のため使えないことがわかり、一式をインドネシアから船便で送り、最初の公演が持たれたいわきで数日かけてそれらは組み立てられたそう。

 演奏者たちと何人かの舞踏者、合わせて20人強。ダンサーが出ない演奏だけの曲の方が多いが、竹楽器群の響きの重なりがすごい。とともに、プリミティヴな楽器構造上出せる音階は少なく、それゆえのメロディ〜反復感覚もまた独自の手触りとともに、聞く者の身体の奥底にある何かを刺激する。会場に竹の音が満ち、大げさに言えば、会場全体が巨大な音響装置として化す……。そこらへん、適切に説明するのが難しいが、バリ島〜ガムランすげえと、子供のようにうなってしまう。とともに、視覚的な効果もあって、冒頭に書いた感興を得てしまうのだ。リーダーのおじさんの奥さんは日本人とかで、割と流暢な日本語でコミュニケーションをするが。

 メロディの発展が限られた現況、倍音や響きやスケールの取り方がこれからもモダン・ミュージックの鍵になる……。とともに、エレクトロ/機械経由の表現がリードする今、もう一度、生音/生楽器が新鮮さを導く手段となりえてもおかしくないのではないか。

▶︎過去の、スアール・アグン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm

<今日の、マント・ショウ>
 竹のオーケストラの表現に接していると、宗教と結びついた音楽であるということも思わずにはいられない。音楽的行為を介して神に近づくという側面もそこにはあるだろう。だって、ある意味トランス・ミュージックでもあり、最後の方に入神状態となり倒れた奏者がいたから。で、その失神者をスタッフたちがステージ袖に動かす。その様は、なんかジェイムズ・ブラウンのマント・ショウの如し。いかにもの、エンターテインメント性も持つ。ショウの最後に坊さんのような人からお清めを受けるという図も、同様。だが、ツアーを一緒に回っていた人によると、もっと多くの人数が倒れる公演もあったし、横で見ていると目元が怪しくなり、これは倒れると分かるのだそう。聖なるものと笑いの感覚が繋がる、ふむそれもいいではないか。

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