映画「ジャニス リトル・ガール・ブルー」
2016年6月20日 音楽 ジャニス・ジョップリンの生涯を描く2015年米国ドキュメンタリー映画を、渋谷・映画美学校試写室で見る。この9月から公開となる。映画の表題となるのは、リチャード・ロジャースとロレンツ・ハートのコンビが1935年のミュージカル「ジャンボ」に音楽を提供した際の1曲で、ニーナ・シモンのヴァージョンはわりとよく知られるか。ジョプリンは1969年作で、ズタボロになった少女の様が歌われるこの曲を切なげに取り上げていた。この映画を見た後だと、<まるで、自らの様を重ねるように…..>と、書きたくなるか。
醜女であることのコンプレッックスをバネにし、男性天下だったロック界の壁を破るかのように凛と中央に立った人物というようなイメージを彼女に漠然と持っていたが、基本はそういう視点で(それだけでは、当然ないが。薬渦やオトコ関係も色々示される)描かれていると言っていいのかな。レコーディング中にホテルでオーヴァードーズにて一人亡くなることを告げる前に、「メンバーは家に帰ると妻や子が待っているが、私は一人」というような彼女の言葉も紹介される。エンディングには、メリッサ・エスリッジやピンクといった自立女性ロッカーの草分けといったような主旨の発言も紹介される。
監督は、1970年生まれのドキュメンタリー畑の女性であるエイミー・バーグ。プロデューサーのアレックス・ギブニーはマーティン・シコセッシが総指揮した“ザ・ブルース・ムーヴィ・プロジェクト”でも制作をしていた人物だ。
掘り起こした映像や写真と関連者の発言を組み合わせるという手法はその常道にあるもの。ジョプリンは育った家庭には問題がなく(中産階級、少し上といった感じか)3人姉弟で、現在の妹と弟も証言者として出てくるが、二人はとても常識人ぽく、品が良かった。映画はジョプリンが親に宛てた手紙がところどころでト書きのように用いられるが、本作は遺族の協力のもと仕上がっている。その手紙の書面も出てくるが、結構うまい字なんじゃないかと思った。ナレーションは、キャット・パワー(2003年1月9日、2010年1月17日)が担当している。
国籍も生まれた時代も家庭環境もまったく異なるのに、やはり少し前にドキュメンタリー映画を見たエイミー・ワインハウスの一生を頭の中で重ねてしまう。ルーツィな黒人音楽に体当たりしていた白人女性であり、同じ27歳で薬とお酒で亡くなったという共通点はあるのだが。両方とも喉自慢だが、それについては、ぼくはワインハウスの歌唱の方がより図抜けていたと今感じるか。
劇中には映画にもなった「フェスティヴァル・エクスプレス」(2004年10月19日)の模様も少し出てくるが、いろいろな新しい価値観やロックをはじめとするユース・カルチャーが台頭していた時期のもろもろをいろいろと感じてしまいもする。それは、カントリー・ジョー・マクドナルドらおじいちゃんになった当事者たちの今の映像を見ると余計に......。
▶︎過去の、「ザ・ブルース・ムーヴィ・プロジェクト」
http://43142.diarynote.jp/200407062149440000/
▶過去の、キャット・パワー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-1.htm
http://43142.diarynote.jp/201001181042244374/
▶︎過去の、エイミー・ワインハウスの映画
http://43142.diarynote.jp/201606161722265703/
▶︎過去の、映画「フェスティヴァル・エクスプレス」
http://43142.diarynote.jp/200410240628530000/
<今日の、かなしみ>
使っているマック・ブック・プロのキーボードとパッドの調子が2台とも悪く、あ“あああという感じで文章を打っていたのだが、ついにそれも限界と感じ、大嫌いなアップル社のマック・ブック・プロをまたまたまたまたまた購入。ずっとニュー・モデルが発表されておらずなんとか新マック・ブック・プロ発売まで我慢しようと思っていたのだが、ダメだった。なんせ、アップル・ストアでは無金利で24ヶ月分割支払いができますというジャパネットタカタのようなキャンペーンを今月30日までやっているので、相当な末期モデルと言っていいのだろう。あーあ、普通なら買い物した場合はウキウキできるはずなのに、なんか晴れやかではない。うー、サファリもワードもなんか使いづらい〜。それは、新しいのを購入した時は毎度のことだが。おー、ビッグ・ボーイ・ブルー?
醜女であることのコンプレッックスをバネにし、男性天下だったロック界の壁を破るかのように凛と中央に立った人物というようなイメージを彼女に漠然と持っていたが、基本はそういう視点で(それだけでは、当然ないが。薬渦やオトコ関係も色々示される)描かれていると言っていいのかな。レコーディング中にホテルでオーヴァードーズにて一人亡くなることを告げる前に、「メンバーは家に帰ると妻や子が待っているが、私は一人」というような彼女の言葉も紹介される。エンディングには、メリッサ・エスリッジやピンクといった自立女性ロッカーの草分けといったような主旨の発言も紹介される。
監督は、1970年生まれのドキュメンタリー畑の女性であるエイミー・バーグ。プロデューサーのアレックス・ギブニーはマーティン・シコセッシが総指揮した“ザ・ブルース・ムーヴィ・プロジェクト”でも制作をしていた人物だ。
掘り起こした映像や写真と関連者の発言を組み合わせるという手法はその常道にあるもの。ジョプリンは育った家庭には問題がなく(中産階級、少し上といった感じか)3人姉弟で、現在の妹と弟も証言者として出てくるが、二人はとても常識人ぽく、品が良かった。映画はジョプリンが親に宛てた手紙がところどころでト書きのように用いられるが、本作は遺族の協力のもと仕上がっている。その手紙の書面も出てくるが、結構うまい字なんじゃないかと思った。ナレーションは、キャット・パワー(2003年1月9日、2010年1月17日)が担当している。
国籍も生まれた時代も家庭環境もまったく異なるのに、やはり少し前にドキュメンタリー映画を見たエイミー・ワインハウスの一生を頭の中で重ねてしまう。ルーツィな黒人音楽に体当たりしていた白人女性であり、同じ27歳で薬とお酒で亡くなったという共通点はあるのだが。両方とも喉自慢だが、それについては、ぼくはワインハウスの歌唱の方がより図抜けていたと今感じるか。
劇中には映画にもなった「フェスティヴァル・エクスプレス」(2004年10月19日)の模様も少し出てくるが、いろいろな新しい価値観やロックをはじめとするユース・カルチャーが台頭していた時期のもろもろをいろいろと感じてしまいもする。それは、カントリー・ジョー・マクドナルドらおじいちゃんになった当事者たちの今の映像を見ると余計に......。
▶︎過去の、「ザ・ブルース・ムーヴィ・プロジェクト」
http://43142.diarynote.jp/200407062149440000/
▶過去の、キャット・パワー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-1.htm
http://43142.diarynote.jp/201001181042244374/
▶︎過去の、エイミー・ワインハウスの映画
http://43142.diarynote.jp/201606161722265703/
▶︎過去の、映画「フェスティヴァル・エクスプレス」
http://43142.diarynote.jp/200410240628530000/
<今日の、かなしみ>
使っているマック・ブック・プロのキーボードとパッドの調子が2台とも悪く、あ“あああという感じで文章を打っていたのだが、ついにそれも限界と感じ、大嫌いなアップル社のマック・ブック・プロをまたまたまたまたまた購入。ずっとニュー・モデルが発表されておらずなんとか新マック・ブック・プロ発売まで我慢しようと思っていたのだが、ダメだった。なんせ、アップル・ストアでは無金利で24ヶ月分割支払いができますというジャパネットタカタのようなキャンペーンを今月30日までやっているので、相当な末期モデルと言っていいのだろう。あーあ、普通なら買い物した場合はウキウキできるはずなのに、なんか晴れやかではない。うー、サファリもワードもなんか使いづらい〜。それは、新しいのを購入した時は毎度のことだが。おー、ビッグ・ボーイ・ブルー?
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