1年とちょいという短い間を置いて来日公演を行うスコットランドのインストゥメンタル・ロック・バンド(1999年11月22日、2001年4月26日、2004年10月4日、2006年11月11日、2015年3月9日)の公演は、新作『アトミック』に沿った内容を持つ。同作は彼らが音楽を担当したBBCのドキュメンタリー番組『Atomic : Living in Dread and Promise』のサウンドトラックで、今回公演はそのTV番組映像をまんま流し、モグワイの面々(ステージ上には6人いたか)がそれに合わせて演奏した。六本木・EXシアター。

 映像は淡々と原子力と人類の関わりを記録したいろいろな映像を並べていく。うぬ、正の面も出てはくるのだが、やっぱりそのヤバい面が重く、強調されて行くよなあ。ショウはステージ背面に大写しされるその映像が主で、ステージ上の面々には光が当てられることもなく、モグワイの演奏は完全に従。音楽自体もサントラゆえ、通常の刺っぽさは控え目ではある。だが、彼らが映像にぴったりと音楽を付けて行く様は何気に感心。これまで、モグワイについて演奏能力が凄いと思ったことはなかったが、これには頷く。とともに、この核を扱ったドキュメンタリーの音楽を頼まれたことに、彼らが誉れに感じていることも痛感させられた。

 何気に、この100年は原子力/核のそれにあたるのかと思わさせられたりもした。でもって、広島(長崎)と福島とデカい複数の項目を日本のことで占められている事実にも改めて驚き、悲しくなる。そんな項目を英国も抱えていたら、このドキュメンタリーはまったく違ったものになったはずと思わずにはいられなかった。
 
 実のところ、今回の公演は賛否両論であったよう。彼らの熱心なファンはもっとモグワイが中心にいる、音楽主体のショウを求めたがるのも分らなくはないが。熱心なファンでないぼくにとっては、この複合的なショウにとっても興味深く接することができた。次に見るライヴのため、最後まで見ずに席を立ったが、ああこの人怒って中座したんだと思われなかったことを祈る。

▶過去の、モグワイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://43142.diarynote.jp/200410071545330000/
http://43142.diarynote.jp/200611190244590000/
http://43142.diarynote.jp/201503100909524035/

 南青山・ブルーノート東京で、ニューオーリンズの長寿ブラス・バンドであるリバース・ブラス・バンド(2004年9月17日、2007年2月6日)を見る。全6人。トランペット、トロンボーン、サックスが前に立ち、スーザフォン、スネア、ベース・ドラム担当の3人が後列。太鼓の2人はシンバルも少し叩く。ベース・ドラムのキース・フレイザーのみがオリジナル・メンバーであるという。

 管楽器奏者の数がもう少し欲しいとは思ったが、ニューオーリンズらしい妙味はもちろん受けられる。途中、「ドント・ストップ・ティル・ユー・ゲット・イナフ」と「ビリー・ジーン」という、マイケル・ジャクソン曲を2つ演奏。ほう、全然ボロボロにならず、サマになる。やっぱり、彼らはそれなりに上手いんだなと思わせられた次第。また本編最後には、セカンド・ラインで場内を練り歩いた。

▶過去の、リバース・ブラス・バンド
http://43142.diarynote.jp/200410071540230000/
http://43142.diarynote.jp/200702122331460000/

<今日の、事実>
 故プリンス(2002年11月19日)の追悼原稿を書くためにもろもろを掘り起こしたりしていたのだが、2000年代を回ってからの彼のライヴに顕著なのは、ブラス奏者をずらりとそろえ、ブラス・セクション咆哮のドキドキや肉感性や娯楽性を実に効果的に盛り込んでいたということ。そして、その中にはニューオーリンズ調のブラス・バンド的な凹凸も間違いなく見え隠れしていて、プリンスが同地のブラス表現をも参照していたのは間違いない。プリンスに音楽的影響を与えた父親のジョン・ネルソン(プリンスは1980年代中期に数曲お父さんの名前を作曲家クレジットに出す)はニューオーリンズ生まれだった。
▶過去の、プリンス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-11.htm

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