フレッド・ハーシュ。J=J
2015年11月26日 音楽 丸の内・コットンクラブで、フレッド・ハーシュ(2013年4月18日)のソロ・パフォーマンスを見る。この日は、1ショウのみの設定。
元気そうだし、60歳だそうだが年齢より若く見えるかも(少し、青年ぽい)とふと思う。何よりじゃ。ピアノに向き合い、自然体で指を這わせる。そんな彼の2015年作はやはりソロによるもので、スタンダードや自作曲を、詩的な粒立ちとともに開いている。彼はそこでジョニ・ミッチェルの初期人気曲「ボース・サイズ・ナウ」も取り上げていたが、この晩はその曲も披露。散文的に諦観心象が綴られ、<私は今、両側から雲を見た>と歌われる(たぶん、そういう内容の曲)歌詞が浮かんでくるような気がした。
比較的穏健な行き方のもと、随所でさりがなく刺を散りばめたり、舌を出したりする演奏指針。そして、右手と左手の噛み合いに技あり、妙味あり。けっこう左手の流れに留意してしまい、いろいろ頷く。品格のある白人ジャズ・ピアノ、一つの確かなカタチ。ピアノ・ソロというとピンと張りつめた空気に満ち、徒労を覚えてしまう場合もあるが、彼の肩の力がぬけた演奏はそれもなかった。でも、そこらへんは、演奏曲ともども日によって変わるかも。。。。
▶過去の、フレッド・ハーシュ
http://43142.diarynote.jp/201304211110267820/
その後は、新宿・ピットイン。ポーランドの跳ねっ返りピアニストのヨアンナ・ドゥダ(2014年7月9日)とやはりポーランド人ドラマーのヤン・ムウィナルスキのデュオ、J=Jをファースト・セットの途中から見る。ドゥダはピアノとともに、キーボード/PCなども用いてムウィナルスキと渡り合うが、前回見たアコースティック・ピアノだけの演奏よりこっちのほうがずっと面白い。瞬発力と定石外しのひねりあり。一部、シャソル(2015年5月30日)のような味も感じさせたのは想定外。←素晴らしい。
レギュラー・グリップで叩いていたドラマーのヤン・ムウィナルスキは、いかにも今のジャズ・ドラマー。定型のパルス感を内なる柱に置きつつ、そこから一歩出て、ほつれたビートを飄々として繰り出して行くタイプ。今、あちこちにこの手のドラマーはいるのだろうな。
セカンド・セットはNobuhiko ‘Ebizo’ Tanuma(ベース)、BUCCI(トランペット)、Yama a.k.a.Sahib(dj)という3人の日本人ミュージシャンとのセッション。こちらのほうではデュダは電気キーボードのみを弾く。面白いフレイズの入れ方をしていたな。
▶過去の、ドゥダ
http://43142.diarynote.jp/201407101008118006/
▶過去の、シャソル
http://43142.diarynote.jp/201505310957591440/
<今日の、デイヴィッド・ボウイ>
来年早々にリリースされるデイヴィッド・ボウイの新作『★』(ブラックスターと読むよう)が攻めているし、おもしろい。かつてのボウイ表現の立役者で前作『ザ・ネクスト・デイ』の制作もしていたトニー・ヴィスコンティ(2015年7月7日)との共同プロデュース作品。昨年秋に敏腕ジャズ・アレンジャー/バンド・リーダーのマリア・シュナイダー(2012年12月17日、2013年12月17日)との共作曲「スー」が公になっていたが、それとほんの少し繋がるような在NYのジャズ畑にいる奏者を起用してのもの。ただし、「スー」は今回のメンバーで取り直されている。
サックスのダニー・マッキャスリン(クリス・クロス、サニーサイ、カム・ジャズ、グリーンリーフなどから10作を超えるリーダー作を出している)、キーボード のジェイソン・リンドナー(2009年5月15日)、ギターのベン・モンダー(名前は出ていないが、2005年7月3日公演に同行)、電気ベースのティム・ルフェーヴル(2010年2月19日、2014年2月11日)、ドラムのマーク・ジュリアナ(2015年3月13日)、打楽器のジェイムス・マーフィーという6人の奏者がサポート。まず、おおって思わせられるのは基本スタジオ・ミュージシャン的な使われ方がされているものの(でも、居場所の異なる奏者を起用した効果は出ていると思う)、マーク・ジュリアナだけはその手腕の妙味大発揮の演奏をしていること(あと、サックス音も大活躍していて、耳に残る)。ジュリアナが送り出す今のプログラム感性を束ねた人力ビートのもと、帯状と形容したくなる楽器音が敷かれ、その上にボウイの詠唱(どれも、エフェクトが噛まされている)が思うまま投げ出される……と、その内容は説明できるか。
ちゃんとメロディのある曲もあるが、主となるのはポップ・ソングの定型から離れた所に存在する意志を持つ、アブストラクトとも言えるだろう、流動性の高い、大人なヴォーカル・パフォーマンス曲。それはボウイが印象的な曲を書けなくなっていることの裏返しかもしれぬが、よくぞ新たな奏者や環境を介して、新たな立ち処/シンガー回路をボウイはモノにしたなと思わせる。とともに、旧い聞き手には『ロウ』をはじめ何度か鮮やかにワープしてきた彼の真骨頂を感じてしまうのではないのか。しかし、一部ストリングのアレンジもしているヴィスコンティはこの夏に後ろ向きロッカー像を出した来日ライヴをしていたりもするわけで、イケてる本作を聞くと、なんか狐につままれた気持ちにもなる。もし今年に『★』が出ていたら、十分に2015年のベスト10候補の対象になると、ぼくは判断した。なお、歌詞については不毛に思え、まったく訳がわからんかった。
▶過去の、トニ—・ヴィスコンティ
http://43142.diarynote.jp/201507090944439091/
▶過去の、マリア・シュナイダー・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/201212190844487864/
http://43142.diarynote.jp/201312181034409673/
▶過去の。ジェイソン・リンドナー
http://43142.diarynote.jp/200905161026033788/
▶過去の、ベン・モンダー
http://43142.diarynote.jp/200507061225530000/
▶過去の、ティム・ルフェーヴル
http://43142.diarynote.jp/201002211122268480/
http://43142.diarynote.jp/201402121439433317/
▶過去の、マーク・ジュリアナ
http://43142.diarynote.jp/201503150906115048/
元気そうだし、60歳だそうだが年齢より若く見えるかも(少し、青年ぽい)とふと思う。何よりじゃ。ピアノに向き合い、自然体で指を這わせる。そんな彼の2015年作はやはりソロによるもので、スタンダードや自作曲を、詩的な粒立ちとともに開いている。彼はそこでジョニ・ミッチェルの初期人気曲「ボース・サイズ・ナウ」も取り上げていたが、この晩はその曲も披露。散文的に諦観心象が綴られ、<私は今、両側から雲を見た>と歌われる(たぶん、そういう内容の曲)歌詞が浮かんでくるような気がした。
比較的穏健な行き方のもと、随所でさりがなく刺を散りばめたり、舌を出したりする演奏指針。そして、右手と左手の噛み合いに技あり、妙味あり。けっこう左手の流れに留意してしまい、いろいろ頷く。品格のある白人ジャズ・ピアノ、一つの確かなカタチ。ピアノ・ソロというとピンと張りつめた空気に満ち、徒労を覚えてしまう場合もあるが、彼の肩の力がぬけた演奏はそれもなかった。でも、そこらへんは、演奏曲ともども日によって変わるかも。。。。
▶過去の、フレッド・ハーシュ
http://43142.diarynote.jp/201304211110267820/
その後は、新宿・ピットイン。ポーランドの跳ねっ返りピアニストのヨアンナ・ドゥダ(2014年7月9日)とやはりポーランド人ドラマーのヤン・ムウィナルスキのデュオ、J=Jをファースト・セットの途中から見る。ドゥダはピアノとともに、キーボード/PCなども用いてムウィナルスキと渡り合うが、前回見たアコースティック・ピアノだけの演奏よりこっちのほうがずっと面白い。瞬発力と定石外しのひねりあり。一部、シャソル(2015年5月30日)のような味も感じさせたのは想定外。←素晴らしい。
レギュラー・グリップで叩いていたドラマーのヤン・ムウィナルスキは、いかにも今のジャズ・ドラマー。定型のパルス感を内なる柱に置きつつ、そこから一歩出て、ほつれたビートを飄々として繰り出して行くタイプ。今、あちこちにこの手のドラマーはいるのだろうな。
セカンド・セットはNobuhiko ‘Ebizo’ Tanuma(ベース)、BUCCI(トランペット)、Yama a.k.a.Sahib(dj)という3人の日本人ミュージシャンとのセッション。こちらのほうではデュダは電気キーボードのみを弾く。面白いフレイズの入れ方をしていたな。
▶過去の、ドゥダ
http://43142.diarynote.jp/201407101008118006/
▶過去の、シャソル
http://43142.diarynote.jp/201505310957591440/
<今日の、デイヴィッド・ボウイ>
来年早々にリリースされるデイヴィッド・ボウイの新作『★』(ブラックスターと読むよう)が攻めているし、おもしろい。かつてのボウイ表現の立役者で前作『ザ・ネクスト・デイ』の制作もしていたトニー・ヴィスコンティ(2015年7月7日)との共同プロデュース作品。昨年秋に敏腕ジャズ・アレンジャー/バンド・リーダーのマリア・シュナイダー(2012年12月17日、2013年12月17日)との共作曲「スー」が公になっていたが、それとほんの少し繋がるような在NYのジャズ畑にいる奏者を起用してのもの。ただし、「スー」は今回のメンバーで取り直されている。
サックスのダニー・マッキャスリン(クリス・クロス、サニーサイ、カム・ジャズ、グリーンリーフなどから10作を超えるリーダー作を出している)、キーボード のジェイソン・リンドナー(2009年5月15日)、ギターのベン・モンダー(名前は出ていないが、2005年7月3日公演に同行)、電気ベースのティム・ルフェーヴル(2010年2月19日、2014年2月11日)、ドラムのマーク・ジュリアナ(2015年3月13日)、打楽器のジェイムス・マーフィーという6人の奏者がサポート。まず、おおって思わせられるのは基本スタジオ・ミュージシャン的な使われ方がされているものの(でも、居場所の異なる奏者を起用した効果は出ていると思う)、マーク・ジュリアナだけはその手腕の妙味大発揮の演奏をしていること(あと、サックス音も大活躍していて、耳に残る)。ジュリアナが送り出す今のプログラム感性を束ねた人力ビートのもと、帯状と形容したくなる楽器音が敷かれ、その上にボウイの詠唱(どれも、エフェクトが噛まされている)が思うまま投げ出される……と、その内容は説明できるか。
ちゃんとメロディのある曲もあるが、主となるのはポップ・ソングの定型から離れた所に存在する意志を持つ、アブストラクトとも言えるだろう、流動性の高い、大人なヴォーカル・パフォーマンス曲。それはボウイが印象的な曲を書けなくなっていることの裏返しかもしれぬが、よくぞ新たな奏者や環境を介して、新たな立ち処/シンガー回路をボウイはモノにしたなと思わせる。とともに、旧い聞き手には『ロウ』をはじめ何度か鮮やかにワープしてきた彼の真骨頂を感じてしまうのではないのか。しかし、一部ストリングのアレンジもしているヴィスコンティはこの夏に後ろ向きロッカー像を出した来日ライヴをしていたりもするわけで、イケてる本作を聞くと、なんか狐につままれた気持ちにもなる。もし今年に『★』が出ていたら、十分に2015年のベスト10候補の対象になると、ぼくは判断した。なお、歌詞については不毛に思え、まったく訳がわからんかった。
▶過去の、トニ—・ヴィスコンティ
http://43142.diarynote.jp/201507090944439091/
▶過去の、マリア・シュナイダー・オーケストラ
http://43142.diarynote.jp/201212190844487864/
http://43142.diarynote.jp/201312181034409673/
▶過去の。ジェイソン・リンドナー
http://43142.diarynote.jp/200905161026033788/
▶過去の、ベン・モンダー
http://43142.diarynote.jp/200507061225530000/
▶過去の、ティム・ルフェーヴル
http://43142.diarynote.jp/201002211122268480/
http://43142.diarynote.jp/201402121439433317/
▶過去の、マーク・ジュリアナ
http://43142.diarynote.jp/201503150906115048/
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