ここに来て、まさかUKロック界の名プロデューサーがアーティストとして前に立ったライヴを見る機会があるとは思わなかった。デイヴィッド・ボウイやT・レックスは、もし彼が手掛けていなかったら? という、“たら”の項目で語れるかもしれないビッグ・ネームですね。そんな偉人ヴィスコンティはなんの気負いもなく一番最初にステージにあがり、エレクトリック・ベースを手にする。おお、フツーに弾くぢゃん。そういえば、ポール・マッカートニーが彼のベースを評価しているという話があったか。1941年、NY生まれ。飄々とした彼は年齢よりも若く感じられるし、パっと見た目は素直そうで、偉そうなところもまったくない。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。ヴィスコンティと同等に名前が出されているウッディ・ウッドマンジーは、『スペース・オディティ』(1969年)から『アラジン・セイン』(1973年)あたりにかけてデイヴィッド・ボウイの屋台骨を支えたドラマーだ。溜め(ポケット)はないが、叩き込むパワー・ドラマーですね。今回の彼らの双頭公演はボウイの1970年作『世界を売った男』の楽曲を演奏するというお題目がつけられており、全曲をやるのは今回の日本が最初である由を、ヴィスコンティはMCした。
リズム・セクションを組むその二人に加え、リード・ヴォーカル、ギター3(うち、一人は12弦アコースティック・ギターを弾き、終盤はテナー・サックスも吹いた)、キーボード(女性)、女性バックグランド・ヴォーカル2という布陣で事にあたる。コーラス隊の2人はヴィスコンティの娘と、ヴィスコンティ関与期+のデイヴィッド・ボウイのバンドでギターを弾き(そのころ、ルー・リードにも重用された)、ソロとしても活動したミック・ロンソン(1993年死去)の娘だそう。
演目は告知通りに、『世界を売った男』をまんまやる。まず、すぐに合点がいったのは音がデケえ。でも、皆、演奏はちゃんとしていた。リード・ヴォーカルを取ったのは、ヘヴン17のグレン・グレゴリー。おお、出音の大きなバンド音に負けない、朗々とした、確かな歌い口。ボウイの強い残像を内に抱える人以外は、彼の歌に納得がいったのではないか。
その後、アルバム曲を全部やったあとは、初期ボウイ有名曲を続々と披露。「チェンジズ」、「タイム」、「サフラゲット・シティ」、等々。ヴィスコンティ不関与の曲もやったはずだが、マッケンジーが全部叩いた曲ではあるのか。そういえば、ボウイやミック・ロンソンが関与したイアン・ハンターのモット・フープルのアンセム臭あふれる「すべての若き野郎ども」もやった。
後ろ向きといえばそうなのだが、ぼくは楽しんだ。これが、もっと思い入れのあるT・レックスだったら。いやはや。
その後、丸の内・コットンクラブで、LAを拠点とするサラ・ガザレク(2006年3月22日、2007年12月27日、2008年3月13日、2012年7月4日)とジョシュ・ネルソン(2006年3月22日、2008年3月13日、2012年7月4日)のデュオを聞く。2人は大学時代からの付き合いで、今回のデュオ公演は2人でレコーディングした『デュオ』(アル・シュミットの制作/録音)をフォロウするもの。
グレッチェン・パーラト(2009年2月3日、2012年2月22日、2013年3月19日)の影響で少し変なヘア・スタイルをしているガザレククはさすが安定した、テンダーな歌い口を見せる。とともに、改めて、変な澱がついておらず、ある種の澄んだ感覚が魅力のジャズ系シンガーであるとも思った。ジョシュ ・ネルソンの作った曲やポップ曲も取り上げ、ジャズを存分に通ったMOR系シンガーという位置を求めんとする姿勢も自然に伝わるし、それは彼女にあっているとも思わせられる。彼女はボニー・レイット(2007年4月6日)が歌った1991年ヒット曲「アイ・キャント・メイク・ユー・ラヴ・ミー」も原曲を尊重する形でやったが、その際に「カントリー・シンガーの、ボニー・レイットの曲」と彼女は紹介。その括りの雑さには、少し悲しくなった。
今回、デュオということで、ネルソンのピアノにはより耳が向く。実は、ガザレクのヴォーカル以上に、ぼくはネルソンの驚くほど粒立ちのいいピアノ音に耳を奪われた。今回の彼はけっこう伴奏スタンスの弾き方で、そんなにソロも取らなかったのに……。左右のバランス/噛み合いにたけた、どこか今様でもある品のいい弾き口はもっと注視を受けていいはず。5枚はリーダー作を持っている彼だが、けっこういろんなことをやっているんだよなー。
▶過去の、サラ・ガザレク
http://43142.diarynote.jp/200603281332270000/
http://43142.diarynote.jp/200712291957590000/
http://43142.diarynote.jp/200803141250260000/
http://43142.diarynote.jp/201207071327008624/
▶過去の、ジョシュ・ネルソン
http://43142.diarynote.jp/200603281332270000/
http://43142.diarynote.jp/200803141250260000/
http://43142.diarynote.jp/201207071327008624/
▶過去の、パーラト
http://43142.diarynote.jp/200902040424558168/
http://43142.diarynote.jp/201202251301444372/
http://43142.diarynote.jp/201303221327416224/
▶過去の、ボニー・レイット
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
<今日は、七夕>
ここのところ、梅雨梅雨した天候が続き積極性を奪いがち……。ビルボードライブ東京の実演に触れてそうかと思ったのは、1970年のある時期までは、ロック界はギブソン・ギターの時代であったのか、ということ。だって、2人の電気ギター奏者はともにレス・ポール型のギターを持ち、ヴィスコンティもSGタイプのショート・スケールを弾いていたから。なんか、重そうな感じがして、レス・ポールに興味を持ったことがないためもあるが、げんざい家に残っているギターはフェルナンデスのストラトと初期フェンダー・ジャパンのテレキャス(その品揃えで、あまり楽器にお金をかけない人物であるのが分りますね。まあ、そのぶん、レコードをばかばか買っていたからなー)で全部フェンダー系のそれだよなあ。その後、轟音で少し死んだ耳にて、繊細なデュオ演奏に接するしかなかったのは残念。最後によったバーで、短冊にとんでもないことを書いた気がするが……。
六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。ヴィスコンティと同等に名前が出されているウッディ・ウッドマンジーは、『スペース・オディティ』(1969年)から『アラジン・セイン』(1973年)あたりにかけてデイヴィッド・ボウイの屋台骨を支えたドラマーだ。溜め(ポケット)はないが、叩き込むパワー・ドラマーですね。今回の彼らの双頭公演はボウイの1970年作『世界を売った男』の楽曲を演奏するというお題目がつけられており、全曲をやるのは今回の日本が最初である由を、ヴィスコンティはMCした。
リズム・セクションを組むその二人に加え、リード・ヴォーカル、ギター3(うち、一人は12弦アコースティック・ギターを弾き、終盤はテナー・サックスも吹いた)、キーボード(女性)、女性バックグランド・ヴォーカル2という布陣で事にあたる。コーラス隊の2人はヴィスコンティの娘と、ヴィスコンティ関与期+のデイヴィッド・ボウイのバンドでギターを弾き(そのころ、ルー・リードにも重用された)、ソロとしても活動したミック・ロンソン(1993年死去)の娘だそう。
演目は告知通りに、『世界を売った男』をまんまやる。まず、すぐに合点がいったのは音がデケえ。でも、皆、演奏はちゃんとしていた。リード・ヴォーカルを取ったのは、ヘヴン17のグレン・グレゴリー。おお、出音の大きなバンド音に負けない、朗々とした、確かな歌い口。ボウイの強い残像を内に抱える人以外は、彼の歌に納得がいったのではないか。
その後、アルバム曲を全部やったあとは、初期ボウイ有名曲を続々と披露。「チェンジズ」、「タイム」、「サフラゲット・シティ」、等々。ヴィスコンティ不関与の曲もやったはずだが、マッケンジーが全部叩いた曲ではあるのか。そういえば、ボウイやミック・ロンソンが関与したイアン・ハンターのモット・フープルのアンセム臭あふれる「すべての若き野郎ども」もやった。
後ろ向きといえばそうなのだが、ぼくは楽しんだ。これが、もっと思い入れのあるT・レックスだったら。いやはや。
その後、丸の内・コットンクラブで、LAを拠点とするサラ・ガザレク(2006年3月22日、2007年12月27日、2008年3月13日、2012年7月4日)とジョシュ・ネルソン(2006年3月22日、2008年3月13日、2012年7月4日)のデュオを聞く。2人は大学時代からの付き合いで、今回のデュオ公演は2人でレコーディングした『デュオ』(アル・シュミットの制作/録音)をフォロウするもの。
グレッチェン・パーラト(2009年2月3日、2012年2月22日、2013年3月19日)の影響で少し変なヘア・スタイルをしているガザレククはさすが安定した、テンダーな歌い口を見せる。とともに、改めて、変な澱がついておらず、ある種の澄んだ感覚が魅力のジャズ系シンガーであるとも思った。ジョシュ ・ネルソンの作った曲やポップ曲も取り上げ、ジャズを存分に通ったMOR系シンガーという位置を求めんとする姿勢も自然に伝わるし、それは彼女にあっているとも思わせられる。彼女はボニー・レイット(2007年4月6日)が歌った1991年ヒット曲「アイ・キャント・メイク・ユー・ラヴ・ミー」も原曲を尊重する形でやったが、その際に「カントリー・シンガーの、ボニー・レイットの曲」と彼女は紹介。その括りの雑さには、少し悲しくなった。
今回、デュオということで、ネルソンのピアノにはより耳が向く。実は、ガザレクのヴォーカル以上に、ぼくはネルソンの驚くほど粒立ちのいいピアノ音に耳を奪われた。今回の彼はけっこう伴奏スタンスの弾き方で、そんなにソロも取らなかったのに……。左右のバランス/噛み合いにたけた、どこか今様でもある品のいい弾き口はもっと注視を受けていいはず。5枚はリーダー作を持っている彼だが、けっこういろんなことをやっているんだよなー。
▶過去の、サラ・ガザレク
http://43142.diarynote.jp/200603281332270000/
http://43142.diarynote.jp/200712291957590000/
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▶過去の、ジョシュ・ネルソン
http://43142.diarynote.jp/200603281332270000/
http://43142.diarynote.jp/200803141250260000/
http://43142.diarynote.jp/201207071327008624/
▶過去の、パーラト
http://43142.diarynote.jp/200902040424558168/
http://43142.diarynote.jp/201202251301444372/
http://43142.diarynote.jp/201303221327416224/
▶過去の、ボニー・レイット
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/
<今日は、七夕>
ここのところ、梅雨梅雨した天候が続き積極性を奪いがち……。ビルボードライブ東京の実演に触れてそうかと思ったのは、1970年のある時期までは、ロック界はギブソン・ギターの時代であったのか、ということ。だって、2人の電気ギター奏者はともにレス・ポール型のギターを持ち、ヴィスコンティもSGタイプのショート・スケールを弾いていたから。なんか、重そうな感じがして、レス・ポールに興味を持ったことがないためもあるが、げんざい家に残っているギターはフェルナンデスのストラトと初期フェンダー・ジャパンのテレキャス(その品揃えで、あまり楽器にお金をかけない人物であるのが分りますね。まあ、そのぶん、レコードをばかばか買っていたからなー)で全部フェンダー系のそれだよなあ。その後、轟音で少し死んだ耳にて、繊細なデュオ演奏に接するしかなかったのは残念。最後によったバーで、短冊にとんでもないことを書いた気がするが……。
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