南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。米国黒人音楽/ジャズ史においてなんとも不可解というか唯一の居場所に居続けたバンド・リーダー〜ピアノ/キーボード奏者である、サン・ラ(1914年~1993年)の意志を継ぐビッグ・バンド(2000年8月14日、2002年9月7日、2003年7月25日)の、11年ぶりの来日公演を見る。側近アルト奏者のマーシャル・アレンを前に出し、彼らはサン・ラ亡き後もごんごん活動している。今年も5ヶ月にわたる怒濤の欧州ツアーが組まれていて、彼らはその合間にひょっこり東京2日間の公演のためにやってきた。

 例によってキンキラ衣装を不揃いに羽織って、登場した面々は12人。4サックス、1トランペット、1フレンチ・ホルン、1トロンボーン、1鍵盤、1ギター、1打楽器、1ウッド・ベース、1ドラムという内訳。うち、 MCもする長身のバリトン・サックス奏者はよく歌い、打楽器も叩くサックス奏者もいる。こうやって書くと、通常のジャズ・ビッグ・バンドの編成からは大きく離れているのが、よく分りますね。管奏者たちは雛形状に座るが、アレンだけは中央に独立した形で位置し、ずっと立ってパフォーマンス。が、彼は指揮は一切しない。そんなところにも表れているように、その音は最初からきっちり合わせる気がないと言えるもの。別に、不揃いでいいぢゃん。そんな、意志が横溢。そんなバラバラな音は接する人によってはムカつくものかもしれないが、端正な重なりを求める人は最初からサン・ラー・アーケストのショウには来ないよな。彼らは黒人音楽/芸能であることを標榜している、とも、書けるか。

 頭の2曲はオールド・スクールな、曲調やリズムだけを取ればスウィンギンなジャズ。でも、テーマ部のところは烏合の衆的ヴォーカルがかまされて、普通じゃなくなるのが愉快。そして、3曲目からはグっと曲調が広がり、スペクタクルにもなり、より非ジャズ愛好者の興味を引く路線に入るか。そのなかの何曲かは、MCによればアレンの曲だったようだ。そして、その広がりは、日々の現場で学んでいるのだろう、“飛び道具”と言いたくなる要素は、過去見たときよりも増えている。

 たとえば、アレンやトランペッターのソロはフリーキー方面で突っ走り、アレンは曲によりウィンド・シンセサイザーも手にしてコズミック音も出し、ウルトラマンのお面を付けて出て来た若目のピアニスト/キーボード奏者は小シンセで電波音を出したり……。最後はお約束で、メンバーがチャントしながらステージをおりていく(場内後方で踊ったりも)。まあ、それらは絵に描いたような感じでもあり、ある意味予定調和と書けなくもない。だが、頻繁に彼らのパフォーマンスに触れることができるわけではない日本に住むぼくたちにとっては決定的事項に即触れられるということで、アリ。

 しかし、ぼくがハタチぐらいで、その存在をあまり知らずに、この晩のブラック・ホール的なショウに触れたら、ブっとぶだろうなあ。そして、似たような出で立ちのもと、狼藉楽団を友達とともに組みたくなるのではないか。なんか、彼らはまだまだ必要とされる存在でもあると、ふと実演を見ながら思った。

▶過去の、サン・ラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-7.htm

<今日の、気温>
 会場を出ると、とてもすずしい。いや、寒いくらい。日中は少し暑さを感じるようにもなってきているが、寝ているときは、いまだちゃんと布団をかけて寝ているぼく。やはり、今年は既報されているように、冷夏なのだろうか。もう若くないし、今年もノー・エアコンで行くつもりだし、それを望みたい。輝く陽光や自然を求めたいときは、リゾートに行けばいい。

コメント