プレスリーとディランだけは分ってはいけない。それを楽しめちゃうことは、旧世代の流儀に与すること。それは、ロックを聞き始めたころ、本能(?)で、ぼくが自分のなかに作ったいいかげんな掟だ。ちらっと耳にして、あんましいいと思わなかったりしたこともあったのだろうが、やはりガキのぼくに当時の二人の大御所はなんとも古くさく、格好悪く感じた。前者の場合はラスヴェガス時代の風体のあまりの気色悪さが、そう思わせたのは間違いない。ザ・バンドはわりとすぐに大好きになったが、その親分たるボブ・ディランの項目についてはきれいに抜いて、ぼくは聞いていた。あ、ザ・バンド作で一番聞いていないのが、一番ディランとつながりの強い1作目『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』となるな。ま、そういう理に合わないツっぱりって、思春期にあるガキが持ってもしかたがないとは思うが。

 40歳過ぎになると、ディランに関しては悪くないと思えてもきて(そんな物言いも、熱心なディランのファンにはムカつくことだろう。ともあれ、今でも基本ディランの原稿依頼は断っています)が、いまだプレスリーについてはその真価が分からない。いや、聞く機会を持とうともせず、分ろうとしていない。いまだに、なんか生理的に駄目。ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズ以前のポップ・ミュージックは基本アフリカ系アメリカ人だけ聞けばいいと思っているところがある(1日24時間。音楽を聞く時間は限られるので、しょうがねえ)のは、その偏向の理由になっているか? 蛇足だが、そんなぼくであるから、ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズ以前のロックを分っちゃいけない、ヒップホップ以前のブラック・ミュージックなんて……と、思う若い聞き手がいたとしても不思議はないと思っている。

 という感じなので、天下のプレスリー様に娘がいて、一時マイケル・ジャクソンと結婚したりしたのは情報としてはなんとなくおぼろげに頭のなかにあるが、現在40代半ば(ロウティーンのときに父をうしなったらしい)であり、シンガー活動をし、2000年代に入って以降3作品もリーダー作を出していることはちゃんとは認知していなかった。そんなぼくが彼女のショウを見に行こうかと思ったのは、今のところ一番新しいユニヴァーサル系列から出ている2012作『Storm & Grace』が米国No.1渋味ロック・プロデューサーのT・ボーン・バーネットの制作による、もろそれ流儀にある内容であったからだ(そこに収められている曲はすべて共作ながら、彼女のオリジナル曲だ)。てなわけで、“あの人の娘”という感じで彼女を見ることはあり得なかったはずなのだが……。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

 そしたら、会場入りしてびっくり。昔エルヴィス・プレスリーに胸をこがしましたという年配の方がいっぱいいるんだもの。出演者によって客層がおおいに散るのはいろいろとここに来て知っているつもりだが、それにしても普段とお客さんの感じが違う。そりゃ、あの人の娘であるという事実を遠回しに感じざるをえませんね。リサ・マリー・プレスリーを見て、あらやっぱりお父さんと目元が似ているわね的な会話が会場のあちこちでなされたのではないかと思った。

 閑話休題。ステージに出て来たロック姉ちゃんぽい彼女を見て、少し驚く。小柄で、スリム。ありゃ、アブリル・ラヴィーン(2002年8月8日)のお姉さんが出て来たあ、みたいにぼくは思ってしまった。昔ジャンキーだったというのも納得できる感じも持つが、けっこう遠目には綺麗で、年齢よりも若いと、ぼくは感じた。そんな彼女を支えるバンドは旦那であるギタリスト(永遠のギター小僧であらんとする様が少しイタいかも)、キーボード、電気アップライトを主に弾くベース、バンジョーやスティール・ギターやフィドルや生ギター、レギュラー・グリップで叩くドラマーという5人。そんな編成のもと、なるほどの渋味アメリカン・ロック路線を披露する。ちょっと喉に力をかけ濁りを作るようなプレスリー嬢の歌唱(産業ロックが似合いそうな歌い方とも、ぼくは言いたくなる)は一級品とは言えないかもしれないが、別に接してイヤじゃないし、なんか歌う事に対してきっちり気持ちが入っているとも感じる。

 どこか、今を抱えた、渋い、落ち着いてもいるロックンロール土壌のなかで、思うまま振る舞う彼女……。最後の方はもう少しストレートにロックっぽくなり(プレスリーはフロア・タムを二つ並べてどんどこ叩いたりも)、そちらのほうが声がより出ているような気もしたが、なんにせよ、悠々自適のロック行為という像は崩れない。ほとんど聞いていないぼくが指摘するのもナンだが、お父さんぽいところはあまりなし。いや、南部の語彙をうまく勢いたっぷりに自分化して当たりを取った父親が今も現役だったら、こいういう方面に走ったと彼女は示唆していた?……ということは、ないと思います。ともあれ、生活の心配もないだろうし、ロック馬鹿の伴侶も横にいて、ココロおきなく自分のロック道を歩んでいると思わせるのが、印象に残った。

▶過去の、ラヴィーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm

<今日の、駅前>
 ライヴに向かう前に渋谷にいて、東急プラザ側から駅に向かう横断歩道の信号が青になるのを待っていると、女の子を連れたお母さんに、声をかけられる。え、誰だっけ? 実家のほうの関係の人? あ、どうもと言いつつ、思い当たるフシに考えをめぐらした。結局、同じマンションの住人。さすが階が違うと知らない人も多いが、同じフロアの方でした。普段は閉じている社会性という扉を、このときばかりはあけました。

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