シンガー/ギタリストのラウル・ミドン(2003年7月20日、2005年10月24日、2007年9月1日、2007年11月26日、2009年10月8日、2011年9月2日)と、エレクトリック・ベーシスト/シンガーのリチャード・ボナ(2000年12月6日、2002年1月9日、2002年9月19日、2002年12月14日、2004年12月15日、2006年2月16日、2008年10月19日、2010年2月5日、2010年6月6日2011年1月25日、2012年5月14日、2012年12月15日)の名前が重なった公演。異なる出自を持つものの、同じくニューヨークをべースとするミュージシャン同士であり、1966年と1967年生まれと、同年代の二人でもある。この興味深い組み合わせで2年前に欧州ツアーしており、ミドンの近く出る新作にもボナは関与しているらしい。

 その2人の重なりは火花を散らすという感じではなく、双方共通する部分を愛で、磨き合うという感じか。で、その最大公約数は、所謂AORという持ち味にて聞き手には届けられたか。曲はお互いの持ち歌が中心だが、ヴォーカルは共にとり、ハーモニーを付け合ったりもする。とかなんとか、音楽のムシであり、音楽を最良のコミュニケーションの手段と位置づけているのが手に取るように分るやりとりを、ミドンとボナは基本ほんわか披露した。

 その2人をサポートするのは、キーボード奏者のエティエンヌ・スタッドウィック(2012年12月15日、他。スリナム出身と紹介されていた)とドラマーのルドヴィグ・アフォンソ(キューバ出身とか)。彼らは、ボナ人脈の奏者。途中で、かつてボナが単独公演のとき嬉々として披露していたウェザー・リポート(尊敬する、ジャコ・パストリアス作曲)の「ティーン・タウン」も演奏する。2人はその曲で掛け合いを見せたのだが、そのさいミドンはボナにひけをとらない優れたインプロヴァイザーであることを示しもした。

▶過去の、ラウル・ミドン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200511130010390000/
http://43142.diarynote.jp/200709041842400000/
http://43142.diarynote.jp/200711290931440000/
http://43142.diarynote.jp/200910140952248669/
http://43142.diarynote.jp/201109121438367147/

▶過去の、リチャード・ボナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200412212102130000/
http://43142.diarynote.jp/200602171950040000/
http://43142.diarynote.jp/200810211839169096/
http://43142.diarynote.jp/201002072246423695/
http://43142.diarynote.jp/201006071818281946/
http://43142.diarynote.jp/201102081256565179/
http://43142.diarynote.jp/201205221056242128/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/


<今日の、どーでもいい考察>
 エスカレーターの片側は歩いて登る人なのために、開けておく。それ、関東圏だと右側で、関西圏だと左側だそうな。その違いについての誰かの講釈を見たか聞いたかしたことがあったが、ピンとこなかった(ゆえに、論旨も忘れた)。ぼくがその件について、思い当たるとしたら、関東圏のほうが謙譲の気持ちを強く持っているからではないか。まず、人は右側通行という刷り込みがあるのを前提としての話であるが。
 右は“正”の列であり、左は“副”の列。本来、エスカレーターは階段と異なり動かず、立って用いるものであり、そういう傾向外の使い方をしようとする人は“副”の側を行くべきというのが、関西の考え。一方、関東のほうは、すみませんねえ急ぐ人がいるのにのんびり立ってという思慮のもと、立ち止まる人は副たる左の列に立つ。ぼくは、そう解釈している。それ、関東のほうが卑屈でもあるということ? 完全に東側文化で育ち、生活してきているぼくではあるが、うどんは関西風のほうがいいな。

コメント