NYの視点と技アリの若手ロック・バンドを、恵比寿・リキッドルームで見る。ヴォーカル、ギター、ベース、ドラム、ヴァイオリン、チェロという編成(サポートのメンバー含)で、それは前回公演(2011年4月22日)と同じだが、少し顔ぶれには変化があるらしい。チェロ奏者とドラマーを除いては、曲によってはキーボードなど他の楽器を手にするときもある。あと、そんなに喋らないが、ヴォーカル君の日本語発言のイントネーションは確か。いっぽう、ラ・ラ・ライオットの ラ は全部Rなので、日本人がちゃんと呼ぶのは難しい。

 受けた基本的な印象は前回来日時と同じだが、曲調は今回けっこう親しみやすいとも思ったりも。今年出た、3作目となる新作『Beta Love』(Barsuk)の曲群がそういう印象を引き出す弾けた仕上がりだったこともあるか。彼らの曲って、聞いていて曲名が分るものが多かったりするんだよな。そうした決して負ではない要素も関係しているのか否か、彼らのパフォーマンスに接していて、どこか一本調子な印象を受けると今回思いもしたのだが、どのようなものか。ポップ・ミュージックって、難しい。だが、下に書いてあることも多少影響はしているが、ラ・ラ・ライオットについて、<才気に満ちた、誉れの現代ポップ・ロック・バンド>という、ぼくの信頼は変わらない。

<1年半前の、彼ら>
 ラ・ラ・ライオットは暗い日々にさした、一条の光なのである。と、書いてもそれほど誇張であるとは思わないなあ。彼らは3.11震災後の1ヶ月11日目に東京公演を行った。若さ一杯に、アイデアと音楽をやることについての希望をこれでもかと散りばめながら、彼らはパフォーマンスを繰り広げた。その時期、ロック系公演の多くがまだキャンセルとなっていたが、そんななか持たれた、屈託のないその公演はダークななかで彷徨っていたぼくに希望をもたらした。音楽っていいな、音楽好きで良かったと、も思えた。なんか、言葉を超えたものを彼らから受けたとも思えた。その恩のようなものは忘れない。それにしても、怒り、怯え、焦燥しまくりの、あの時期。人間忘れなきゃ、平常心でなきゃ生きていけないが、いろんなヤバさは改められてはいない。嗚呼。。。。。

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