ベンジャミン・ハーマン・トリオ。ジョン・スコフィールド“ウーバージャム”
2013年10月21日 音楽 最初に丸の内・コットンクラブで、蘭ジャジー・ファンクの雄であるニュー・クール・コレクティヴ(2009年9月6日、2013年9月7日)のリーダーであるアルト・サックス奏者のベンジャミン・ハーマン(2011年9月2日)の純ジャズ公演を見る。硬軟両刀(?)で活動してきている彼の新作『カフェ・ソロ』(55レコード)は『ウェイ・アウト・ウェスト』(コンテンポラリー、1957年)等のソニー・ロリンズ(2005年11月13日)のピノレス黄金表現への思慕もあり、ピアニストなしの1ホーンのトリオで録音にあたっており、今回の実演はそれを下敷きにするものだ。管奏者たるもの、一生に一度ぐらいは裸の最小編成でアルバムを作ってみたい……自我を持つ担い手なら、そう思っていても不思議はない。ま、ハーマンにとっては、夢が叶ったという感じを抱えているだろう。
ハーマン同様にスーツの似合うリズム隊のお二人もオランダ人で、その3人は流暢に演奏を進める。まったり、スロウ目な曲が多い。そして、悠々と歌うハーマンのアルトって少しくぐもった音色を持つのだなと、簡素な設定で聞きながら気付く。というのはともかく、アルト・サックスの軽い音色だと、ピアノレス表現においては少し質量的な物足りなさを、ぼくは覚えたりもする。ハーマン自身はそれゆえの軽妙な味を求めていると判断できるが、そんなぼくの所感は、ロリンズのピアノレス・トリオ音を判断基準に置いてしまっているからなのだろうとも、ショウに接しながら思った。実は、もっと音の軽いソプラノ・サックスのソロが往々にしてぼくは苦手。音が重かったり、太かったりするほうがグっと来る……、なんてぼくの好みはコドモなのだろう。
ショウの3分の2になったところで、ピアニストの片倉真由子(ブランフォード・マルサリスのブルーノート東京公演に、トラで入ったこともあり)が加わり、グっと奥行きがまし、音もモダンに華やぐ。それまでスタンダードを素材としていたハーマンだが、1曲片倉のオリジナルも取り上げる。ハーマン、いい人だな。公演前にリハしただけだろうけど、オーソドックスなジャズ流儀の美点をうれしく受け取れた。
その後は南青山・ブルーノート東京で、自在ジャズ・ギタリストのジョン・スコフィールド(1999年5月11日、2001年1月11日、2002年1月24日、2004年3月11日、2006年3月1日、2007年5月10日、2008年10月8日、2012年10月10日)が2000年代あたまから組んでいる、ウーバージャム・バンドによる公演を見る。ファンク・インスト傾向にある同バンドは、アヴィ・ボートニックという機材音担当者/サイド・ギタリストを彼が発見したことで、組むようになった単位と説明できるか。アルバムだと、2002作『ウーバージャム』、2003作『アップ・オール・ナイト』(ジョン・スコフィールド・バンド名義だが、これも入れていいだろう)、そして2013作『ウーバージャム・ドゥ』(すべて、ヴァーヴ)の3作品をこれまで出しており、来日公演だと、2001年、2002年、2004年のそれはウーバージャム編成によるものだ。
今回の編成は、スコとボートニックに加え、初期から関与もしているアンディ・ヘス(2012年11月12日)と1ヶ月半前のマーカス・ミラー公演での鮮烈な叩き口でぼくを仰天させたルイス・ケイトー(2010年11月11日、2011年11月22日、2013年9月3日)。もちろん彼らは、新作『ウーバージャム・ドゥ』録音に関与している。
びっくりしたのは、プリセットの音を用いる曲が多かったこと。ありゃ、過去はそんなことなかったと思うがどうだったか。で、バンド・サウンドはそれに寄り添う感じで入っていくわけだが、うーむ。2、3曲やったアフロ・ビート傾向曲(それ、かつて頻繁にやっていた、ニューオーリンズ・セカンド・ライン調曲に代わるものと指摘できるか)での拍子木的アクセント音をそれでまかなおうとするのは分らなくもないが、基本プリセット/PC音と生バンド音を併用する場合はそれじゃ駄目。なんか、無味乾燥。共存するという感覚ではなく、その両方が喧嘩、対峙し合う方向で行かなきゃ。そう書きたくなるのは、生バンド音だけでやった曲のほうが味がいいと思えたからだ。そのため、ケイトーのドラミングの爆裂方向の顔も出てこず。
スコフィールドの演奏は相変わらず、いろんな好奇心とウィットに富む。今回感じたのは、エフェクターをより使い、いろんな音を出していたことか。前はもっと、ピッキングやミュートの仕方などで多彩な音を出していたよーな。なんにせよ、彼の演奏にはやはりグイグイ引き込まれる。素人くさいという言い方もかつてはできたろうボートニックもよりギターを弾くようになり、一部はスコと単音主体音での掛け合いも見せる場合もあったが、まずサウンド構築で寄与しているだろう彼は、ぼくにはいらない奏者だと再認識した。一方、プレシジョン型の4弦ベースを弾くアンディ・ヘスは今回接して、いい奏者だと思えた。
基本オリジナルを演奏したはずだが(カーティス・メイフィールド曲複数を下敷きにする「カーティス・ニュー(Knew)」という曲もあった)、ジミー・クリフ「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」やレイ・チャールズが1966年歌い後にジョー・コッカーやハンブル・パイもカヴァーしているブルース調曲「アイ・ドント・ニード・ノー・ドクター」(作者は、後にモータウンのスタッフ・ライターもこなす、アシュフォード&シンプソン〜2009年11月20日〜)も披露し、生バンド音だけでやったそれらのとき、スコフィールドは共にとてもロックっぽいソロ(それは、エリック・クラプトン〜2006年11月20日〜のファンが喜びそうな、という書き方もしたくなる)をエモーショナルに弾き倒してびっくり。おお。この先いつになるが分らないが、半分モーロクした彼が、こってこてのロッキッシュなギター・ソロを満載したアルバムを出すのをぼくは夢想した。
「アイ・ドント・ニード・ノー・ドクター」は、2005年ヴァーヴ発のレイ・チャールズ曲集でスコは取り上げていて、それとほぼ同じアレンジ。アルバムではジョン・メイヤー(2007年4月5日)が歌っていたはずだが、ここではケイトーがドラムをしゃきっと叩きながら歌う。先のマーカス・ミラー公演でもジョージ・デューク(追悼)曲を歌っていた彼だが、いい声している。この後、ステージを降りようとした時、もっとやっていいかなとお店の人にスコフィールドはたずね、さらに2曲。1時間50分、彼らはパフォーマンスした。
<一昨日の、悲報。ロナルド・シャノン・ジャクソン、1940〜2013年>
昨週末19日早朝(現地時間)に、永遠の怪傑ドラマーたるロナルド・シャノン・ジャクソンがテキサス州フォートワースで、白血病のため亡くなった。73歳。日曜午後から日本でもその情報をソーシャル・ネットワーキング・システムにあげる人がいたようだが、土日はネットから離れていたので、ぼくは週があけてから、その悲報を知った。2、3年前にビル・ラズウェル(2004年9月5日、2006年11月26日、2005年8月20日、2006年11月26日、2007年8月3日、2011年3月7日、他)に取材したさい、彼が重用していたシャノン・ジャクソンの消息を尋ねたら(シャノン・ジャクソンも彼にプロデュースをよく委ねるなど、ラズウェルのことを信頼していたはず。そのラズウェル制作の1984年セルロイド盤『Pulse』はドラム・ソロ作品だ)、今は生まれ故郷のフォートワースに戻ってしまって……、という返事だった。彼の父親は同地唯一のレコード販売店の黒人オーナー(ジュークボックス貸し出し業もしていた)で、母親はメソジスト教会でオルガンを弾いていた。
セシル・テイラーのトリオに入るなど1960年代後半にNYのフリー・ジャズ界に身を投じ、1970年代半ばはオーネット・コールマン(2006年3月27日)のエレクトリック・バンドに参画。そして、1970年代後半からはオーネット仕込みのハーモロディック・ファンク流儀を芯に置く自己バンドのザ・デコーディング・ソサエティを結成し、やりたい放題のかぎりを、その立った感覚を持つドラミングとともに尽くした怪物的御仁。彼のキャリア、そしてオーネットやキング・カーティスらも生まれたフォートワースについては、無料の電子音楽雑誌「エリス」(http://eris.jp)第4号にて、オーネット・コールマンの『ダンシン・イン・ユア・ヘッド』のことを書いた10000字越え原稿で触れているので、読んでいただけたら有り難い。
彼がいろんな逸材を集めて鋭意組んでいたザ・デコーディング・ソサエティはシャノン・ジャクソンの卓越したリーダーシップや作曲能力を伝えるバンドでもあった。ジェイムズ・カーター(2013年2月26日)は2011年オルガン・トリオ作『At The Crossroads』(Emarcy/Universal)でシャノン・ジャクソンの「エイジド・ペイン(Aged Pain)」という曲をやっていたりする。それ、元々はカーターも参加していた1995年作『What Spirit Say』(DIW)に収録されていた。リヴィング・カラーを組むヴァーノン・リード(2000年8月13日、2008年12月16日)やアイ・アンド・アイやロリンズ・バンドやアート・リンゼイ(1999年12月18日、2002年9月9日,2004年11月21日、2011年6月8日、他)・グループに参加するメルヴィン・ギブス(1999年12月18日、2002年9月9日)ら、彼のもとから巣立った逸材もいろいろ。フィリー畑のジェフ・リー・ジョンソン(2004年10月28日、2012年9月9日。その訃報に触れているのは、2013年1月30日)とかポール・サイモン『ザ・リズム・オブ・ザ・セインツ』に参加して西欧シーンに知られるようになったマーティン・アタンガナ(なぜか、ジャン・リュック・ポンティが気に入りいろいろ声をかけている)とか、ギタリストには特にうるさかったかな。やはり、1980年代のぼくの音楽観を形作る重要ピースを担う一人でした。
蛇足だが、シャノン・ジャクソンにはこんな一面も。以下、友人から聞いたお話。彼女がある日本の化粧系著名ロック・バンドの公演打ち上げに顔を出したら(それ、1990年ころだったかな)、来日中だったのだろう、なんと危ない容貌の彼がその場にいたのだという。で、シャノン・ジャクソンは彼女と一緒にそこに行った豊満な女性を口説き出したのだとか。結局、思いは叶わなかったそうだが、ぼくのなかでは一面ではサバけた好人物という印象を与える人でもありました。素敵な暴れん坊音楽、いろいろありがとうございました。
ハーマン同様にスーツの似合うリズム隊のお二人もオランダ人で、その3人は流暢に演奏を進める。まったり、スロウ目な曲が多い。そして、悠々と歌うハーマンのアルトって少しくぐもった音色を持つのだなと、簡素な設定で聞きながら気付く。というのはともかく、アルト・サックスの軽い音色だと、ピアノレス表現においては少し質量的な物足りなさを、ぼくは覚えたりもする。ハーマン自身はそれゆえの軽妙な味を求めていると判断できるが、そんなぼくの所感は、ロリンズのピアノレス・トリオ音を判断基準に置いてしまっているからなのだろうとも、ショウに接しながら思った。実は、もっと音の軽いソプラノ・サックスのソロが往々にしてぼくは苦手。音が重かったり、太かったりするほうがグっと来る……、なんてぼくの好みはコドモなのだろう。
ショウの3分の2になったところで、ピアニストの片倉真由子(ブランフォード・マルサリスのブルーノート東京公演に、トラで入ったこともあり)が加わり、グっと奥行きがまし、音もモダンに華やぐ。それまでスタンダードを素材としていたハーマンだが、1曲片倉のオリジナルも取り上げる。ハーマン、いい人だな。公演前にリハしただけだろうけど、オーソドックスなジャズ流儀の美点をうれしく受け取れた。
その後は南青山・ブルーノート東京で、自在ジャズ・ギタリストのジョン・スコフィールド(1999年5月11日、2001年1月11日、2002年1月24日、2004年3月11日、2006年3月1日、2007年5月10日、2008年10月8日、2012年10月10日)が2000年代あたまから組んでいる、ウーバージャム・バンドによる公演を見る。ファンク・インスト傾向にある同バンドは、アヴィ・ボートニックという機材音担当者/サイド・ギタリストを彼が発見したことで、組むようになった単位と説明できるか。アルバムだと、2002作『ウーバージャム』、2003作『アップ・オール・ナイト』(ジョン・スコフィールド・バンド名義だが、これも入れていいだろう)、そして2013作『ウーバージャム・ドゥ』(すべて、ヴァーヴ)の3作品をこれまで出しており、来日公演だと、2001年、2002年、2004年のそれはウーバージャム編成によるものだ。
今回の編成は、スコとボートニックに加え、初期から関与もしているアンディ・ヘス(2012年11月12日)と1ヶ月半前のマーカス・ミラー公演での鮮烈な叩き口でぼくを仰天させたルイス・ケイトー(2010年11月11日、2011年11月22日、2013年9月3日)。もちろん彼らは、新作『ウーバージャム・ドゥ』録音に関与している。
びっくりしたのは、プリセットの音を用いる曲が多かったこと。ありゃ、過去はそんなことなかったと思うがどうだったか。で、バンド・サウンドはそれに寄り添う感じで入っていくわけだが、うーむ。2、3曲やったアフロ・ビート傾向曲(それ、かつて頻繁にやっていた、ニューオーリンズ・セカンド・ライン調曲に代わるものと指摘できるか)での拍子木的アクセント音をそれでまかなおうとするのは分らなくもないが、基本プリセット/PC音と生バンド音を併用する場合はそれじゃ駄目。なんか、無味乾燥。共存するという感覚ではなく、その両方が喧嘩、対峙し合う方向で行かなきゃ。そう書きたくなるのは、生バンド音だけでやった曲のほうが味がいいと思えたからだ。そのため、ケイトーのドラミングの爆裂方向の顔も出てこず。
スコフィールドの演奏は相変わらず、いろんな好奇心とウィットに富む。今回感じたのは、エフェクターをより使い、いろんな音を出していたことか。前はもっと、ピッキングやミュートの仕方などで多彩な音を出していたよーな。なんにせよ、彼の演奏にはやはりグイグイ引き込まれる。素人くさいという言い方もかつてはできたろうボートニックもよりギターを弾くようになり、一部はスコと単音主体音での掛け合いも見せる場合もあったが、まずサウンド構築で寄与しているだろう彼は、ぼくにはいらない奏者だと再認識した。一方、プレシジョン型の4弦ベースを弾くアンディ・ヘスは今回接して、いい奏者だと思えた。
基本オリジナルを演奏したはずだが(カーティス・メイフィールド曲複数を下敷きにする「カーティス・ニュー(Knew)」という曲もあった)、ジミー・クリフ「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」やレイ・チャールズが1966年歌い後にジョー・コッカーやハンブル・パイもカヴァーしているブルース調曲「アイ・ドント・ニード・ノー・ドクター」(作者は、後にモータウンのスタッフ・ライターもこなす、アシュフォード&シンプソン〜2009年11月20日〜)も披露し、生バンド音だけでやったそれらのとき、スコフィールドは共にとてもロックっぽいソロ(それは、エリック・クラプトン〜2006年11月20日〜のファンが喜びそうな、という書き方もしたくなる)をエモーショナルに弾き倒してびっくり。おお。この先いつになるが分らないが、半分モーロクした彼が、こってこてのロッキッシュなギター・ソロを満載したアルバムを出すのをぼくは夢想した。
「アイ・ドント・ニード・ノー・ドクター」は、2005年ヴァーヴ発のレイ・チャールズ曲集でスコは取り上げていて、それとほぼ同じアレンジ。アルバムではジョン・メイヤー(2007年4月5日)が歌っていたはずだが、ここではケイトーがドラムをしゃきっと叩きながら歌う。先のマーカス・ミラー公演でもジョージ・デューク(追悼)曲を歌っていた彼だが、いい声している。この後、ステージを降りようとした時、もっとやっていいかなとお店の人にスコフィールドはたずね、さらに2曲。1時間50分、彼らはパフォーマンスした。
<一昨日の、悲報。ロナルド・シャノン・ジャクソン、1940〜2013年>
昨週末19日早朝(現地時間)に、永遠の怪傑ドラマーたるロナルド・シャノン・ジャクソンがテキサス州フォートワースで、白血病のため亡くなった。73歳。日曜午後から日本でもその情報をソーシャル・ネットワーキング・システムにあげる人がいたようだが、土日はネットから離れていたので、ぼくは週があけてから、その悲報を知った。2、3年前にビル・ラズウェル(2004年9月5日、2006年11月26日、2005年8月20日、2006年11月26日、2007年8月3日、2011年3月7日、他)に取材したさい、彼が重用していたシャノン・ジャクソンの消息を尋ねたら(シャノン・ジャクソンも彼にプロデュースをよく委ねるなど、ラズウェルのことを信頼していたはず。そのラズウェル制作の1984年セルロイド盤『Pulse』はドラム・ソロ作品だ)、今は生まれ故郷のフォートワースに戻ってしまって……、という返事だった。彼の父親は同地唯一のレコード販売店の黒人オーナー(ジュークボックス貸し出し業もしていた)で、母親はメソジスト教会でオルガンを弾いていた。
セシル・テイラーのトリオに入るなど1960年代後半にNYのフリー・ジャズ界に身を投じ、1970年代半ばはオーネット・コールマン(2006年3月27日)のエレクトリック・バンドに参画。そして、1970年代後半からはオーネット仕込みのハーモロディック・ファンク流儀を芯に置く自己バンドのザ・デコーディング・ソサエティを結成し、やりたい放題のかぎりを、その立った感覚を持つドラミングとともに尽くした怪物的御仁。彼のキャリア、そしてオーネットやキング・カーティスらも生まれたフォートワースについては、無料の電子音楽雑誌「エリス」(http://eris.jp)第4号にて、オーネット・コールマンの『ダンシン・イン・ユア・ヘッド』のことを書いた10000字越え原稿で触れているので、読んでいただけたら有り難い。
彼がいろんな逸材を集めて鋭意組んでいたザ・デコーディング・ソサエティはシャノン・ジャクソンの卓越したリーダーシップや作曲能力を伝えるバンドでもあった。ジェイムズ・カーター(2013年2月26日)は2011年オルガン・トリオ作『At The Crossroads』(Emarcy/Universal)でシャノン・ジャクソンの「エイジド・ペイン(Aged Pain)」という曲をやっていたりする。それ、元々はカーターも参加していた1995年作『What Spirit Say』(DIW)に収録されていた。リヴィング・カラーを組むヴァーノン・リード(2000年8月13日、2008年12月16日)やアイ・アンド・アイやロリンズ・バンドやアート・リンゼイ(1999年12月18日、2002年9月9日,2004年11月21日、2011年6月8日、他)・グループに参加するメルヴィン・ギブス(1999年12月18日、2002年9月9日)ら、彼のもとから巣立った逸材もいろいろ。フィリー畑のジェフ・リー・ジョンソン(2004年10月28日、2012年9月9日。その訃報に触れているのは、2013年1月30日)とかポール・サイモン『ザ・リズム・オブ・ザ・セインツ』に参加して西欧シーンに知られるようになったマーティン・アタンガナ(なぜか、ジャン・リュック・ポンティが気に入りいろいろ声をかけている)とか、ギタリストには特にうるさかったかな。やはり、1980年代のぼくの音楽観を形作る重要ピースを担う一人でした。
蛇足だが、シャノン・ジャクソンにはこんな一面も。以下、友人から聞いたお話。彼女がある日本の化粧系著名ロック・バンドの公演打ち上げに顔を出したら(それ、1990年ころだったかな)、来日中だったのだろう、なんと危ない容貌の彼がその場にいたのだという。で、シャノン・ジャクソンは彼女と一緒にそこに行った豊満な女性を口説き出したのだとか。結局、思いは叶わなかったそうだが、ぼくのなかでは一面ではサバけた好人物という印象を与える人でもありました。素敵な暴れん坊音楽、いろいろありがとうございました。
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