ビセンテ・アミーゴ。エヂ・モッタ・ウィズ・デイヴィッド・T・ウォーカー
2013年10月17日 音楽 まず見たのは、現代フラメンコ・ギターの雄にしてスター奏者の、ビセンテ・アミーゴ(2000年5月28日)。1967年生まれのようで、意外に若いのだな。渋谷文化村・オーチャードホール。
緩い弧を描くように椅子がステージに置かれ、中央の椅子にこけおどし的に光があてられ、ますはビセンテ・アミーゴがそこに座り、ソロ演奏をする。2曲目で数人が入り、3曲目からフルのバンドで演奏。その編成は、サイド・ギター、カンテ(歌)、カホン/ドラム、カホン、電気ベース(6弦フレットレス)、ヴァイオリン、フルート。ただし、全員が音を出す局面はあまりなく、歌のパートも少なく、カホン担当者以外は楽器を弾かないという局面もなかなか多い。そのとき、音を出さない人はパルマ(手拍子)をとっていたりもする。ビセンテ・アミーゴは黒のシャツと黒のパンツ、その他の男性陣は白のシャツと黒のパンツという格好なり。
だが、生理的に無駄の多い、皆がせえので頑張らない、その設定がとってもいいな、豊かだな、風情あるなと、思えた。ここぞというとき、楽器音や歌が入り、あとはギターや抑揚の波に身をまかせている構成員の気ままな感じは悪くない。押し一辺倒ではない、好ましい、起伏や流れがある。そのかわり、終始ギターを弾いているビセンテ・アミーゴはさすがバンマス、働き者じゃと思わすわけだが、彼とて、いくらテンションをこめても、どんなに早退きを連発(それには、笑った)しても、しゃかりきになっている感じがあまりないのは名手たるゆえんか。演目の多くは近2作からの曲をやった(最新作『ティエラ』はマーク・ノップラー/ダイアー・ストレイツの側近キーボード奏者のガイ・フレッチャー制作によるロンドン録音作)ようだが、どれもオリジナルだろう楽曲をきっちりギター1本で掌握している様はなんかとても風雅であった。
そんなにフラメンコには接していないので、よく分らない部分もあるのだが、ビセンテ・アミーゴがとっても腕が立つギタリストであるのは疑いがないことだろう。だが、ぼくがまず心にとめたのは、彼が秀でたサウンド統括者〜バンド・リーダーであるということ。高尚なジプシー・キングスなるものからアンダルシア地方のパット・メセニ−・グループみたいなの、どこかケルトっぽいノリを持つ曲まで、披露されるものの曲想やアレンジは多彩、創造性豊か。だが、どんな方向に進もうとも、きっちりとパルマに代表されるフラメンコ特有の揺れやアクセントがあるのには、大きく頷く。彼の自在の、柔和だけどプログレッシヴなフラメンコ表現は芯がびっちり通されつつ、感心させる広がりがいろいろとあった。大げさに言えば、そこには<ローカルであることを謳歌することを通しての、意義ある現在進行形>がいろいろと息づいていた。そして、その行き方をコントロールしているのは、繰り返すがアミーゴ本人ゆえ、ギター演奏も一番おいしいところでなっているわけで……。1時間40分強ほどの、めくるめくパフォーマンス。
そして、南青山・ブルーノート東京で、ブラジルのソウル派先達のチン・マイアの甥でもある、ブラジルの酔狂趣味人のライヴに触れる。彼はおぼっちゃま君のようであり、もう自由にお金をかけてレコード収集と美酒美食三昧に明け暮れているという、40代のシンガー/キーボーディスト。そのレコード・コレクションは日本のジャズや日本のシティ・ポップ(と、MCで彼はそう言う)にも及び、バカみたいに詳しいらしい。
ちょうど10年前にインコグニートのブルーイとの双頭名義にて、やはりブルーノート東京に出演(2003年3月30日)しているが、今回はそれ以来2度目の、本人も待望していた来日となる。で、ステージに出て来たモッタさんを見て、うひゃあ。より、幅や奥行きがでっかくなっている。ま、ほのぼのキャラには合っていて、痛々しさのようなものはないわけだが。
このサマーシーズンは欧州ツアーもしていたようだが、その多国籍なバンドにはへ〜え。ギタリストはブラジル人で、ピアノ/キーボード奏者とベース奏者がドイツ人、そしてドラマーがポルトガル人とか。どういう筋道で、彼らが集まったのか。で、新作『AOR』をフォロウする設定で、ショウは進む。モッタ自身は基本、電気ピアノを弾きながら歌う。鍵盤演奏はもう一人の奏者にまかせ、立ってマイクを持って歌ったものも1曲。その新作はアルバム・タイトルにあるように所謂AOR(スティーリー・ダン流儀もおおいに含む)路線を正々堂々趣味性まるだしで求めたもの、彼はそれをポル語ヴァージョンと英語ヴァージョンのアルバムを2種リリースしているが、この晩は英語詞で歌っていた。
往年の好AOR系表現をまっすぐな憧憬とともにやんわり開く……。それは、おそらく米国人がやったら、質は高いものの、かつての表現の焼き直しを何ぬけしゃあしゃあやっているのと、言われかねない指針。だが、確かに気持ち良く、ココロ踊りもするわけで、そうした感想はブラジル人に対する贔屓か否か。もう猛烈な洋楽音楽愛とともに、趣味を貫き続けるまっすぐな態度が導く、うれしい何かが横たわる、とは間違いなく言えるはずだが。
そして、10分近くにわたって、モッタはソロ・パフォーマンスを披露したりもする。いろんな有名曲を頭のなか反すうしながら、最初は鍵盤を弾きながらスキャットしまくり、その後はベース音を模しての鍵盤を弾かないヴォイス・パフォーマンスをする。2003年来日時の記載を見たら、同様のことやっていたんだな。そこでは、コントローラーを用いてというような書き方をしているが、それは間違いか。どうやら、彼は機材を用いることなしで声質をコントロールし、いろんな声を出していた(と、思う)。
そして、ショウが始まって50分過ぎたあたりに、『AOR』にも部分参加していた、ゲストのデイヴィッド・T・ウォーカー(2007年12月18日、2010年12月11日、2011年6月21日)がやっと出てくる。そして、彼が一音を出すやいなや、うわわわわ。艶やかにして、とてつもなく名人芸。それ、それまで弾いていたブラジル人ギタリスト演奏との対比でより鮮やか。うひょー。で、まずやったのは山下達郎曲。モッタは日本語で歌う。
その後も、デイヴィッド・Tの我が道を行くギター奏法/個性が延々とアピールされたが、彼の過去のパフォーマンスと比しても、とっても明快にTの唯一無二の魅力がアピールされていると、ぼくは思った。その演奏にモッタらも皆感服しまくっているのは明らかで、モッタはその場で彼に請い、「ホワッツ・ゴーイン・オン」や「ラヴィング・ユー」の断片も一緒に演奏したりもした。とかなんとか、90分のショウ。そして、終演後には気安く来場者とやりとりしていた。
<今日の、ええん>
最初の、オーチャード・ホールにて。ショウが始まってすぐに、隣に座っていた知人が咳をしだす。とっても、本人もうしわけなさそう。ああ、可哀想と思っていると、咳がぼくにうつっちまった。ゲホゲホ、ゴホゴホ。なんで〜? 音は繊細ではあるが、クラシック公演ではなく、多少の雑音は許されてもいいはずなのに、なんか肩身がとても狭い。やっぱ、クラシック用途のかしこまったホールって、こういうところは嫌いだア。
緩い弧を描くように椅子がステージに置かれ、中央の椅子にこけおどし的に光があてられ、ますはビセンテ・アミーゴがそこに座り、ソロ演奏をする。2曲目で数人が入り、3曲目からフルのバンドで演奏。その編成は、サイド・ギター、カンテ(歌)、カホン/ドラム、カホン、電気ベース(6弦フレットレス)、ヴァイオリン、フルート。ただし、全員が音を出す局面はあまりなく、歌のパートも少なく、カホン担当者以外は楽器を弾かないという局面もなかなか多い。そのとき、音を出さない人はパルマ(手拍子)をとっていたりもする。ビセンテ・アミーゴは黒のシャツと黒のパンツ、その他の男性陣は白のシャツと黒のパンツという格好なり。
だが、生理的に無駄の多い、皆がせえので頑張らない、その設定がとってもいいな、豊かだな、風情あるなと、思えた。ここぞというとき、楽器音や歌が入り、あとはギターや抑揚の波に身をまかせている構成員の気ままな感じは悪くない。押し一辺倒ではない、好ましい、起伏や流れがある。そのかわり、終始ギターを弾いているビセンテ・アミーゴはさすがバンマス、働き者じゃと思わすわけだが、彼とて、いくらテンションをこめても、どんなに早退きを連発(それには、笑った)しても、しゃかりきになっている感じがあまりないのは名手たるゆえんか。演目の多くは近2作からの曲をやった(最新作『ティエラ』はマーク・ノップラー/ダイアー・ストレイツの側近キーボード奏者のガイ・フレッチャー制作によるロンドン録音作)ようだが、どれもオリジナルだろう楽曲をきっちりギター1本で掌握している様はなんかとても風雅であった。
そんなにフラメンコには接していないので、よく分らない部分もあるのだが、ビセンテ・アミーゴがとっても腕が立つギタリストであるのは疑いがないことだろう。だが、ぼくがまず心にとめたのは、彼が秀でたサウンド統括者〜バンド・リーダーであるということ。高尚なジプシー・キングスなるものからアンダルシア地方のパット・メセニ−・グループみたいなの、どこかケルトっぽいノリを持つ曲まで、披露されるものの曲想やアレンジは多彩、創造性豊か。だが、どんな方向に進もうとも、きっちりとパルマに代表されるフラメンコ特有の揺れやアクセントがあるのには、大きく頷く。彼の自在の、柔和だけどプログレッシヴなフラメンコ表現は芯がびっちり通されつつ、感心させる広がりがいろいろとあった。大げさに言えば、そこには<ローカルであることを謳歌することを通しての、意義ある現在進行形>がいろいろと息づいていた。そして、その行き方をコントロールしているのは、繰り返すがアミーゴ本人ゆえ、ギター演奏も一番おいしいところでなっているわけで……。1時間40分強ほどの、めくるめくパフォーマンス。
そして、南青山・ブルーノート東京で、ブラジルのソウル派先達のチン・マイアの甥でもある、ブラジルの酔狂趣味人のライヴに触れる。彼はおぼっちゃま君のようであり、もう自由にお金をかけてレコード収集と美酒美食三昧に明け暮れているという、40代のシンガー/キーボーディスト。そのレコード・コレクションは日本のジャズや日本のシティ・ポップ(と、MCで彼はそう言う)にも及び、バカみたいに詳しいらしい。
ちょうど10年前にインコグニートのブルーイとの双頭名義にて、やはりブルーノート東京に出演(2003年3月30日)しているが、今回はそれ以来2度目の、本人も待望していた来日となる。で、ステージに出て来たモッタさんを見て、うひゃあ。より、幅や奥行きがでっかくなっている。ま、ほのぼのキャラには合っていて、痛々しさのようなものはないわけだが。
このサマーシーズンは欧州ツアーもしていたようだが、その多国籍なバンドにはへ〜え。ギタリストはブラジル人で、ピアノ/キーボード奏者とベース奏者がドイツ人、そしてドラマーがポルトガル人とか。どういう筋道で、彼らが集まったのか。で、新作『AOR』をフォロウする設定で、ショウは進む。モッタ自身は基本、電気ピアノを弾きながら歌う。鍵盤演奏はもう一人の奏者にまかせ、立ってマイクを持って歌ったものも1曲。その新作はアルバム・タイトルにあるように所謂AOR(スティーリー・ダン流儀もおおいに含む)路線を正々堂々趣味性まるだしで求めたもの、彼はそれをポル語ヴァージョンと英語ヴァージョンのアルバムを2種リリースしているが、この晩は英語詞で歌っていた。
往年の好AOR系表現をまっすぐな憧憬とともにやんわり開く……。それは、おそらく米国人がやったら、質は高いものの、かつての表現の焼き直しを何ぬけしゃあしゃあやっているのと、言われかねない指針。だが、確かに気持ち良く、ココロ踊りもするわけで、そうした感想はブラジル人に対する贔屓か否か。もう猛烈な洋楽音楽愛とともに、趣味を貫き続けるまっすぐな態度が導く、うれしい何かが横たわる、とは間違いなく言えるはずだが。
そして、10分近くにわたって、モッタはソロ・パフォーマンスを披露したりもする。いろんな有名曲を頭のなか反すうしながら、最初は鍵盤を弾きながらスキャットしまくり、その後はベース音を模しての鍵盤を弾かないヴォイス・パフォーマンスをする。2003年来日時の記載を見たら、同様のことやっていたんだな。そこでは、コントローラーを用いてというような書き方をしているが、それは間違いか。どうやら、彼は機材を用いることなしで声質をコントロールし、いろんな声を出していた(と、思う)。
そして、ショウが始まって50分過ぎたあたりに、『AOR』にも部分参加していた、ゲストのデイヴィッド・T・ウォーカー(2007年12月18日、2010年12月11日、2011年6月21日)がやっと出てくる。そして、彼が一音を出すやいなや、うわわわわ。艶やかにして、とてつもなく名人芸。それ、それまで弾いていたブラジル人ギタリスト演奏との対比でより鮮やか。うひょー。で、まずやったのは山下達郎曲。モッタは日本語で歌う。
その後も、デイヴィッド・Tの我が道を行くギター奏法/個性が延々とアピールされたが、彼の過去のパフォーマンスと比しても、とっても明快にTの唯一無二の魅力がアピールされていると、ぼくは思った。その演奏にモッタらも皆感服しまくっているのは明らかで、モッタはその場で彼に請い、「ホワッツ・ゴーイン・オン」や「ラヴィング・ユー」の断片も一緒に演奏したりもした。とかなんとか、90分のショウ。そして、終演後には気安く来場者とやりとりしていた。
<今日の、ええん>
最初の、オーチャード・ホールにて。ショウが始まってすぐに、隣に座っていた知人が咳をしだす。とっても、本人もうしわけなさそう。ああ、可哀想と思っていると、咳がぼくにうつっちまった。ゲホゲホ、ゴホゴホ。なんで〜? 音は繊細ではあるが、クラシック公演ではなく、多少の雑音は許されてもいいはずなのに、なんか肩身がとても狭い。やっぱ、クラシック用途のかしこまったホールって、こういうところは嫌いだア。
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