マーカス・ミラー。クァルテット・ヒューマン
2013年9月3日 音楽 毎年来ているようだが、ちょっと間を置いて接するマーカス・ミラー(2010年9月3日、他)の公演はおもしろかった。編成は、エレクトリック・ベースを弾く彼に加え、アルトとトランペット、鍵盤とギター(彼のみ、白人)、ドラム。初来日という鍵盤奏者のブレット・ウィリアムズはなんかおっさんに遠目には見えたが、まだ21歳とか。アルト・サックスのアレックス・ハンも当初バンドに入ったときは音楽大学に通う学生だった←もしや、いまやワーキング・グループの最古参?
とくに中盤までは、うひょーって、感じ。もう、グツグツと弾き倒して楽曲の骨格を作るべース音に、ざくざく楔を入れる感覚をとても持つドラマーのルイス・ケイトーががちんこで重なり、その隙間を埋めるようにいい感じでエレクトリック・ピアノ音が入る……。それ、ハードなロバート・グラスパー(2013年1月25日、他)的表現と言いたくなる風情があって、ぼくはびっくり。要は,ヒップホップがのした時代ならではの跳ねとほつれをおおいに有する。おお、マーカス、変化しているじゃんとも思えたし、ミラーのバンドで何度も来ているケイトーがあんなに颯爽とした叩き口を持つドラマーだとは思いもしなかった。昨年、欧州ツアー中にミラー軍団が交通事故にあったさい、ケイトーだけは怪我を負ったというニュースも流れたが、問題なく回復しているようだ。
おしむらくは、管の2人にソロを向けるところ。2人とも下手じゃないが、重みのないソロをとるし、ぼくは不要と思う。そのソロ回しに顕われる、旧態依然としたフュージョン様式はぼくが新たにミラー表現に感じた現在的なギザギザの存在をスポイルしちゃう。もともと、彼はベースがサウンド総体の骨格を形作るという奇形というしかない音楽をやっているんだもの(ベースは本来、そういう楽器ではありません)、バランスとか完成度なんか無視して、個人技を前に出して暴走する行き方のほうがずっとぼくはピンと来るし、好ましい刺(それは、ケイトーの鮮やかな叩き口がおおいに貢献する)が露になって格好いいと思う。あーあ、トリオ編成でやれば、数段いいのにとぼくは思った。ミラーさん、もっとクルクルパーになって!
本編最後は、マイルズ・デイヴィスに提供し、後にセルフ・カヴァーもしているお馴染みの「ツツ」。さすがもう封印しちゃえばいいのにと、思わずにはいられず。ただ、ジョージ・デューク(2013年8月7日、参照)追悼でやった彼の「スウィート・ベイビー」はにっこり聞けた。ミラーさん、義理堅いな。デイヴィスの『ツツ』はA&Rのトミー・リピューマが、プロデュースをデュークとミラーにふったアルバムだった。リード・ヴォーカルはケイトーが叩きながらとり、コーラス部はミラーも歌う。そういえば、ミラーの初期2作のリーダー盤は自ら歌うブラック・ポップ傾向作だった。アンコールの1曲目はピアノを弾くウィリアムズとのデュオで、ミラーはべース・クラリネットを弾く。曲はガーシュインの「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ」。
そして、南青山・ブルーノート東京に移動。アルト・サックスのデイヴィッド・サンボーン(2012年3月3日、他)、ピアノのボブ・ジェイムズ、アコースティック・ベースのジェイムズ・ジナス(2012年1月13日、2012年3月3日 )、ドラムのスティーヴ・ガッド(2012年11月26日、他)からなる4人組を見る。
1986年にジェイムズとサンボーンは双頭名義作『ダブル・ヴィジョン』を発表し、グラミー賞も獲得。ではあったものの、それをフォロウするライヴを一回たりともすることもなく,続編も作らず、2人は宿題をやり残している気持ちを持っていた。そんな両者が懸案であった再双頭作を作る段階で、今回はフル・アコースティックにて固定少人数メンバーで行くしかないでしょとなり、そして出来たユニットがクァルテット・ヒューマンだ。そこで彼らが求めたのは、作編曲とソロが自在に解け合う方向〜それはある種のモダニズムを抱えると評したくなる〜。そして、その一部は、同じ編成のデイヴ・ブルーベック・カルテット憧憬/追悼を込めた指針が取られた。スタジオにはいっているときに、彼らはブルーベック死去の報を聞いている。
トータルな意匠にもどこか気を配っている感じもある、もう一つの現代ジャズ。楽曲はアンコール曲をのぞき、今年録られた『クァルテット・ヒューマン』からのもの。かなり、演じている本人たちもうれしそう。これ、期間限定のものという思いが送り手にはあるのか。ある曲のソロでサンボーンは、「マイ・フェイヴァリット・シングス」を引用していた。ところで、電気楽器を用いフュージョン傾向にあった『ダブル・ヴィジョン』でエレクトリック・ベースを弾いていたのはマーカス・ミラー。そして、この晩、4人はアコースティックな新アレンジで『ダブル・ヴィジョン』に入っていた曲を2つ演奏したが、それはともにミラーの作。本人のリーダー公演とは別で、ミラーの作曲能力を再認知するとは思わなかった。ミラーは、80年代はサンボーンと近い奏者でもあったんだよなー。彼は、オマエの曲2つもやったゾとか、報告を受けているかもしれない。
<今日の、ラグビー放映>
昼さがり、原稿仕事の合間に息抜きに,スポーツ・チャンネルをふとつけると、この土曜日にあったラグビーの日本のトップ・リーグの試合をやっている。すると在京チームの選手によく知る音楽家の弟さんがいるのに気付く。背番号6、すげえ自己滅私のポジションで奮闘していたナ。彼、お兄さんのライヴ(2013年8月24日、他)でも姿を見かける。顔は似ているが、体つきはあっと驚くほど違う。日常の鍛錬が血を凌駕することもある? 兄弟でまったく違うことができるのは、いいこと。って、サトー家も年子の姉はぜんぜん違う道を歩んでいるけど。
とくに中盤までは、うひょーって、感じ。もう、グツグツと弾き倒して楽曲の骨格を作るべース音に、ざくざく楔を入れる感覚をとても持つドラマーのルイス・ケイトーががちんこで重なり、その隙間を埋めるようにいい感じでエレクトリック・ピアノ音が入る……。それ、ハードなロバート・グラスパー(2013年1月25日、他)的表現と言いたくなる風情があって、ぼくはびっくり。要は,ヒップホップがのした時代ならではの跳ねとほつれをおおいに有する。おお、マーカス、変化しているじゃんとも思えたし、ミラーのバンドで何度も来ているケイトーがあんなに颯爽とした叩き口を持つドラマーだとは思いもしなかった。昨年、欧州ツアー中にミラー軍団が交通事故にあったさい、ケイトーだけは怪我を負ったというニュースも流れたが、問題なく回復しているようだ。
おしむらくは、管の2人にソロを向けるところ。2人とも下手じゃないが、重みのないソロをとるし、ぼくは不要と思う。そのソロ回しに顕われる、旧態依然としたフュージョン様式はぼくが新たにミラー表現に感じた現在的なギザギザの存在をスポイルしちゃう。もともと、彼はベースがサウンド総体の骨格を形作るという奇形というしかない音楽をやっているんだもの(ベースは本来、そういう楽器ではありません)、バランスとか完成度なんか無視して、個人技を前に出して暴走する行き方のほうがずっとぼくはピンと来るし、好ましい刺(それは、ケイトーの鮮やかな叩き口がおおいに貢献する)が露になって格好いいと思う。あーあ、トリオ編成でやれば、数段いいのにとぼくは思った。ミラーさん、もっとクルクルパーになって!
本編最後は、マイルズ・デイヴィスに提供し、後にセルフ・カヴァーもしているお馴染みの「ツツ」。さすがもう封印しちゃえばいいのにと、思わずにはいられず。ただ、ジョージ・デューク(2013年8月7日、参照)追悼でやった彼の「スウィート・ベイビー」はにっこり聞けた。ミラーさん、義理堅いな。デイヴィスの『ツツ』はA&Rのトミー・リピューマが、プロデュースをデュークとミラーにふったアルバムだった。リード・ヴォーカルはケイトーが叩きながらとり、コーラス部はミラーも歌う。そういえば、ミラーの初期2作のリーダー盤は自ら歌うブラック・ポップ傾向作だった。アンコールの1曲目はピアノを弾くウィリアムズとのデュオで、ミラーはべース・クラリネットを弾く。曲はガーシュインの「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ」。
そして、南青山・ブルーノート東京に移動。アルト・サックスのデイヴィッド・サンボーン(2012年3月3日、他)、ピアノのボブ・ジェイムズ、アコースティック・ベースのジェイムズ・ジナス(2012年1月13日、2012年3月3日 )、ドラムのスティーヴ・ガッド(2012年11月26日、他)からなる4人組を見る。
1986年にジェイムズとサンボーンは双頭名義作『ダブル・ヴィジョン』を発表し、グラミー賞も獲得。ではあったものの、それをフォロウするライヴを一回たりともすることもなく,続編も作らず、2人は宿題をやり残している気持ちを持っていた。そんな両者が懸案であった再双頭作を作る段階で、今回はフル・アコースティックにて固定少人数メンバーで行くしかないでしょとなり、そして出来たユニットがクァルテット・ヒューマンだ。そこで彼らが求めたのは、作編曲とソロが自在に解け合う方向〜それはある種のモダニズムを抱えると評したくなる〜。そして、その一部は、同じ編成のデイヴ・ブルーベック・カルテット憧憬/追悼を込めた指針が取られた。スタジオにはいっているときに、彼らはブルーベック死去の報を聞いている。
トータルな意匠にもどこか気を配っている感じもある、もう一つの現代ジャズ。楽曲はアンコール曲をのぞき、今年録られた『クァルテット・ヒューマン』からのもの。かなり、演じている本人たちもうれしそう。これ、期間限定のものという思いが送り手にはあるのか。ある曲のソロでサンボーンは、「マイ・フェイヴァリット・シングス」を引用していた。ところで、電気楽器を用いフュージョン傾向にあった『ダブル・ヴィジョン』でエレクトリック・ベースを弾いていたのはマーカス・ミラー。そして、この晩、4人はアコースティックな新アレンジで『ダブル・ヴィジョン』に入っていた曲を2つ演奏したが、それはともにミラーの作。本人のリーダー公演とは別で、ミラーの作曲能力を再認知するとは思わなかった。ミラーは、80年代はサンボーンと近い奏者でもあったんだよなー。彼は、オマエの曲2つもやったゾとか、報告を受けているかもしれない。
<今日の、ラグビー放映>
昼さがり、原稿仕事の合間に息抜きに,スポーツ・チャンネルをふとつけると、この土曜日にあったラグビーの日本のトップ・リーグの試合をやっている。すると在京チームの選手によく知る音楽家の弟さんがいるのに気付く。背番号6、すげえ自己滅私のポジションで奮闘していたナ。彼、お兄さんのライヴ(2013年8月24日、他)でも姿を見かける。顔は似ているが、体つきはあっと驚くほど違う。日常の鍛錬が血を凌駕することもある? 兄弟でまったく違うことができるのは、いいこと。って、サトー家も年子の姉はぜんぜん違う道を歩んでいるけど。
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