まず、ブルーノート東京(ファースト・ショウ)で、現代ジャズの最たる担い手であるトランペッター/バンド・リーダー(2002年7月3日。2005年8月21日、2009年3月26日、2010年10月21日)の、ワーキング・グループによる公演を見る。ブライス・ウィンストン(テナー・サックス。唯一の白人)、ファビアン・アルマザン(ピアノ)、ジョシュア・クランブリー(ベース)、ケンドリック・スコット(ドラムス)。皆、ブランチャードの新作『マグネティック』(ブルーノート)に参加していた人たち。ジュリアード出でまだ21歳のクランブリー以外は、その過去作にもいろいろと参加。特に、ウィンストンとスコットはかなり付き合いが長い。

 本来そこに、やはりブランチャードのコンボ歴の長いギタリストのリオネル・ルエケ(2012年3月3日、他)が入る予定だったが、それはキャンセルとなり、かわりにラヴィ・コルトレーン(テナーとソプラノ。もちろん。ジョン・コルトレーンの息子ですね)が同行。彼も『マグネティック』にゲスト入りしている。だが、アンコール曲(スタンダードの「朝日のようにさわやかに」。他の演奏曲はブランチャードかアルマザンのオリジナルだったはず)以外に、その両テナー・サックス奏者は一緒にステージにあがることはなく、主にコルトレーンがステージに立った。その際、ウィンストンは完全にステージから去っていて生理的にかわいそうな感じがしたが、オレの表現にテナー2本はいらないというブランチャードの堅い意志は伝わったな。

 サポートの奏者で一番耳を引いたのは、スコット(2013年2月2日、他)。4ビートじゃないけど、ちゃんとジャズとなるオルタナティヴな抑揚を叩き出していて、マル。今年の彼の自己グループ表現での叩き口より、ずっとぼくは興味をひかれた。彼はこの9月上旬にギター付き自己グループでコットンクラブに出演するが、楽しみだ。アルマザンは中盤以降、どんどんソロのパートを与えられ(部分的にピアノ・ソロとなる局面もあった)、ブランチャードの信任が厚いことがよく分る。彼はほんの一部、コルトレーンのソロのとき、電気キーボードを押さえたりもする。

 ルエケが不参加になった時点で、サウンドが少し穏健フツーになることは多分に想像され、事実そういう部分もあったかもしれない。だが、そのぶん、ブランチャードのトランペット・ソロにはより耳を傾けたりもしたわけで、なるほど素晴らしい演奏能力の持ち主であると再認識。ただし、新作でも一部そうだったが、トランペット音にエフェクトをかける場合があるのは、個人的には痛し痒し。それ、トータルなサウンドを俯瞰しての方策であることが分っても……。

 その後は、六本木・ビルボードライブ東京で、ザ・テンプテーションズ・レヴュー(2009年11月8日)を見る。デニス・エドワーズやデイヴィッド・シーらフロントに立つ5人のシンガーは同じ人たち(今回の衣装は鮮やかな緑色基調)、また、ホーンを除く5人編のバンドもキーボード奏者の一人をのぞいては前回見たときと同様。アフリカ系トロンボーン奏者が括り役を勤めていたホーン・セクションの3人は日本で調達されたよう。2人のトランペッターは日本人、サックス奏者はHPを見たら、なんとスティーヴ・サックス(2013年7月10日)となっている。

 かなり満足できちゃうショウを見ての所感は、前回かいたことと大筋で重なる。けっこう興行はなされているのだろう、質を落とさず、この時代に聞けてうれしいっと実感できるソウル・ショウを堂々、サーヴィス満点に展開。ここにある、“お宝”ができるだけ今後も残りますように。


<昨日の、なーんも言えねえ>
 土曜にJ1の東京vs.横浜の試合を、飛田給・味の素スタジアムに見に行った。スタジアムは風が吹き抜けて、けっこう快適。ほのかにではあるが、秋も感じる。マリノスも昔から憎からず思って来たチームだが、一応都民として試合に接する。体温の低い観戦者であり、かつ全体主義を嫌う者としては、やはり、両チームの応援の鳴りモノ音や声がうるさすぎる。自分本位な書き方をすれば、迷惑だ。有名選手がいろいろいるわりにはFC東京、なんかパっとしないよなあ。どこか鬱憤を抱えて見ていたが、試合の最後の中村俊輔( 2002年7月21日)の驚愕玉さばきの末のゴールには感嘆。あれれあれれれ、という感じで、なんか彼の周りだけ時間が止まっているようだった。げ。今後、これを超える印象的なパフォーマンスを彼は出せるかと思えたほど。マリノスの前半のゴールもとっても美しい1、2を経てのゴールであったし、花火大会ではなくサッカーをとって良かった、と思えた。
 ところで電車賃、家から国立球技場までは5駅で380円(家から徒歩5分の駅を使用)。味の素スタジアムまでは、17駅で230円(家から徒歩10分の別の私鉄線を使う)。とうぜん、乗車時間もぜんぜん違う。世のなか、いろいろだよなー。もう一つ、サッカーねた。テンプスのエディ・ケンドリックスやデイヴィッド・シーが生まれたアラバマ州バーミングハムは1996年アトランタ・オリンピック時のサッカーの会場となった。日本の代表チームもブラジル戦で奇跡的勝利(@マイアミ)をあげたあと、バーミングハムで試合をしたのだった。今はそうか知らないが(たぶん、現在も居住しているんじゃないかなー)、そのとき、テンプス加入前のシーはバーミングハムに住んでいた。バーミングハムと記したのは、エドワーズがシーの出身地を紹介するときに、バーミンガムよりもバーミングハムに近い発音していたような気がしたためだ。少なくても、グ は聞こえた。

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