ザ・D.O.T.。チキンシャック
2013年6月13日 音楽 まず、恵比寿・リキッドルームで、UK2人組ユニットのザ・D.O.T.を見る。ザ・ミュージック(2008年5月1日)のフロント・マンのロブ・ハーヴェイがリード・ヴォーカルを取り(ギターを聞きながら歌う曲もあり)、ザ・ストリーツという個人ユニットをやりケヴィン・デヴァイン(2009年2月16日)他のプロデュースをしていたりもするマイク・スキナーが電気音の音出しをする。たまにバックグランド・ヴォーカルを取る彼は1曲リードも取った。全面的にエレクトロ音が採用された、どこかじめっとしたUKポップ。サウンドの音があまりクリアーでないのはわざとなのだろうか。それには、ぼくは興をそがれた。
その後は、南青山・ブルーノート東京で、1980年代下半期に鋭意活動していたソウル味フュージョン・バンドであるチキンシャックの再結成公演を見る。ギターの山岸潤史(2012年9月8日、他)、アルトやソプラノ・サックスの土岐英史(2009年5月30日、他)、キーボードの続木徹のオリジナル・メンバーに、再結成作でも多くの曲に参加していたベースのウォーネル・ジョーンズとドラムの鶴谷智生(2008年9月11日、他)という編成でパフォーマンス。ジョニー・ギター・ワトソンに捧げた土岐曲で山岸はギンギンにイケてるソロを取るとともに、ワトソンの変則的なギターの肩掛けで弾いてみせる。それが、ぼくにとってのこの日の演奏のハイライト。
<今日の、ウォーネルさん>
実は、今回のチキンシャック公演は、ベーシストのウォーネル・ジョーンズがまず一番のぼくの目当てであったか。彼は黒人ながら、長年ニルス・ロフグレン(1970年代中期からコンスタントにリーダー作を出している、シカゴ生まれのロッカー。ニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』や『トゥナイト・ザ・ナイト』、ブルース・スプリングスティーンの1980年代下半期のアルバムに関与していたりも)のバンドに入っていて、その10枚ほどのアルバムに名前が見られる人。そのロフグレン・バンドには一時、リオン・ラッセル(2005年11月24日)の黄金期(3枚組『リオン・ライヴ』のころ)を支えたピアニストのパトリック・ヘンダーソン牧師も入っていた(彼の1996年のリーダー作はゴスペル・アルバム)。そして、ウォーネル・ジョーンズも、リオン・ラッセルとは親交があったはず。そんな彼が現在東京に住んでいてサポートでベースを弾いているのは知っていたが、やっとその勇士を見れてうれC。彼は5弦の電気ベースをぐいぐい弾き(スラッピングもする)、ときに歌ってくれた。歌はあまりうまくなかったが、その様にもグっと来たワタシ。スリムな体形の彼は現役感にあふれており、それもぼくにはうれしかった。ワシントン・ゴー・ゴー曲(チャック・ブラウン〜2010年3月18日〜の「バスティン・ルーズ」?)もうれしそうにやったが、彼ってD.C.出身なのか。その際、わざとかもしれないが、ドラムのリズムがぜんぜんゴー・ゴーじゃないのがとっても悲しかった。深夜帰宅後、ニルス・ログフレンの1977年2枚組ライヴ盤を聞こうとしたが、見つからず(2分ほどで断念)。1976年作『クライ・タフ』を聞く。それが、ロフグレンで一番有名なアルバムだが、アル・クーパー(2007年12月10日)のプロデュースであったのか。
その後は、南青山・ブルーノート東京で、1980年代下半期に鋭意活動していたソウル味フュージョン・バンドであるチキンシャックの再結成公演を見る。ギターの山岸潤史(2012年9月8日、他)、アルトやソプラノ・サックスの土岐英史(2009年5月30日、他)、キーボードの続木徹のオリジナル・メンバーに、再結成作でも多くの曲に参加していたベースのウォーネル・ジョーンズとドラムの鶴谷智生(2008年9月11日、他)という編成でパフォーマンス。ジョニー・ギター・ワトソンに捧げた土岐曲で山岸はギンギンにイケてるソロを取るとともに、ワトソンの変則的なギターの肩掛けで弾いてみせる。それが、ぼくにとってのこの日の演奏のハイライト。
<今日の、ウォーネルさん>
実は、今回のチキンシャック公演は、ベーシストのウォーネル・ジョーンズがまず一番のぼくの目当てであったか。彼は黒人ながら、長年ニルス・ロフグレン(1970年代中期からコンスタントにリーダー作を出している、シカゴ生まれのロッカー。ニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』や『トゥナイト・ザ・ナイト』、ブルース・スプリングスティーンの1980年代下半期のアルバムに関与していたりも)のバンドに入っていて、その10枚ほどのアルバムに名前が見られる人。そのロフグレン・バンドには一時、リオン・ラッセル(2005年11月24日)の黄金期(3枚組『リオン・ライヴ』のころ)を支えたピアニストのパトリック・ヘンダーソン牧師も入っていた(彼の1996年のリーダー作はゴスペル・アルバム)。そして、ウォーネル・ジョーンズも、リオン・ラッセルとは親交があったはず。そんな彼が現在東京に住んでいてサポートでベースを弾いているのは知っていたが、やっとその勇士を見れてうれC。彼は5弦の電気ベースをぐいぐい弾き(スラッピングもする)、ときに歌ってくれた。歌はあまりうまくなかったが、その様にもグっと来たワタシ。スリムな体形の彼は現役感にあふれており、それもぼくにはうれしかった。ワシントン・ゴー・ゴー曲(チャック・ブラウン〜2010年3月18日〜の「バスティン・ルーズ」?)もうれしそうにやったが、彼ってD.C.出身なのか。その際、わざとかもしれないが、ドラムのリズムがぜんぜんゴー・ゴーじゃないのがとっても悲しかった。深夜帰宅後、ニルス・ログフレンの1977年2枚組ライヴ盤を聞こうとしたが、見つからず(2分ほどで断念)。1976年作『クライ・タフ』を聞く。それが、ロフグレンで一番有名なアルバムだが、アル・クーパー(2007年12月10日)のプロデュースであったのか。
コメント