ミュージカル「ヘアー」
2013年5月29日 音楽 ロック/ヒッピー・ムーヴメント〜カウンター・カルチャーの興隆を下敷きに、新たな価値観(そのタイトルは、どんな髪型をしてもいいのダという意思から来ているという)の台頭を主題とする1967年オフ・ブロードウェイ初演ミュージカル(翌年には、ブロードウェイに移る)が「ヘアー」だ。その名称を目にすると、ぼくはほのかに胸騒ぎを覚える。その日本キャストの初演は1969年。ぼくは小学生だったが、出演者たちが葉っぱでパクられて興行が中止になったという報道を見て(新聞愛読小僧だったからナ)、わああと反応したのだ。反道徳的イケナイはヤバいけどなんかシビれる。そのミュージカルの主題などは知るよしもなかったが、子供心にぼくはそう感じたのではなかったか。そういえば、TVニュースでは学生運動の軋轢がその頃よく報道されていたが、ぼくはそれをカッコいいと感じるガキだった。
その後、何度か興行されるとともに、大きく変えられて映画化もされてもいるようだが、ぼくはその「ヘアー」群を見聞きすることはなかった。この新版(数年前にダイアン・パラウスという女性によって演出された)は米国各地を回ったものが日本に持ってこられていて、副題には“ザ・アメリカン・トライバル・ラヴ・ロック・ミュージカル”と記されている。あ、このミュージカルは初のロック・ミュージカルという位置づけがされるのだっけ? ロック・ミュージカルとして良く知られる英国主導(元締めはRSOレコードを立ち上げたロバート・スティグウッド)の「ジーザス・クライスト・スーパースター」が出てくるのは1970年代に入ってからだ。
音楽は7人編成(鍵盤2、リード、ギター、ベース、ドラム、打楽器。ミュージカル・ディレクターの鍵盤奏者とドラマーは女性)のバンドが奏で、それにあわせて歌われる歌唱やセリフはよく聞こえたので、マイクで拾われているよう。本ミュージカル派生の有名曲「アクエリアス」(ザ・フィフス・ディメンションが1969年にNo.1ヒットさせ、グラミー賞もとった)は冒頭で歌われる。稀にジミ・ヘンドリックス調ギターやゴスペル調曲もでてきたりもする音楽については今の耳で聞くならそれほどロックぽくはない。オリジナルの脚本と作詞はジェイムズ・ラドーとジェローム・ラグニーという初演時に主役の役柄を演じた2人の若い俳優が作り、音楽を作っているガルタ・マクダーモットは南アの大学でクラシックを学んだカナダ人であるという。
スタート時、主役がすぐに客席におり、カタコトの日本語を交え、客をいじる。ダンスの場面で何度か出演者の一部は客席側に降りたり(2階席にも出て来たよう)、別の役柄の人が客席側から出入りする場面もあり。それなりに、動的な印象を与えるか。
台詞や歌詞の日本語訳はステージ左右に置かれた細長い表示板に縦書きで字幕表示される。アレン・ギンズバーグがアレン・ジンズバーグと表記されるときも。多分、脚本の台詞を翻訳したのだろうが、有名文化人の名を誤表示されるのには違和感を覚えた。劇中でも役者は、ギンズバーグと言っていた。
舞台は、1967年のニューヨーク。街角につるむ、フラワー・ムーヴメントに感化され自由な価値観を謳歌せんとする若者達(トライブ)のやりとりが柱となる。性別や人種も散った彼らは、いかにもラヴ&ピースなカラフルな格好や髪型をしていて(するとステレオタイプではあるが、アフリカ系男性はジミ・ヘンドリックス的外見となる)、それはもろに1960年代後半の薫りむんむん。甘酸っぱい。その手の愛好者はたまらないだろう。とともに、その時代はまだ徴兵制があり(大学に行くと免除になり、くじ引で招集される人が選ばれた時代?)、米国はヴェトナム戦争をやっていた。高校をドロップアウトしたトライヴのなかの1人に召集令状が届き……そこには反戦のテーマが大きく横たわる。
話がとぶが、設定された場所と時期は、ザ・ビートルズ曲を素材に用いたロック・ミュージカル映画「アクロス・ザ・ユニバース」(2008年8月31日)とまったく重なる。というか、同映画の筋や主題はミュージカル「ヘアー」があってこそのものなのだと、ぼくは気付かされた。とともに、それらの符合は、戦争や徴兵は当時の米国において少なくない数の人々が感じざるを得ない陰や傷や恥であったのではないか。ぼくは劇を見ながら、社会/為政者の愚行とポップ・ミュージック/大衆娯楽表現との関係をいろいろ反芻したりもしていた。日本ではなく米国でも欧州諸国でもいいのだが、もしそちらで原発事故がおきたとしたら、彼の地に住む人たちの表現はどういうふうに変質したかということも、不謹慎ながらいろいろ考えてしまった。
ラヴ&ピースの気運があった1960年代へのほのかな憧憬を孕む、動的な若者群像ミュージカル。LSDによるトリップという設定で、リンカーンやカスター将軍ら合衆国史上の偉人が出てくる場面があり、アリサ・フランクリンも出て来て、声を張り上げる。
20分の休憩を挟んで、2時間半の出し物。とっても、観客フレンドリーな終わり方をとっている。興行初日であったためか、終演後は出演者たちがホワイエに出て来て、来場者に花を配っていた。この後の移動その他があるので、ぼくはもらわず。だって、おっさんが花一輪手にして街中にいる図はどうにも……。渋谷・シアターオーブ。6月9日まで、やっている。
<今日の、東急>
かつて日本人キャストの同ミュージカルが初演された会場は、渋谷・東横劇場であったのだとか。きせずして、同じ東急系の渋谷にある建物で、その新しい本国版が披露されているわけになるのか。渋谷駅上の東急百貨店東横店の上階にあった同劇場でエルヴィス・コステロがライヴを行ったことがあって、それは1984年。もちろん見ているが、ぼくにとっての東横劇場というと、小学低学年の夏休みにミュージカル「青い鳥」(チルチル、ミチルのお話ですね)をここで見たことがあって、それが忘れがたい。かなり引き込まれ、終演後はかなり高揚したはず。ではあったものの、ミュージカルや演劇というものにはその後ぜんぜん興味を持たなかったというのはどうしてか。ロックはすぐに海外文化の享受という悦楽に結びついたのにたいし、ミュージカルはぼくのなかではそうではなかったからか。それに音楽の場合は、自分の部屋で楽に受け取れるしね。しかし、渋谷ヒカリエ(かつては、プラネタリウムが最上部に持たれた東急文化会館があった。そのプラネタリウムでは、UKソウル・マンのグレン・スコットがライヴをやったことがありました。2002年4月18日)にあるシアターオーブは自由スペースがほぼガラス張りでとにもかくにも眺めよすぎ。なんもないとき、改めて来たいナと思うほどに。身近な場所の風景だから、より興味もひかれるのか。その上階はオフィス用途フロア、そこで働いている人はどんな思いを得ているのだろう? 慣れと忙しさで、どーでもよくなっちゃうのかなー。
その後、何度か興行されるとともに、大きく変えられて映画化もされてもいるようだが、ぼくはその「ヘアー」群を見聞きすることはなかった。この新版(数年前にダイアン・パラウスという女性によって演出された)は米国各地を回ったものが日本に持ってこられていて、副題には“ザ・アメリカン・トライバル・ラヴ・ロック・ミュージカル”と記されている。あ、このミュージカルは初のロック・ミュージカルという位置づけがされるのだっけ? ロック・ミュージカルとして良く知られる英国主導(元締めはRSOレコードを立ち上げたロバート・スティグウッド)の「ジーザス・クライスト・スーパースター」が出てくるのは1970年代に入ってからだ。
音楽は7人編成(鍵盤2、リード、ギター、ベース、ドラム、打楽器。ミュージカル・ディレクターの鍵盤奏者とドラマーは女性)のバンドが奏で、それにあわせて歌われる歌唱やセリフはよく聞こえたので、マイクで拾われているよう。本ミュージカル派生の有名曲「アクエリアス」(ザ・フィフス・ディメンションが1969年にNo.1ヒットさせ、グラミー賞もとった)は冒頭で歌われる。稀にジミ・ヘンドリックス調ギターやゴスペル調曲もでてきたりもする音楽については今の耳で聞くならそれほどロックぽくはない。オリジナルの脚本と作詞はジェイムズ・ラドーとジェローム・ラグニーという初演時に主役の役柄を演じた2人の若い俳優が作り、音楽を作っているガルタ・マクダーモットは南アの大学でクラシックを学んだカナダ人であるという。
スタート時、主役がすぐに客席におり、カタコトの日本語を交え、客をいじる。ダンスの場面で何度か出演者の一部は客席側に降りたり(2階席にも出て来たよう)、別の役柄の人が客席側から出入りする場面もあり。それなりに、動的な印象を与えるか。
台詞や歌詞の日本語訳はステージ左右に置かれた細長い表示板に縦書きで字幕表示される。アレン・ギンズバーグがアレン・ジンズバーグと表記されるときも。多分、脚本の台詞を翻訳したのだろうが、有名文化人の名を誤表示されるのには違和感を覚えた。劇中でも役者は、ギンズバーグと言っていた。
舞台は、1967年のニューヨーク。街角につるむ、フラワー・ムーヴメントに感化され自由な価値観を謳歌せんとする若者達(トライブ)のやりとりが柱となる。性別や人種も散った彼らは、いかにもラヴ&ピースなカラフルな格好や髪型をしていて(するとステレオタイプではあるが、アフリカ系男性はジミ・ヘンドリックス的外見となる)、それはもろに1960年代後半の薫りむんむん。甘酸っぱい。その手の愛好者はたまらないだろう。とともに、その時代はまだ徴兵制があり(大学に行くと免除になり、くじ引で招集される人が選ばれた時代?)、米国はヴェトナム戦争をやっていた。高校をドロップアウトしたトライヴのなかの1人に召集令状が届き……そこには反戦のテーマが大きく横たわる。
話がとぶが、設定された場所と時期は、ザ・ビートルズ曲を素材に用いたロック・ミュージカル映画「アクロス・ザ・ユニバース」(2008年8月31日)とまったく重なる。というか、同映画の筋や主題はミュージカル「ヘアー」があってこそのものなのだと、ぼくは気付かされた。とともに、それらの符合は、戦争や徴兵は当時の米国において少なくない数の人々が感じざるを得ない陰や傷や恥であったのではないか。ぼくは劇を見ながら、社会/為政者の愚行とポップ・ミュージック/大衆娯楽表現との関係をいろいろ反芻したりもしていた。日本ではなく米国でも欧州諸国でもいいのだが、もしそちらで原発事故がおきたとしたら、彼の地に住む人たちの表現はどういうふうに変質したかということも、不謹慎ながらいろいろ考えてしまった。
ラヴ&ピースの気運があった1960年代へのほのかな憧憬を孕む、動的な若者群像ミュージカル。LSDによるトリップという設定で、リンカーンやカスター将軍ら合衆国史上の偉人が出てくる場面があり、アリサ・フランクリンも出て来て、声を張り上げる。
20分の休憩を挟んで、2時間半の出し物。とっても、観客フレンドリーな終わり方をとっている。興行初日であったためか、終演後は出演者たちがホワイエに出て来て、来場者に花を配っていた。この後の移動その他があるので、ぼくはもらわず。だって、おっさんが花一輪手にして街中にいる図はどうにも……。渋谷・シアターオーブ。6月9日まで、やっている。
<今日の、東急>
かつて日本人キャストの同ミュージカルが初演された会場は、渋谷・東横劇場であったのだとか。きせずして、同じ東急系の渋谷にある建物で、その新しい本国版が披露されているわけになるのか。渋谷駅上の東急百貨店東横店の上階にあった同劇場でエルヴィス・コステロがライヴを行ったことがあって、それは1984年。もちろん見ているが、ぼくにとっての東横劇場というと、小学低学年の夏休みにミュージカル「青い鳥」(チルチル、ミチルのお話ですね)をここで見たことがあって、それが忘れがたい。かなり引き込まれ、終演後はかなり高揚したはず。ではあったものの、ミュージカルや演劇というものにはその後ぜんぜん興味を持たなかったというのはどうしてか。ロックはすぐに海外文化の享受という悦楽に結びついたのにたいし、ミュージカルはぼくのなかではそうではなかったからか。それに音楽の場合は、自分の部屋で楽に受け取れるしね。しかし、渋谷ヒカリエ(かつては、プラネタリウムが最上部に持たれた東急文化会館があった。そのプラネタリウムでは、UKソウル・マンのグレン・スコットがライヴをやったことがありました。2002年4月18日)にあるシアターオーブは自由スペースがほぼガラス張りでとにもかくにも眺めよすぎ。なんもないとき、改めて来たいナと思うほどに。身近な場所の風景だから、より興味もひかれるのか。その上階はオフィス用途フロア、そこで働いている人はどんな思いを得ているのだろう? 慣れと忙しさで、どーでもよくなっちゃうのかなー。
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