会場に向かうときに会ったファースト・ショウを見た知り合いとか、会場で会った知人とか、この女傑系R&Bシンガーのショウに接した人はみんな大絶賛。わあ、というほどに。前回の来日時(2007年10月9日)にぼくは仰天したので、今回はわりと冷静に見れたが、頭を垂れまくりの、なんとも傑出した歌手じゃとまた思わせられたのは間違いない。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。
前回と同様の白人主体のバンドはベストと言えるものではないけれど、その功罪も絡み、ラヴェットの喉力は生々しくアピールされる。いやはや、今67歳のようだが、老いた感覚も皆無。話もうまいし、ロック曲(現在はアンタイと契約していて、ここ4作はロック曲カヴァー比率が高い)にしろR&B側にある曲にしろ、ぎゅっと自らの拳でわしづかみし、自分色に染上げて聞き手を射抜く匠の歌唱芸が70 分強。最後は演奏陣が一人づつステージを降りていき、彼女だけが残る。そして、シニード・オコナー曲「アイ・ドゥ・ノット・ウォント・アイ・ハヴント・ガット」をアカペラで歌う。一部ノー・マイクの声もとってもうまく活用、すごい訴求力。そして、歌い終わった後は、観客のスタンディング・オヴェイションを受けながら、まさしく役者のようにステージに立つ。その風情とか、ちっとした表情とか、完璧にハマった(計算された)それは、なんかシャンソンの大御所歌手みたいともぼくは思った。そして、その様に触れながら、なんか適切なストーリーとともにプレゼンテーションされたら、彼女はホール級の会場でできるぐらい一般的な人気を日本で獲得することも可能なのではないかとも、ぼくは思わずにはいられなかった。たとえば、かつてのジミー・スコット(2000年4月21日)のように。
<今日の、異邦人トリオ>
生粋のニューヨーカーであるジェシー・ハリス、ここ20 年はNYのブラジル人であるヴィニシウス・カントゥアリア、ずっとカリオカなダヂ、そんな3人に午後にインタヴュー。どんなときだって怒った顔つきのカントゥアリア(表情だけ、です。インタヴュー中もギターを離さず。取材後、ストーンズの曲の弾き方を彼はハリスに教えたりも。そんな彼の趣味は料理)と終始ほのぼの笑顔のダヂは対照的。彼らはトリオ・エストラジェイロスと名乗って、26日からツアーに入る。それは、ダヂとカントゥアリアも入っているハリスの2012年作『サブ・ローザ』(ダチが制作関与のマリーザ・モンチの『あなたが本当に知りたいこと』にはハリスとカントゥアリアが参加)から持ち上がった単位だ。アート・リンゼイ制作のカエターノ・ヴェローゾ『エストランジェイロ』(参加ギター奏者はビル・フリゼールやマーク・リーボウ)のことでも、取材中に一部話は盛り上がる。インタヴュー終了後、ハリスは取材を受けた建物(スパイラル・ビル)の開放感ある階段の踊り場で、新作『ボーン・アウェイ』をプロモーションするギター弾き語りライヴを30分行う。その新作、絢爛豪華参加者を持つ前作から一転、質素な設定で作られたプライヴェートなノリの一作で、ハリスがこれまであまり見せていなかったじとォっとした一面を出した、スウィート・ビターな内容。過去作と一線を画すよねと感想を言うと、彼は大きく肯定。この日、ハリスはここで2本のフリー・ライヴをやったが、夜にやったもう1本にはカントゥアリアとダヂも加わったという。1970年代に一緒にバンドを組んだこともあり、ともにカエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日)の覚えもめでたいヴィニシウスとダヂだが、前者はハタチぐらいの娘(ながら、1歳未満の子供もいる)、後者(もうすぐ、生まれる孫が楽しみでしょうがない)は奥さんを今回伴っている。それから、いろんな人との付き合いを持つハリスはこのサマー・フェス期間、ジョン・ゾーン(2006年1月21日、他)の“ソング・プロジェクト”でノース・シー・ジャズ祭他を回る。演奏陣はジョン・メデスキ(1999年8月15日、2000年8月13日、2001年2月5日、2002年9月7日、2004年1月24日、2007年5月10日、2008年12月16日 、2012年3月2日)やマーク・リーボウ(2011年8月4日、他)ら。ハリスとともにそこにシンガーとして加わるのはマイク・パットン(2005年9月5日)!。なお、そのソング・プロジェクトの曲も1曲、ハリスはそこで披露した。
前回と同様の白人主体のバンドはベストと言えるものではないけれど、その功罪も絡み、ラヴェットの喉力は生々しくアピールされる。いやはや、今67歳のようだが、老いた感覚も皆無。話もうまいし、ロック曲(現在はアンタイと契約していて、ここ4作はロック曲カヴァー比率が高い)にしろR&B側にある曲にしろ、ぎゅっと自らの拳でわしづかみし、自分色に染上げて聞き手を射抜く匠の歌唱芸が70 分強。最後は演奏陣が一人づつステージを降りていき、彼女だけが残る。そして、シニード・オコナー曲「アイ・ドゥ・ノット・ウォント・アイ・ハヴント・ガット」をアカペラで歌う。一部ノー・マイクの声もとってもうまく活用、すごい訴求力。そして、歌い終わった後は、観客のスタンディング・オヴェイションを受けながら、まさしく役者のようにステージに立つ。その風情とか、ちっとした表情とか、完璧にハマった(計算された)それは、なんかシャンソンの大御所歌手みたいともぼくは思った。そして、その様に触れながら、なんか適切なストーリーとともにプレゼンテーションされたら、彼女はホール級の会場でできるぐらい一般的な人気を日本で獲得することも可能なのではないかとも、ぼくは思わずにはいられなかった。たとえば、かつてのジミー・スコット(2000年4月21日)のように。
<今日の、異邦人トリオ>
生粋のニューヨーカーであるジェシー・ハリス、ここ20 年はNYのブラジル人であるヴィニシウス・カントゥアリア、ずっとカリオカなダヂ、そんな3人に午後にインタヴュー。どんなときだって怒った顔つきのカントゥアリア(表情だけ、です。インタヴュー中もギターを離さず。取材後、ストーンズの曲の弾き方を彼はハリスに教えたりも。そんな彼の趣味は料理)と終始ほのぼの笑顔のダヂは対照的。彼らはトリオ・エストラジェイロスと名乗って、26日からツアーに入る。それは、ダヂとカントゥアリアも入っているハリスの2012年作『サブ・ローザ』(ダチが制作関与のマリーザ・モンチの『あなたが本当に知りたいこと』にはハリスとカントゥアリアが参加)から持ち上がった単位だ。アート・リンゼイ制作のカエターノ・ヴェローゾ『エストランジェイロ』(参加ギター奏者はビル・フリゼールやマーク・リーボウ)のことでも、取材中に一部話は盛り上がる。インタヴュー終了後、ハリスは取材を受けた建物(スパイラル・ビル)の開放感ある階段の踊り場で、新作『ボーン・アウェイ』をプロモーションするギター弾き語りライヴを30分行う。その新作、絢爛豪華参加者を持つ前作から一転、質素な設定で作られたプライヴェートなノリの一作で、ハリスがこれまであまり見せていなかったじとォっとした一面を出した、スウィート・ビターな内容。過去作と一線を画すよねと感想を言うと、彼は大きく肯定。この日、ハリスはここで2本のフリー・ライヴをやったが、夜にやったもう1本にはカントゥアリアとダヂも加わったという。1970年代に一緒にバンドを組んだこともあり、ともにカエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日)の覚えもめでたいヴィニシウスとダヂだが、前者はハタチぐらいの娘(ながら、1歳未満の子供もいる)、後者(もうすぐ、生まれる孫が楽しみでしょうがない)は奥さんを今回伴っている。それから、いろんな人との付き合いを持つハリスはこのサマー・フェス期間、ジョン・ゾーン(2006年1月21日、他)の“ソング・プロジェクト”でノース・シー・ジャズ祭他を回る。演奏陣はジョン・メデスキ(1999年8月15日、2000年8月13日、2001年2月5日、2002年9月7日、2004年1月24日、2007年5月10日、2008年12月16日 、2012年3月2日)やマーク・リーボウ(2011年8月4日、他)ら。ハリスとともにそこにシンガーとして加わるのはマイク・パットン(2005年9月5日)!。なお、そのソング・プロジェクトの曲も1曲、ハリスはそこで披露した。
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