六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。昨年に続く来日(ぼくは見ていない)、彼のものすごく久しぶりに出た『ザ・ブレイヴェスト・マン・イン・ザ・ユニヴァース』(XL)はリチャード・ラッセルやデイモン・アルバーン制作のエレクトロ・ソウル調の内容のアルバムだったが、まさかこれだけきっちりソウル様式=ウーマック流儀に則ったソウル・ショウを展開してくれるとは!! そう感じてしまったのは、彼(1944年生まれ)が初期の癌であったりアルツハイマーであると伝えられたり、実際『ザ・ブレイヴェスト・マン・イン・ザ・ユニヴァース』の歌声はどこか枯れていると思わせるところもあったから。だが、4人のホーンや3人の女性コーラスを擁する13人編成のバンドとの実演はかつての異名“ラスト・ソウル・マン”たる威厳と訴求力に満ちていた。もちろん、新譜での電気的要素を出すこともなかった。
おなじみの曲群を、正攻法で。確かに少し身体は弱っているのだろう。ショウの半分は椅子に座って歌ったはず。本来お得意のギターを弾くこともなかった。だが、歌は衰えていない。音程も確か。彼の1990年代のパフォーマンスはどうしてあんなに青筋立てて力んで歌うのかと誰もが?印を呈したくなるものであったので、今ぐらいの歌唱のほうががいいとも思える。間違いなく、パフォーマーとして、彼は今も大丈夫。アルツハイマー云々というのも、皆目わからず。歌詞を忘れて歌が途切れるなんていうこともなかったし(万が一、忘れてもオイラのノリで歌声を出せば立派な彼の歌唱になるわけだが)、バック・コーラスの人のファースト・ネームを忘れたりもしなかった。あと、オバマを地蔵顔にしたようなスーツを行儀良く来た付き人さんが最高。かいがいしくつくとともに、ステージ袖でガンガン踊っているんだもの。バンドを含めて彼の回りにはいい人がいるとも、思わせられました。
よかったっス。とにかく、掛け替えのない、うれしい何かがたっぷり。ほんと、素晴らしいソウル・ミュージックの体現者。もっともっと、ぼくたちはこの傑物に触れる必要がある。確か、彼の初来日は1987年あたりか。東京公演は、五反田の郵便貯金ホール。その際の同行ドラマーは当時LA在住の沼澤尚(2013年1月7日、他)だった。なんだ、あの日本語しゃべったドラマーは? そのときはどんな奴か知らなかったけど、その次に戻ってきたとき共通の知人がいたこともあって仲良くなり、ぼくがLAに行くと運転手をやってもらったり、向こうが東京に帰って来るたびにぼくの家に遊びに来ていたりしていた。そういえば、ホーム・パーティや花火大会に誘ったりもしていたな。今、Jリーグ開幕20周年なんて言われているが、それよりぜんぜん昔のことだな。なお、沼澤はサッカーではなく、熱心な野球少年だった。
<今日の、むーん>
2日前には雨天の予報のはずだったが、ひえ〜ってぐらいに晴天。これはこれはと言う感じで、新宿区の国立競技場に向かう。そのあと、六本木にも都営地下鉄1本、たった2駅でいけるしナ。この日あったのはJ2のサッカーの試合で、東京ヴェルディvsヴィッセル神戸。わー両チームともウ濁点をちゃんと正式表記に用いるんだな。レコード会社だって、ユニバーサル・ミュージックとかエイベックスとか、ウ濁点を回避する所もあるのに。。。新宿区居住者や勤労者は無料とか記念のお菓子をくばるなど、いろいろ頑張ったようなヴェルディ(考えてみれば、20年前のJリーグ発足記念の国立球技場ゲームの二分の一チームではないか。ぼくはあの試合の、マリノスのディアスの得点後のポーズと笑顔にやられた)主催マッチなはずなのにええっていうぐらいガラガラなのにおののく。まあ、隣とか気兼ねせずに見れるのはいいが。会場に着いたところで、ヴェルディ嫌いのぼくはとっても濃い緑色(ヴェルディの色ですね)が入っている上着を持っていることに気付き盛り下がる。そんなわけで、神戸(そのオーナーにもいい印象は持てないが)を応援しながら見ていたが、”神戸の時間”だったのに高原直泰が最後に鮮やかに決めて2−1で負けてどよーん。高原は憎からず感じる選手で、その2ゴールはうれしいものの、ナンデコウナルンダあ。応援しているチームが入れたなら最高だが、逆だとサイアク。あ〜あ。
おなじみの曲群を、正攻法で。確かに少し身体は弱っているのだろう。ショウの半分は椅子に座って歌ったはず。本来お得意のギターを弾くこともなかった。だが、歌は衰えていない。音程も確か。彼の1990年代のパフォーマンスはどうしてあんなに青筋立てて力んで歌うのかと誰もが?印を呈したくなるものであったので、今ぐらいの歌唱のほうががいいとも思える。間違いなく、パフォーマーとして、彼は今も大丈夫。アルツハイマー云々というのも、皆目わからず。歌詞を忘れて歌が途切れるなんていうこともなかったし(万が一、忘れてもオイラのノリで歌声を出せば立派な彼の歌唱になるわけだが)、バック・コーラスの人のファースト・ネームを忘れたりもしなかった。あと、オバマを地蔵顔にしたようなスーツを行儀良く来た付き人さんが最高。かいがいしくつくとともに、ステージ袖でガンガン踊っているんだもの。バンドを含めて彼の回りにはいい人がいるとも、思わせられました。
よかったっス。とにかく、掛け替えのない、うれしい何かがたっぷり。ほんと、素晴らしいソウル・ミュージックの体現者。もっともっと、ぼくたちはこの傑物に触れる必要がある。確か、彼の初来日は1987年あたりか。東京公演は、五反田の郵便貯金ホール。その際の同行ドラマーは当時LA在住の沼澤尚(2013年1月7日、他)だった。なんだ、あの日本語しゃべったドラマーは? そのときはどんな奴か知らなかったけど、その次に戻ってきたとき共通の知人がいたこともあって仲良くなり、ぼくがLAに行くと運転手をやってもらったり、向こうが東京に帰って来るたびにぼくの家に遊びに来ていたりしていた。そういえば、ホーム・パーティや花火大会に誘ったりもしていたな。今、Jリーグ開幕20周年なんて言われているが、それよりぜんぜん昔のことだな。なお、沼澤はサッカーではなく、熱心な野球少年だった。
<今日の、むーん>
2日前には雨天の予報のはずだったが、ひえ〜ってぐらいに晴天。これはこれはと言う感じで、新宿区の国立競技場に向かう。そのあと、六本木にも都営地下鉄1本、たった2駅でいけるしナ。この日あったのはJ2のサッカーの試合で、東京ヴェルディvsヴィッセル神戸。わー両チームともウ濁点をちゃんと正式表記に用いるんだな。レコード会社だって、ユニバーサル・ミュージックとかエイベックスとか、ウ濁点を回避する所もあるのに。。。新宿区居住者や勤労者は無料とか記念のお菓子をくばるなど、いろいろ頑張ったようなヴェルディ(考えてみれば、20年前のJリーグ発足記念の国立球技場ゲームの二分の一チームではないか。ぼくはあの試合の、マリノスのディアスの得点後のポーズと笑顔にやられた)主催マッチなはずなのにええっていうぐらいガラガラなのにおののく。まあ、隣とか気兼ねせずに見れるのはいいが。会場に着いたところで、ヴェルディ嫌いのぼくはとっても濃い緑色(ヴェルディの色ですね)が入っている上着を持っていることに気付き盛り下がる。そんなわけで、神戸(そのオーナーにもいい印象は持てないが)を応援しながら見ていたが、”神戸の時間”だったのに高原直泰が最後に鮮やかに決めて2−1で負けてどよーん。高原は憎からず感じる選手で、その2ゴールはうれしいものの、ナンデコウナルンダあ。応援しているチームが入れたなら最高だが、逆だとサイアク。あ〜あ。
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