龝吉 敏子ジャズ・オーケストラ
2013年4月30日 音楽 日本人ジャズ・アーティストの大の先駆者にして、インターナショナルなジャズの担い手の第一人者であるピアニスト(1929年生まれ)の、夫のリード奏者のルー・タバキン(1940年生まれ)を立てての結成当初はとってもプログレッシヴでもあったビッグ・バンドの、90分あまりのショウを見る。同バンドは(結成30周年となる)2003年に解散、今回は特別に再結成してのものとなる。
彼女にプラスして、今回の団員は16人。偶然だろうが、アフリカ系の奏者は1人もいない。楽曲は代表曲「ロング・イエロー・ロード」を皮切りに、青森や広島ゆかりの曲、オーケストラの第一作のタイトル・トラックの「孤軍」やヘンリー・マンシーニ的な賑やかしな諧謔性を持つ「フィースト・イン・ミラノ」(比較的、新し目の曲となるのかな? この曲はラテン系の打楽器奏者が加わった)などを緩急おりまぜて、いろいろと披露。「孤軍」は雅楽要素を入れた曲だが、出だしの謡と鼓の音はプリセットの音を用いる。管セクション音は笙のごとき響きを活用したと書きたくなるもの。MCで彼女は、「こういう和洋折衷は日本で絶対には叩かれると思ったのに、評判が良かった」というようなことをコメントした。
いやはや、しかし。龝吉敏子は現在83歳だが、凛としていて(背筋もピンっ)、スタイリッシュで、遠目には20歳はゆうに若く見える。それだけで、感心させる何かを彼女はしかと放つ。うわー。さすが困難な道を鋭意歩んで来ているパイオニア、本物の麗しき女傑だァとも、ぼくは唸った。音楽だけでなく、その若々しくもしゃきっとした存在感に、ぼくは大きく頭をたれちゃったな。
この晩はブルーノート東京の開店25周年を祝うクローズドのショウ。実は今回、初めて彼女の大所帯編成公演に触れるのではないかと思っていた。ところが、見ているうちに四半世紀ぐらいは前に彼女たち(当時は、龝吉 敏子/ルー・タバキン・ビッグ・バンドと名乗っていたはず)を見たことがあったのを思い出す。いやあ、本当に物事って忘れるナ。今回、あまりピアノを弾かずディレクションにあたる彼女の姿と山ほどのソロのパートを与えられるタバキンの様に触れて、これは前に見たことがあるゾと確信した次第。なお、そういう奏者依怙贔屓もビッグ・バンド表現にはよくあることであります。
<今日は、IJD>
あははは。略すと、なんのことだか分りませんね。なんでも、昨年から、ユネスコに顔の効くハービー・ハンコックの音頭とり(?)で、毎年4月30日は<インターナショナル・ジャズ・デイ>としてユネスコ制定されたのだという。それで、今年は同日にトルコのイスタンブールで、ハンコック他の米国人の人気/実力者が山ほど集まったショウが持たれ、それは映像配信されたようだ。その流れで日本でもお茶の水で3日間にわたり無料のイヴェントが開かれ、そこにはこのオーケストラも出演。MCで風が強くて大変だったと彼女がMCで言っていたので、野外でパフォーマンスしたのだろうな。
個人的な事を少し書けば、彼女のアルバムは比較的若いときに購入した。とにかく、龝吉さんの名声は凄くて、それは大ロック愛好者でもあったぼくの耳にも届き、ぼくは高校生のときに背伸びして、彼女の『インサイツ』(RCA,1976年)を購入。当然真価は分らなかったが、なんかすげえ重厚で気品があって、アートな音楽であると感じたのは確かだ。そのアルバムでも彼女は雅楽の奏者たちを参加させていたが、その作法にもぼくは驚き、唸った。それは、今考えると、チャーリー・ヘイデン(2009年9月10日、他)の『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』(インパルス、1969年。2001年11月20日の項を参照されたし)におけるコラージュ的音使用の流れにあると取れなくもないが、日本人であることを真摯に見つめ直す課程で出て来た行き方だったのだと思う。そこで邦楽古典の音楽家たちが参加していたのは、「墨絵」と言う曲と20分を超える組曲「水俣」の一部。楽曲に意味を持たせようとする考え方は、一時の彼女のバンマスであったチャールズ・ミンガスのそれを自然に受け継いでいるからかもしれぬ。「墨絵」のほうにはローティーンだったマンディ満ちる(そのときのクレジットはマンディ・マリアーノ。彼女は最初の旦那さんだったチャーリー・マリアーノ〜2005年12月18日〜との間に生まれた娘だった)も加わっていた。話はとぶが、チャーリー・ヘイデンは身体の調子が良くないとの話が伝わってきていたりもするが。
彼女にプラスして、今回の団員は16人。偶然だろうが、アフリカ系の奏者は1人もいない。楽曲は代表曲「ロング・イエロー・ロード」を皮切りに、青森や広島ゆかりの曲、オーケストラの第一作のタイトル・トラックの「孤軍」やヘンリー・マンシーニ的な賑やかしな諧謔性を持つ「フィースト・イン・ミラノ」(比較的、新し目の曲となるのかな? この曲はラテン系の打楽器奏者が加わった)などを緩急おりまぜて、いろいろと披露。「孤軍」は雅楽要素を入れた曲だが、出だしの謡と鼓の音はプリセットの音を用いる。管セクション音は笙のごとき響きを活用したと書きたくなるもの。MCで彼女は、「こういう和洋折衷は日本で絶対には叩かれると思ったのに、評判が良かった」というようなことをコメントした。
いやはや、しかし。龝吉敏子は現在83歳だが、凛としていて(背筋もピンっ)、スタイリッシュで、遠目には20歳はゆうに若く見える。それだけで、感心させる何かを彼女はしかと放つ。うわー。さすが困難な道を鋭意歩んで来ているパイオニア、本物の麗しき女傑だァとも、ぼくは唸った。音楽だけでなく、その若々しくもしゃきっとした存在感に、ぼくは大きく頭をたれちゃったな。
この晩はブルーノート東京の開店25周年を祝うクローズドのショウ。実は今回、初めて彼女の大所帯編成公演に触れるのではないかと思っていた。ところが、見ているうちに四半世紀ぐらいは前に彼女たち(当時は、龝吉 敏子/ルー・タバキン・ビッグ・バンドと名乗っていたはず)を見たことがあったのを思い出す。いやあ、本当に物事って忘れるナ。今回、あまりピアノを弾かずディレクションにあたる彼女の姿と山ほどのソロのパートを与えられるタバキンの様に触れて、これは前に見たことがあるゾと確信した次第。なお、そういう奏者依怙贔屓もビッグ・バンド表現にはよくあることであります。
<今日は、IJD>
あははは。略すと、なんのことだか分りませんね。なんでも、昨年から、ユネスコに顔の効くハービー・ハンコックの音頭とり(?)で、毎年4月30日は<インターナショナル・ジャズ・デイ>としてユネスコ制定されたのだという。それで、今年は同日にトルコのイスタンブールで、ハンコック他の米国人の人気/実力者が山ほど集まったショウが持たれ、それは映像配信されたようだ。その流れで日本でもお茶の水で3日間にわたり無料のイヴェントが開かれ、そこにはこのオーケストラも出演。MCで風が強くて大変だったと彼女がMCで言っていたので、野外でパフォーマンスしたのだろうな。
個人的な事を少し書けば、彼女のアルバムは比較的若いときに購入した。とにかく、龝吉さんの名声は凄くて、それは大ロック愛好者でもあったぼくの耳にも届き、ぼくは高校生のときに背伸びして、彼女の『インサイツ』(RCA,1976年)を購入。当然真価は分らなかったが、なんかすげえ重厚で気品があって、アートな音楽であると感じたのは確かだ。そのアルバムでも彼女は雅楽の奏者たちを参加させていたが、その作法にもぼくは驚き、唸った。それは、今考えると、チャーリー・ヘイデン(2009年9月10日、他)の『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』(インパルス、1969年。2001年11月20日の項を参照されたし)におけるコラージュ的音使用の流れにあると取れなくもないが、日本人であることを真摯に見つめ直す課程で出て来た行き方だったのだと思う。そこで邦楽古典の音楽家たちが参加していたのは、「墨絵」と言う曲と20分を超える組曲「水俣」の一部。楽曲に意味を持たせようとする考え方は、一時の彼女のバンマスであったチャールズ・ミンガスのそれを自然に受け継いでいるからかもしれぬ。「墨絵」のほうにはローティーンだったマンディ満ちる(そのときのクレジットはマンディ・マリアーノ。彼女は最初の旦那さんだったチャーリー・マリアーノ〜2005年12月18日〜との間に生まれた娘だった)も加わっていた。話はとぶが、チャーリー・ヘイデンは身体の調子が良くないとの話が伝わってきていたりもするが。
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