自分であらんとする意思が横溢する米国外生まれのジャズ・ピアニストの、それぞれのグループ公演を2つ見る。

 まずは丸の内・コットンクラブで、いろんなものがミックスしている(1966年生まれ。父はフランス人で、母はアメリカ人。ベルリン生まれで、育ちはパリ。米バークリー音楽大学卒業後はフランスを拠点としカサンドラ・ウィルソンとの双頭リーダー盤を作ったりもするが、1990年ごろからNYに住む。長年ブルーノートからアルバムをだしていたが、昨年ユニヴァーサルに移籍した)ジャッキ・テラソン(2009年5月18日、2010年5月6日)のトリオ。パリ録音の『ガッシュ』と名付けられた新作はエレクトリック・ピアノを積極的に弾いたり、電気ベースも使用したり、雰囲気派の女性歌手に歌わせたり、エイミー・ワインハウス曲をやったりと、彼にしてはかなりポップ方向にふったなという感じだったが、今回の来日のショウは普通にトリオで、アコースティックにすすめる。リズムはその新作でも弾いていたバーニス・トラヴィスとラヴィ・コルトレーンのグループにいるE.J.ストリックランド。トラヴィスは電気ベース(2本?)も置いていたが弾かず。ストリックランドはマーカス・ストリックランドのバンドでも叩いているが、もしかして兄弟か血縁者? 

 まっすぐではないことが美徳で今様さも感じさせる今回のトリオ演奏は1曲の長さは例によってそこそこ長め。手あかにまみれたスタンダードの「キャラヴァン」や「枯葉」は大胆にくずし飛躍させ、マイルス曲「ナルディス」ら複数曲をだまし絵的にマッシュ・アップしたものもやる。聞き手をホロっとさせたジョン・レノンの「オー・マイ・ラヴ」は新作でもやっていた。あちらは、ヴォーカル曲だったが、ことらは詩的なインストにて開示。やはり、いろいろ、我が道を行っていました。

 次は南青山・ブルーノート東京で、1944年ジャマイカ生まれのモンティ・アレキサンダーの7人による公演を見る。NYジャズ側にいるリズム・セクション(ウッド・べース、ドラム)と、ジャマイカのレゲエ奏者(キーボード、歌/電気ベース、打楽器/ギター、ドラム)が左右に位置し、中央には両側にまたがりグランド・ピアノを弾く(一部、ピアニカと歌も)御大が位置する。そして、彼のディレクションで同じ曲のなかでそれぞれのバンドが交換/交錯。とにかく、やっているそれぞれのミュージシャンたちがうれしそう、白い歯がこぼれる。

 アレキサンダーの前回の来日公演はスライ&ロビー(1999年12月6日、2009年3月7日、他)をリズム隊に従えたジャズ・ジャマイカ(2011年11月4日)名義のものだったが、このダブルのバンドを従えての彼の実演を見るのは3度目。過去の模様は、それぞれ1999年8月18日と2006年6月14日の項を見てほしいが、どちらかと言うとぼくは1999年のほうの時の内容に近いと思ったかな。終盤に、それなりに年の離れた奥さんが出て来て少し歌ったのも共通するし。ま、なんにせよ、ジャズ・ピアニストという以上に、自らの出自を謳歌する快楽型音楽実践者としての姿を嬉々として求めるノリは同じであり、ジャズもジャマイカン・ミュージックも元は同じ、アフリカを根っこに置くビート・ミュージックなんだよと快活に語りかけるものであったのは間違いない。この晩は、ジャズ曲とともに、ボブ・マーリーの「ノー・ウーマン、ノークライ」や「スリー・リトル・バーズ」なども歌付きで取り上げる。しかし、こういう複合的な設定で王道のピアノ・トリオのスタイルでアレキサンダーがソロを取るとジャズっていいなとも思わされる。

<R.I.P. ジェイン・コルテス>
 知人からのメールで知ったのだが、詩人/ジャズ・ポエットであり、オーネット・コールマン(2006年3月27日)と結婚していたこともあるジェイン・コルテスが、昨年12月28日にマンハッタンで心不全のために亡くなった。享年、78歳。なるほど、NYタイムズのネット版でもちゃんと報じられている。知らなかった……。2月6日にお別れの会が開かれたよう。デナード・コールマン(2006年3月27日)の母親でもある彼女は、ハーモロディック・ファンク路線+ブルース+αにあるバンド・サウンドにイケすぎてる肉声を載せたアルバムをいろいろ出していて、詩集、アルバムともに10作を超える。また、ラングストン・ヒューズ賞などの賞もいろいろ受賞していたようだ。まさしく、ぼくにとっては、スーパー・ママ√!

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