1980年代の英国ジャズの希望の星/超実力者であり、一頃は毎年のように日本に来ていたリード奏者(2004年9月26日、他)が久しぶりに自己グループのもと来日した。そしたら、だいぶ前の来日の感興はけっこう忘れているものの、今までの来日公演のなかで一番いい、と口走りたくなるショウを見せてくれたんだから! うれしー。丸の内・コットンクラブ。

 2011年作『Europa』に準ずるライヴということで、今回はバリトン・サックス一本で勝負。威風堂々、ときに機を見るに敏。よっ大将、ぜんぜん飽きない。ただし、きっちりコートニーの吹き方で(ま、テナー・サックスと横繋がりの聞き味とも言えるか)、エリック・ドルフィーを想起させるとことかはなかった。が、ほめるべきは、興味深いサイド・マンを伴った総体かもしれぬ。編成は、ソロとして一部で高い評価を受けるピアノのバングラデシュ・ルーツのゾーイ・ラーマン(女性)、ヴィオラのアマンダ・ドラモンド(女性)、長年一緒にやってきているギターのキャメロン・ピエール、そしてベースのヴィダル・モンゴメリーとドラムのロバート・フォージョーという面々。

 彼らが絶妙に重なり、ときに大胆に発展する流動的かつストーリー性も持つサウンドはきっちり視点を持ち、他の百凡なジャズとは差別化が計れるポイントを山ほど持っており、そこにいかしたソロが乗るのだから、言うことないではないか。いやあコートニー、全然衰えていない。で、MCはかつてとった杵柄で、けっこう日本語の単語を混ぜ、曲の始まりのカウントを出すときは、イチ、ニ、サン、シとやる。とにもかくにも、これはアルバムよりか格段にヴィヴィットで大胆なジャズを開いていると大きくぼくは頷いた。

 パインは年明け早々には、秋にリリースした新作『House of Legends』をフォロウする英国ツアーに入る。そちらはジャマイカやトリニダード出身者を起用してのスカ・ビート、カリプソ・ビートを採用するソプラノ・サックスを吹くアルバム。おそらく、ぼくは今回の行き方のほうに魅力を覚えるはずで、別の行き方に移行する前に今回の”変だけど正しい”パフォーマンスを聞けたのはラッキー。というか、今回の編成の指向も続けてほしいと願わずにはいられない。

 続いては、南青山・ブルーノート東京でマリア・シュナイダー・オーケストラを見る。近年外国人ビッグ・バンド系公演はなかなか盛況であるのだが、さすが今あるジャズ・オーケストラのなかで一番清新なことをやっている彼女たちだけにフルハウスの入りだった。

 ミネソタ大学で学んだ後、1985年にNYにやってきて、1988年まで故ギル・エヴァンスのアシスタントをやっていた(エヴァンスは88年没)とも伝えられる彼女。1990年代あたまから自らの作編曲した作品を実践する集団を率いていて、じわじわと高い評価を獲得して来た。当初、彼女のアルバムをリリースしたのは独エンヤですね。近年の彼女の“いい話”については<2011年6月22日>の項の欄外でほんの少し触れているが、ステージに向かうときに横を通った彼女は、身軽な感じの、透明感を持つ人だった(年齢は50歳近くか)。今回が初来日のようだ。

 現在のジャズのビッグ・バンドは多くの場合、プレイヤーがリーダーを兼任し、自分の持ち楽器を演奏しつつ要所要所でバンド員にディレクションを出す場合が多いが、彼女は楽器を担当せず(もともとは打楽器専攻だったという話もある)、完全に指揮者として、中央でお客に背中を見せバンド員と対峙する。わあ、<私の作/編曲したものとともに、私は指揮者であることをまっすぐに追求する>といったような静なる覚悟のようなものをぼくは勝手に感じてしまい、なんか胸が一杯になっちゃった(←あ、これ、少し誇張した書き方ですが)。バンドは、サックス、トロンボーン、トランペットのセクション各4人づついて(先日のロン・カーターのビッグ・バンドとは3人が重なっているとか)、さらにピアノ、アコーディオン、ギター、ベース、ドラムという布陣。音が分厚いときはアコーディオンやギターの音は聞き取りにくいものの、それだけでも枠に沿ったビッグ・バンドではないことは示唆されるか。トランペット・セクションで異彩を放つ女性がひとり。お、イングリッド・ジェンセン(2010年9月4日)じゃないか。

 曲のテーマやメロディ、管のアンサンブルとソロの関係などをいろいろと突き詰めつつ、彼女はしなやかに音を届ける。ドラマーは著名人のクラレンス・ペンだったが、彼の緩急自在の演奏を聞いても、これは(ビッグ・バンド表現として)オルタナティヴ、ひと味違うと思わせるものだったのは間違いがない。乱暴に書いてしまえば、<なぜ私は今ジャズ・オーケストラ表現をやろうとするのか>、<その本意を出すためには何を用意すべきなのか>ということを、鋭意求める俯瞰する感覚を持つ大所帯表現の数々。と書くと、アーティスティック一辺倒の表現のように思われる方もいるかもしれないが、彼女の音には親しみやすいメロディ性や少女趣味的柔らかさなどもしっかり存在していた。

<今日の、2つの公演>
 共に、現代ジャズのありかたを真摯に模索する、素晴らしいジャズ公演だった。パイン公演のほうはともかく、シュナイダー公演は滅茶混んでいた。それは自ら情報を仕入れ、興味深いジャズを受けとりたいと思うジャズ愛好者がちゃんといることを伝えてくれもした。あれだけ熱烈な反応を受けて、シュナイダーもさぞや感激至極であったろう。そこには、大学のジャズ研絡みだろう人たちも散見されたが、よりパインの行き方に力と発想と技を感じたぼくは、若い聞き手はまずパイン公演のほうに行くべきと感じなくもなかったが。ともあれ、今年屈指の来日ジャズ・ミュージシャン公演が重なってしまい、送り手にとっても受け手にとっても不幸であったと思う。

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