アイルランドの大御所トラッド・ミュージック・グループ(1999年5月29日、2001年5月20日、2007年6月1日)、結成50周年を祝う日本ツアーの初日。渋谷・オーチャードホール。メンバーが亡くなったり、ツアーに出るのをやめたりしたこともあり、いろんな所に住む若い才能をむかえて、間口の広いショウを見せましょうというのは、前2007年公演と同様の行き方だ。
イーリアン・パイプやホイッスルのパディ・モローニ(2012年8月28日)、バーロンやヴォーカル独唱のケヴィン・コネフ、フルートのマット・モロイの3人の古いメンバーに加え、前回来日時も同行していたアイリッシュ・ハープやキーボードのトリーナ・マーシャル(2007年6月18日)、カナダのザ・ステップクルー(2011年12月3日、12月10日)のメンバーでもあるピラツキ兄弟(ダンス、フィドル)やキャラ・バトラー(ダンス)。また、スコットランドの美声歌手のアリス・マコーミック(2011年12月3日、12月10日)も同行。そして、さらに今回は米国ブルーグラス系のジェフ・ホワイト(ギター)やディニー・リチャードソン(フィドル、バンジョー)が参加していて、それは新鮮な感興を呼ぶ。
スコットランド人やカナダ人やアメリカ人などを含む顔ぶれのもと、アイルリッシュ・トラッド/ザ・チーフタンズが積み上げてきた掛け替えのないものを総花的に、そしてその財産が世界中に散って芽をだしていることを、娯楽性とヴァラエティさに富みつつ伝えるものだったと言えるはず。あ、そういえば、PA音が良くて、各楽器の音を把握しやすかったのも、“聞きやすいのに味がある”という公演の持ち味を強めていた。
第2部は林英哲(彼は1部にも出て来た)をはじめ、バグパイプおじさん軍団、女性トラッド・グループ、ダンサーたち(カナダ勢と比べると、足音の大きさがあまりに違う)など日本人が次々加わり、モローニたちはそれを悠々と受けとめる。いや、手のひらのうえで楽にふるまわせていた。決定的巨匠/表現・フィッツ・オール! というとこでしょうか。あ、あと、アイルランドのダンス曲に触れていて、オーネット・コールマン(2006年3月27日)のハーモロディック・サウンドと重なる部分があるとも感じた。
<今日の、思いつき>
ちょい前に、ザ・クラッシュ解散後のジョー・ストラマー(2001年11月2日、他)の原稿をのべ10000字ほど書いた。そのうち出ると思われるシンコー・ミュージック発のムック本用の原稿だ。その際、改めて解散後の彼の動向を再チェックしたり、彼が晩年組んだバンドのザ・メスカレロスをはじめリーダー作を聞き直したのだが(ぼくは、その1作目の『ロック・アート&ザ・Xレイ・スタイル』が一番好きかな)、ストラマーとザ・チーフタンズが組んでも面白かったのではないか。アイリッシュ・ルーツ歌手をフロントにいおいたザ・ポーグス(2005年7月29日)とは1990年前後に懇意にして彼らをプロデュースをしたり一時はメンバー入りしたこともあったという事実もあるが、ストラマーはザ・メスカレロスの2作目『グローヴァル・ア・ゴーゴー』でケルト的な行き方も見せているからだ。それは、ストラマーの旧友で、1960年代にザ・ビートルズのアップル・レコードからリーダー作を出しかかったタイモン・ドッグ(フィドル、ギター)がグループに入ったことも大きいのだが、ともあれ同作でストラマーはアイルランドの1800年代頭のトラッドを取り上げたりもしている。そして、彼はそれについて、「自分なりのルーツ探しという部分もあると思うよ。でも、ケルト風なものをやるのに20年もかかってしまった」とコメントしていたのだ。死後リリースとなったザ・マスカレロスの3作目はワールド・ミュージック取り込み志向が一段落し、ちょっと生理的に重心をおとした歌心志向が増していたりもしたので、もし両者が邂逅することがあれば、いい感じでやりとりし合えたとも思うのだが。資料性の高い公演パンフレットを見て、ストーンズ、ヴァン・モリソン、ライ・クーダー、アート・ガーファンクル、ドン・ヘンリー、リッキー・リー・ジョーンズ、ダリル・ホール他と重なってきたザ・チーフタンズの広がりを再確認しながら、公演の休憩時にぼくはそんなことも思った。
イーリアン・パイプやホイッスルのパディ・モローニ(2012年8月28日)、バーロンやヴォーカル独唱のケヴィン・コネフ、フルートのマット・モロイの3人の古いメンバーに加え、前回来日時も同行していたアイリッシュ・ハープやキーボードのトリーナ・マーシャル(2007年6月18日)、カナダのザ・ステップクルー(2011年12月3日、12月10日)のメンバーでもあるピラツキ兄弟(ダンス、フィドル)やキャラ・バトラー(ダンス)。また、スコットランドの美声歌手のアリス・マコーミック(2011年12月3日、12月10日)も同行。そして、さらに今回は米国ブルーグラス系のジェフ・ホワイト(ギター)やディニー・リチャードソン(フィドル、バンジョー)が参加していて、それは新鮮な感興を呼ぶ。
スコットランド人やカナダ人やアメリカ人などを含む顔ぶれのもと、アイルリッシュ・トラッド/ザ・チーフタンズが積み上げてきた掛け替えのないものを総花的に、そしてその財産が世界中に散って芽をだしていることを、娯楽性とヴァラエティさに富みつつ伝えるものだったと言えるはず。あ、そういえば、PA音が良くて、各楽器の音を把握しやすかったのも、“聞きやすいのに味がある”という公演の持ち味を強めていた。
第2部は林英哲(彼は1部にも出て来た)をはじめ、バグパイプおじさん軍団、女性トラッド・グループ、ダンサーたち(カナダ勢と比べると、足音の大きさがあまりに違う)など日本人が次々加わり、モローニたちはそれを悠々と受けとめる。いや、手のひらのうえで楽にふるまわせていた。決定的巨匠/表現・フィッツ・オール! というとこでしょうか。あ、あと、アイルランドのダンス曲に触れていて、オーネット・コールマン(2006年3月27日)のハーモロディック・サウンドと重なる部分があるとも感じた。
<今日の、思いつき>
ちょい前に、ザ・クラッシュ解散後のジョー・ストラマー(2001年11月2日、他)の原稿をのべ10000字ほど書いた。そのうち出ると思われるシンコー・ミュージック発のムック本用の原稿だ。その際、改めて解散後の彼の動向を再チェックしたり、彼が晩年組んだバンドのザ・メスカレロスをはじめリーダー作を聞き直したのだが(ぼくは、その1作目の『ロック・アート&ザ・Xレイ・スタイル』が一番好きかな)、ストラマーとザ・チーフタンズが組んでも面白かったのではないか。アイリッシュ・ルーツ歌手をフロントにいおいたザ・ポーグス(2005年7月29日)とは1990年前後に懇意にして彼らをプロデュースをしたり一時はメンバー入りしたこともあったという事実もあるが、ストラマーはザ・メスカレロスの2作目『グローヴァル・ア・ゴーゴー』でケルト的な行き方も見せているからだ。それは、ストラマーの旧友で、1960年代にザ・ビートルズのアップル・レコードからリーダー作を出しかかったタイモン・ドッグ(フィドル、ギター)がグループに入ったことも大きいのだが、ともあれ同作でストラマーはアイルランドの1800年代頭のトラッドを取り上げたりもしている。そして、彼はそれについて、「自分なりのルーツ探しという部分もあると思うよ。でも、ケルト風なものをやるのに20年もかかってしまった」とコメントしていたのだ。死後リリースとなったザ・マスカレロスの3作目はワールド・ミュージック取り込み志向が一段落し、ちょっと生理的に重心をおとした歌心志向が増していたりもしたので、もし両者が邂逅することがあれば、いい感じでやりとりし合えたとも思うのだが。資料性の高い公演パンフレットを見て、ストーンズ、ヴァン・モリソン、ライ・クーダー、アート・ガーファンクル、ドン・ヘンリー、リッキー・リー・ジョーンズ、ダリル・ホール他と重なってきたザ・チーフタンズの広がりを再確認しながら、公演の休憩時にぼくはそんなことも思った。
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