ウォッチング・ザ・スカイ。ピナ・バウシュ トリビュート
2012年6月30日 音楽 昼下がり、“ウォッチング・ザ・スカイ”と名付けられた野外フェスティヴァル(今年2度目。もう、5回目を数える)に顔を出す。上野恩賜公演野外ステージ、千代田線の湯島で降りるとけっこう近い。まだ時間も早く、ただでさえ緩いはずのイヴェントがも〜ゆるゆる。子供連れも、ちらほら。北里彰久のユニットであるアルフレッドビーチ・サンダル、そしてナカムラヒロシのi-dep(リラックス・セット・ウィズ・ダー・ライヴ・バンド)、二つの日本人アクトに触れる。
前者はギターを弾きながら歌う北里をギターとウッド・ベースが隙間を留意しまくる感じでサポート。ちょっと変なコード使いを持つ、オルタナティヴな弛緩しまくった曲作りが生命線と思わせる、ぽっかり漂い流れるギター弾き語り主体表現が披露される。室内会場のほうが持ち味が伝わりやすいだろうが、個性を感じた。一方、電気キーボードを弾くナカムラに、歌手、ギター、ドラムという編成の後者はとっても満たされた情緒を持つ、ときにソウルぽくもあるメロウなポップスを披露。あまり上手ではないMCによればサポートの3人は普段ジャズをやっているとか。確かに痩身なシンガーの牧野竜太郎の一生懸命なジャズ・ヴォーカル作は数年前に雑誌レヴューしたことがあって、けっこうほめたことがある。
その後、新宿文化センター(初めて行ったが、普通のコンサート・ホール)に行き、不世出のドイツ人舞踏家(1940〜2009年)を追悼する出し物を見る。満員。なんでも、生前ここで彼女が公演をやったことがあったため、この会場が選ばれたようだ。
1部は、彼女の1985年の公演「カフェ・ミュラー」の映像を流し、2部は同舞踏団に音楽を提供していた三宅純が仕切る音楽公演という構成。アートなもの(と、言われるもの)から遠ざかろうとする(それを、ありがたがる人の様が痒くてたまらないもので……)志向を持つぼくはピナ・バウシュの名前は知っていても、ちゃんと彼女のプロダクツに触れたことはなかったが、へーえ。閉店したカフェというちゃんと舞台設定された空間を用い、とってもストーリー性に満ちた人間の動きを綴っていた。肉体性やスキルを直裁に追求するという感じではなく、ちゃんとそれを導く機微/道理を求めている。他の出し物は知らないが。
2部は、現在パリと東京を行ったり来たりしている三宅にプラスして、弦楽四重奏団を含む全9人のバンドによるパフォーマンス。三宅はピアノや電気ピアノを弾き、ときにトランペットを吹く。そして、三宅とはパリで知り合った米国人歌手のリサ・パピーノやポリフォニーの女性3人コーラス・グループであるブルガリア・コズミック・ヴォイセズ合唱団が曲によっては入って、刺と流麗さを併せ持つサウンドに肉声を載せる。その歌の担当者たちはともにおおいに味と存在感あり。後者は3人の民族衣装をまとったシンガーの前に女性指揮者が立ち、その指揮のもと歌は流れ出す。サウンドはプリセット音をおおいに併用。エンジニアはZAKが担当していた。一言でいえば、賢者の現代サウンド絵巻、なり。
<今日の、へーえ>
会場間の移動は、大江戸線で1本。地下鉄網がはりめぐらされていると、なるほど便利だ。新宿文化センターの前にはイーストサイドという再開発地区がドーンとある(大江戸線東新宿駅や副都心線新宿三丁目駅ができてこその一角か。とはいえ、ともに徒歩10分弱かかるが)のだが、そこに立てられた高層ビルの造形/素材使いはなかなかに目を引く。うひょう。一瞬大地震がきたときのことを案じつつ、無条件にそれには感心。ちゃんと、意思が設計/デザインに投影されていると思った。何気に、建築ブツが好きなワタシ。でも多感な時期にはまったく興味なく、そっちのほうに進みたいなんては毛頭思わなかったなー。トホホなぐらい、音楽好きだったもので……。
前者はギターを弾きながら歌う北里をギターとウッド・ベースが隙間を留意しまくる感じでサポート。ちょっと変なコード使いを持つ、オルタナティヴな弛緩しまくった曲作りが生命線と思わせる、ぽっかり漂い流れるギター弾き語り主体表現が披露される。室内会場のほうが持ち味が伝わりやすいだろうが、個性を感じた。一方、電気キーボードを弾くナカムラに、歌手、ギター、ドラムという編成の後者はとっても満たされた情緒を持つ、ときにソウルぽくもあるメロウなポップスを披露。あまり上手ではないMCによればサポートの3人は普段ジャズをやっているとか。確かに痩身なシンガーの牧野竜太郎の一生懸命なジャズ・ヴォーカル作は数年前に雑誌レヴューしたことがあって、けっこうほめたことがある。
その後、新宿文化センター(初めて行ったが、普通のコンサート・ホール)に行き、不世出のドイツ人舞踏家(1940〜2009年)を追悼する出し物を見る。満員。なんでも、生前ここで彼女が公演をやったことがあったため、この会場が選ばれたようだ。
1部は、彼女の1985年の公演「カフェ・ミュラー」の映像を流し、2部は同舞踏団に音楽を提供していた三宅純が仕切る音楽公演という構成。アートなもの(と、言われるもの)から遠ざかろうとする(それを、ありがたがる人の様が痒くてたまらないもので……)志向を持つぼくはピナ・バウシュの名前は知っていても、ちゃんと彼女のプロダクツに触れたことはなかったが、へーえ。閉店したカフェというちゃんと舞台設定された空間を用い、とってもストーリー性に満ちた人間の動きを綴っていた。肉体性やスキルを直裁に追求するという感じではなく、ちゃんとそれを導く機微/道理を求めている。他の出し物は知らないが。
2部は、現在パリと東京を行ったり来たりしている三宅にプラスして、弦楽四重奏団を含む全9人のバンドによるパフォーマンス。三宅はピアノや電気ピアノを弾き、ときにトランペットを吹く。そして、三宅とはパリで知り合った米国人歌手のリサ・パピーノやポリフォニーの女性3人コーラス・グループであるブルガリア・コズミック・ヴォイセズ合唱団が曲によっては入って、刺と流麗さを併せ持つサウンドに肉声を載せる。その歌の担当者たちはともにおおいに味と存在感あり。後者は3人の民族衣装をまとったシンガーの前に女性指揮者が立ち、その指揮のもと歌は流れ出す。サウンドはプリセット音をおおいに併用。エンジニアはZAKが担当していた。一言でいえば、賢者の現代サウンド絵巻、なり。
<今日の、へーえ>
会場間の移動は、大江戸線で1本。地下鉄網がはりめぐらされていると、なるほど便利だ。新宿文化センターの前にはイーストサイドという再開発地区がドーンとある(大江戸線東新宿駅や副都心線新宿三丁目駅ができてこその一角か。とはいえ、ともに徒歩10分弱かかるが)のだが、そこに立てられた高層ビルの造形/素材使いはなかなかに目を引く。うひょう。一瞬大地震がきたときのことを案じつつ、無条件にそれには感心。ちゃんと、意思が設計/デザインに投影されていると思った。何気に、建築ブツが好きなワタシ。でも多感な時期にはまったく興味なく、そっちのほうに進みたいなんては毛頭思わなかったなー。トホホなぐらい、音楽好きだったもので……。
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