ロンサム・ストリングス&中村まり、ソーラス
2012年6月14日 音楽 渋谷・クラブクアトロ。まず、ギターその他の桜井芳樹(2005年2月19日、他)がリーダーとなるロンサム・ストリングス(2007年6月29日)&中村まりがパフォーマンス。ベーシストの松永孝義(2005年10月21日、他)が体調不良で欠席、ベースレスでことにあたる。でも太い弦が4本減っても、歌を担当する中村まりもアコースティック・ギターを持つし、バンジョー(原さとし)やスティール・ギター(田村玄一。リトルテンポ〜2011年9月16日、他〜のときとはやはり感じが違う)もあるし、文字通りストリングがいっぱい、だな。そういえば、(1曲ごとの)各楽器のチューニングが長いのでライヴ向きのバンドじゃないですといった、桜井による謙譲MCもあり。なんにせよ、遠い米国土着音楽の襞や記憶をすうっと立ち上がらせるような弦楽器による渋味サウンドに、中村の一言でいえば訴求力をたんと持つなめらかな歌が無理なく乗る。日本人がやるからこその、俯瞰の感覚もある。実は、中村の歌には初めて触れるが、ほうこんなん。いろいろと好評は聞いていたが、自然体のいい歌い手だな。
そして、ソーラスのステージ。こちらは、アイルランド系米国人(現在、女性シンガーとギタリストはアイルランド生まれなよう)がアイルランド伝統音楽の襞を探訪/構築しようとしていると言えるか。いろんな楽器(バンジョー、マンドリン、フルート。ホイッスル、他)を弾くリーダーのシェイマス・イーガン、生ギター(1曲リード・ヴォーカルも取った)、フィドル、女性アコーディオン(名古屋公演で興がのり、ステップを踏んだら足を痛めてしまい、ギブスのようなものを片足につけていた)、ヴォーカル・ナンバーのときに出てくる女性歌手(部分的にフォドルも演奏)という陣容。インタヴューしたら年間200回もライヴをやっていると言っていた(そりゃ、メンバー・チェンジも多くなるは……)が、なるほどこれはきっちり米国でもまれたバンドであると頷く。もう、目鼻立ちがパッチリ。ベースレス編成ながら、生ギターの低音弦の音だけピック・アップしてベース音として増幅したり、イーガンの左足によるストンプ音を拾って、ビートやスピード感を強調したいときはそれをPAからドバっと出したり。また、皆でコーラスもちゃんとつけるし、という具合で、いろんな部分で起伏や変化にとみ、さすがは派手なポップ・ミュージックが叛乱する米国で15年以上も渋い活動をきっちり維持してきているブループだと痛感させられた。彼らは見事に、異国の地で花咲く輪郭のはっきりしたアイリッシュ・ミュージックをきっちり出していた。また、今回はそこに部分的にカナダのザ・ステップ・クルー(2011年12月10日、他)の女性ダンサー2人も加わり、よりメリハリがつけられる。
アンコールは両者一緒にパフォーマンス。あちらの人たちと一緒にやると中村の味の良さがまた実感できる。すごいっ。ソーラスの面々も絶賛というのも伺える。充実した、いいライヴ・ショウだった。
ソーラスは今、“シャムロック・シティ”というプロジェクトに心血を注いでいる。それは、<アイリッシュ移民としての、ルーツ探しの物語>の創作、と言えるか。なんでも、移住したときからフィラデルフィアに住むイーガン家のひい叔父にあたるマイケル・コンウェイという人物の移民人生を主題とするもの。で、そこでキーとなるのが、モンタナ州のビュートという町。コンウェイは当初フィラデルフィアに上陸した(1910年。タイタニック号が出航した1年前で、彼は19歳だった)ものの、職を求めてはるばる銅の採掘でにぎわっていた炭坑町のビュートに向かう。当時、電球や電話の発明で銅が必要とされ、その採掘地であったビュートは黄金の町として栄え、そこでは差別の対象となったアイルランド人が雇われやすかった。50年代いこう町はすっかり廃れてしまっているが、当時ビュートはミネアポリスからシアトルにかけての地域で最大の町であったそうだ。
ビュートで炭坑夫として働くようになったコンウェイはアマチュアのボクサーでもあった。そして、彼は試合をしたが、賭けに関与していた保安官にわざと負けることを強要されたにも関わらず勝ってしまい、1916年に保安官に撲殺されてしまう。イーガンは小さい頃からその話を聞かされていたものの、ひい叔父の人生に向き合おうと思ったのは2003年になってからだった。同年にライヴのためにビュートに行ったら、一気に祖先やビュートに対する様々な想いが沸き上がってしまった。その寂れた場には、工業化/近代生活の礎になった人たちの音楽が横にある活気ある日常も鮮やかに透けて見えた! そして、ひい叔父や彼が住んだ炭坑町の数奇なストーリーはけっして葬られるべきものではなく、リーマン・ショック以後のアメリカにも何かを訴えるものではないかと、彼の考えはいたる。ちなみに、ビュートは当時労働運動が群をぬいて盛んな地区として米国史には刻まれているようだ。
その後、彼は堰を切ったようにそれをテーマとするオリジナル曲を作り(この晩もいくつかパフォーマンスした)、映像があったほうが力はますと考え、自ら監督として映画作りに着手してまった。現在は最後の編集段階に入っており、ソーラスの次作『シャムロック・シティ』は音盤と映像の2本立てでのリリースとなる。かつ、イーガンは同プロジェクトの小説も準備している。
<今日の、東急本店>
ライヴ会場に行く前に、<アート・オブ・ブリティッシュ・ロック>という、無料の展覧会を渋谷のブンカムラ・ギャラリーで見る。かなり観覧者がいて、盛況。表題どおり、英国ロック関連の絵画、版画、写真などを展示。想像した以上に、置かれた点数は多かった。扱われるアーティストはザ・ビートルズからブラーまでいろいろ。アンディ・ウォホールやリチャード・アヴェドンの作品もあり、ジョン・エントウィスルやグレアム・コクソンなどミュージシャン自身によるものも。また、ほとんどの作品は販売もしていて、20万円弱のものが多かったか(番高いのは400万円代)。他にもポスト・カードやポスターなども売られている。コンサート前や隣上階のでっかい本屋に行くついでにのぞいても損はないだろう。ネット時代にこういう出し物は強いのかも、などとも思った。6月21日(木)まで。
そして、ソーラスのステージ。こちらは、アイルランド系米国人(現在、女性シンガーとギタリストはアイルランド生まれなよう)がアイルランド伝統音楽の襞を探訪/構築しようとしていると言えるか。いろんな楽器(バンジョー、マンドリン、フルート。ホイッスル、他)を弾くリーダーのシェイマス・イーガン、生ギター(1曲リード・ヴォーカルも取った)、フィドル、女性アコーディオン(名古屋公演で興がのり、ステップを踏んだら足を痛めてしまい、ギブスのようなものを片足につけていた)、ヴォーカル・ナンバーのときに出てくる女性歌手(部分的にフォドルも演奏)という陣容。インタヴューしたら年間200回もライヴをやっていると言っていた(そりゃ、メンバー・チェンジも多くなるは……)が、なるほどこれはきっちり米国でもまれたバンドであると頷く。もう、目鼻立ちがパッチリ。ベースレス編成ながら、生ギターの低音弦の音だけピック・アップしてベース音として増幅したり、イーガンの左足によるストンプ音を拾って、ビートやスピード感を強調したいときはそれをPAからドバっと出したり。また、皆でコーラスもちゃんとつけるし、という具合で、いろんな部分で起伏や変化にとみ、さすがは派手なポップ・ミュージックが叛乱する米国で15年以上も渋い活動をきっちり維持してきているブループだと痛感させられた。彼らは見事に、異国の地で花咲く輪郭のはっきりしたアイリッシュ・ミュージックをきっちり出していた。また、今回はそこに部分的にカナダのザ・ステップ・クルー(2011年12月10日、他)の女性ダンサー2人も加わり、よりメリハリがつけられる。
アンコールは両者一緒にパフォーマンス。あちらの人たちと一緒にやると中村の味の良さがまた実感できる。すごいっ。ソーラスの面々も絶賛というのも伺える。充実した、いいライヴ・ショウだった。
ソーラスは今、“シャムロック・シティ”というプロジェクトに心血を注いでいる。それは、<アイリッシュ移民としての、ルーツ探しの物語>の創作、と言えるか。なんでも、移住したときからフィラデルフィアに住むイーガン家のひい叔父にあたるマイケル・コンウェイという人物の移民人生を主題とするもの。で、そこでキーとなるのが、モンタナ州のビュートという町。コンウェイは当初フィラデルフィアに上陸した(1910年。タイタニック号が出航した1年前で、彼は19歳だった)ものの、職を求めてはるばる銅の採掘でにぎわっていた炭坑町のビュートに向かう。当時、電球や電話の発明で銅が必要とされ、その採掘地であったビュートは黄金の町として栄え、そこでは差別の対象となったアイルランド人が雇われやすかった。50年代いこう町はすっかり廃れてしまっているが、当時ビュートはミネアポリスからシアトルにかけての地域で最大の町であったそうだ。
ビュートで炭坑夫として働くようになったコンウェイはアマチュアのボクサーでもあった。そして、彼は試合をしたが、賭けに関与していた保安官にわざと負けることを強要されたにも関わらず勝ってしまい、1916年に保安官に撲殺されてしまう。イーガンは小さい頃からその話を聞かされていたものの、ひい叔父の人生に向き合おうと思ったのは2003年になってからだった。同年にライヴのためにビュートに行ったら、一気に祖先やビュートに対する様々な想いが沸き上がってしまった。その寂れた場には、工業化/近代生活の礎になった人たちの音楽が横にある活気ある日常も鮮やかに透けて見えた! そして、ひい叔父や彼が住んだ炭坑町の数奇なストーリーはけっして葬られるべきものではなく、リーマン・ショック以後のアメリカにも何かを訴えるものではないかと、彼の考えはいたる。ちなみに、ビュートは当時労働運動が群をぬいて盛んな地区として米国史には刻まれているようだ。
その後、彼は堰を切ったようにそれをテーマとするオリジナル曲を作り(この晩もいくつかパフォーマンスした)、映像があったほうが力はますと考え、自ら監督として映画作りに着手してまった。現在は最後の編集段階に入っており、ソーラスの次作『シャムロック・シティ』は音盤と映像の2本立てでのリリースとなる。かつ、イーガンは同プロジェクトの小説も準備している。
<今日の、東急本店>
ライヴ会場に行く前に、<アート・オブ・ブリティッシュ・ロック>という、無料の展覧会を渋谷のブンカムラ・ギャラリーで見る。かなり観覧者がいて、盛況。表題どおり、英国ロック関連の絵画、版画、写真などを展示。想像した以上に、置かれた点数は多かった。扱われるアーティストはザ・ビートルズからブラーまでいろいろ。アンディ・ウォホールやリチャード・アヴェドンの作品もあり、ジョン・エントウィスルやグレアム・コクソンなどミュージシャン自身によるものも。また、ほとんどの作品は販売もしていて、20万円弱のものが多かったか(番高いのは400万円代)。他にもポスト・カードやポスターなども売られている。コンサート前や隣上階のでっかい本屋に行くついでにのぞいても損はないだろう。ネット時代にこういう出し物は強いのかも、などとも思った。6月21日(木)まで。
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