ひれ伏す人も少なくないだろうジャズ・ギター大御所ジム・ホール(2005年1月18日)の公演は南青山ブルーノート東京(ファースト・ショウ)。いまやECMアーティストでもあるかつてのNYボーダーレス音楽界の主任ドラマーだったドラムのジョーイ・バロン(2011年1月30日、他)、そしてベースのスコット・コリー(2012年3月15日)とともに出て来た1930年生まれの御大は杖をつき、腰は相当に曲がっている。とうぜん、歩くスピードも遅い。

 「オール・ザ・シングス・ユー・アー」や「ボディ&ソウル」などスタンダードやブルース曲が素材。弾きだすとやはり名手、閃きを介するこれぞなジャズ・ギター流儀/美学がなにげにアグレッシヴに送り出される。どこか歳とともに、ぎこちない部分も逆に出て来ているとも思うが、それも我が道を行く感覚や味をかもしだす。そんな彼につくリズム隊が上質、味わい深し。この会話の持つ三位一体もジャズなのだと、深く頷かされる。なんか、魔法の絨毯に乗っているような気持ちになれるもんね。フフ。

 最後は、朋友ソニー・ロリンズ(2005年11月13日)の陽性曲「セイント・トーマス」。そのとき、ホールはぐわりとエフェクターかけた音色にかえる。それ、スティール・パンの音色を想起させる? もともとカリブの血をひき、表題もヴァージン諸島にある島の名前だから、カリブ繋がり音色も理にはかなうか。ま、お茶目なじいちゃん濃度は増します。アンコールなし(まあ、あの歩き方で何度もステージにのぼらせるのは酷ではある)で約80分のパフォーマンス。

 ホールというと、繊細な演奏も頭に浮かぶが、昔からどこかに大胆不敵なオレ様なところを持っていて、今はある意味、そうした部分が分かりやすく出ている。彼は1日だけ、丸の内・コットンクラブで一人だけによるソロ・パフォーマンスをやった(ソールド・アウトだったよう)が、どうだったのだろう。もっと、やんちゃでわがままな面が出たりしたのだろうか。

 その後は、下北沢・ガーデンに行って、エミ・マイヤー(2011年6月5日、他)のツアー最終日を、セカンド・セットから見る。この日は、彼女の髪型がヤンキーのようになっていた。ここのところずっと一緒にやっているリズム・セクションに加え、一緒に曲作り作業をしている相対性理論のギタリストが加わってのパフォーマンス。伴奏陣の数が増えたぶん、鍵盤(今回のツアーは生ピアノではなく、電気キーボードを用いたよう)を弾かずに、マイクを持って歌う曲比率は高くなったか。ジョン・レノンの「イマジン」やルイ・アームストロングの「ホワット・ザ・ワンダフル・ワールド」もカヴァーも披露した。

<今日の、月>
 部分月食の晩(らしい)。一番欠けるのは、20時4分ごろということで、ブルーノートからガーデンに移動する間に、お月サマを見ようと思っていたら、すっかり忘れてしまった。ま、そんなもんサ、ぼくの人生。
 ドラマーのジョニー吉長(2008年10月5日)さんがお亡くなりになった。高校のころ、かつて結婚していた金子マリをフロントにおくバックスバニーのファンキーなライヴ曲をエア・チェックして何度も繰り返し聞いた記憶がある。彼とは90年代アタマごろだったか、一度きっちりお会いした事があった。彼の自伝を書いてみませんかと某出版社の編集者(それ以前、仕事をしたことがない方。なんで、ぼくに声をかけてきたのかな)に言われ、彼と話したのだ。混血であったことで、子供のころはいじめを受けたとも言っていた。当時、いじめ問題が社会問題化していて、編集者はいじめの問題と絡めたものにできたら、と言っていたように記憶する。当然その頃は、現在やはりミュージシャンとして活躍する息子さんたちはもちろんまだ世に出ていなかった。結局、本の話はなくなったが、あのときの物静かな吉永さんは格好良く、誠実だった。

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