南青山・月見ル君想フ。フライング・ダッチマンは昨年「ヒューマン・エラー」という反原発ソングで大きな話題を得た関西のバンド。歌/ギター、ベース、シンセサイザー、ドラムと言う編成。見た目はそれなりに若く、皆20代? がらっぱちな、ときにアーシーな芯あるロックを聞かせる。やはり、心意気が底にある……。「ヒューマン・エラー」はもうやらねえよ、と言って、ステージを降りたが、それは過去のレパートリーにしがみつきたくない、特定の曲だけに注目するなというバンドの意思表示か。それとも、長い曲っぽいので、演奏時間が短い設定だとやらないのか。なんにせよ、もうちょい長く見たかった。

 その後、ヴェテランのシーナ&ザ・ロケッツ。粗雑なブラック・ミュージックの扱いのため音楽的には残念ながらあまり興味を持てないけど、この夫婦はすごいと、素直に思う。還暦すぎているだろうに、スリムな体形を維持し、ツっぱりまくって、自らの信じる道を邁進している様には。

<今日の、思ひ出>
 ロンドンの帰り、シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠夫妻と同じ便になったことがある。テレンス・トレント・ダービーの『シンフォニー・オア・ダム』リリースに際しての取材(そのとき、かなり静的な印象を与えるダービーは彼の周りだけ時間が止まっているようで、ぼくは息を飲んだ。彼はポップ・ミュージック界に大きく失望していて、プロモーションの席なのに、もう引退したい、なぞとも言っていた。2001年秋口に東京で会ったときは吹っ切れていて〜サナンダ・マイトルーヤと改名していた〜快活だった)であったので、93年初夏のことだったはず。そのとき、ぼくはビジネス・クラスの席だったのだが、後から入ってきて横を通るお二人が後ろのブロックに消えていき、大変申し訳ない気持ちになったので、一緒の便だったのをよく覚えている。なんか、その際の颯爽とした様にロックンロールを感じたか。また、そのBA便には、ぼくの近くの席に仏ル・マン24時間レース参戦帰りであるレーシング・ドライヴァーの鈴木利男さんが座っていた。当時、F-1にぼくは熱をあげていた(隔週発売のレース雑誌をときに2誌も買っていたよなー。あと一瞬、その延長でゴーカート運転に熱を入れかけたことがあった)ので、なんかうれしかったっけ。彼はその年のF-1に、終盤2カ所でラルースからスポット出走をした。

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