まず、水道橋・後楽園ホールに行く。84年か85年に英国レゲエ・バンドのスティール・パルスを見に行っていらい、このボクシングとかよくやっている会場に来る。あれ、もっと広い印象を持っていたが、こんなものか。リング+αをステージとし、いちおう四方から客が取り囲む。

 そんな特殊(?)会場で催されるのは<即興対戦型ライヴ>と副題された催しで、いろんな組み合わせで、一期一会的な即興演奏を提供。厳密には、”対戦”というお手合わせはなかったけれど。過去、同様のコンセプトによるコンピレーションCD が出され、2度ほど公演がもたれているようだ。アーティスト同士の自在の丁々発止対話の追求というのはフリー・ジャズの分野では当たり前にあることだが、ジャズの語法/文脈を避け、より同時代的行為というノリを強めたところで、それを求めたいという気持ちが主催者側にはあるのかな。ともあれ、1000人もの客(目測、なり)を集めるのだから、それは成功。ここに来たなかから何%かでも、フリー・ジャズ/ミュージックに入り込む人がいれば素晴らしいと思う。
 
 出演者は4組。千住宗臣(2011年5月22日、他)と服部正嗣(2010年5月13日)、このドラマー二人の演奏は場内が明るいなか、前奏的なものとしてなされる。2番目のDJ KENTARO(2005年11月25日)と古いオープン・リールのレコーダーを操る(それ、メロトロンの分散的構築とも言える?)集団のOpen Real Ensembleのセットはアブストラクトな音を重ね合う。次のいとうせいこう(クチロロのメンバーになったそう)とShing02(最初、プロレス風のマスクをかぶって登場。2010年2月25日、他)の肉声と言葉の使い手どうしの組み合わせ。そこには、下敷き音担当のDJも加わる。そして、最後は坂本龍一(2011年8月7日、他)と大友良英(2011年6月8日、他)。坂本はグランド・ピアノ(ながら、マイクで拾った音がPCに取り込まれ、それで音効果をかけたりも)、大友はギター、ターンテーブル、PC、打楽器/鳴りものなどフル・セット(?)を用意。

 プロジェクトFUKUSHIMA流れの組み合わせと言えなくもない、“世界の音楽家”どうしの邂逅の途中で六本木に移動する。あれ、カーナビを2台(にプラスして、ネズミとり関知の小さなモニターも)設置しているタクシーは初めてだ。

 そして、六本木・ビルボードライブ東京で、現役バリバリのR&B歌手のなかでももっとも油が乗っていると言えるだろう人(2010年1月8日、他)を見るが、やはり何度聞いてもほれぼれ。格好はカジュアル、たまにスキャットをかますこともあるが、完全にジャズ項目を抜いたポップ路線で私を出す。とても高いヒールの靴を履いて歌っていたが、のど自慢にはそんなことも関係ないんだろうな。女性コーラス2人、鍵盤2人、ギター、ベース、ドラムという布陣。コーラスの2人にもリード・ヴォーカルをとらせたが、そういうことをするのには初めてのような。見ながら、サンフランシスコ居住時代の彼女(現在はLA在住なはず)と仲良しで初期来日公演もサポートしたザ・ブラクストン・ブラザーズ(2002年6月12日)はどうしているのかと一瞬考えた。

 終盤、ルイ・アームストロングで知られる「ホワット・ア・ワンダフル・ナイト」を鎮魂歌ぽいノリで、彼女は歌ったりもした。この前のステイシー・ケント(2012年3月12 日)、そしてヘイリー・ロレン(2012 年2月13日)公演でも、このヒューマン・ソングは気持ちを込めて披露されている。来日アーティストは彼女たちなりに、震災に対する何かを、来日して胸にとめているのか。


<今日の、逃避?>
 午前中から、なぜか暢気にテレビっこ。映画チャンネルでたまたまやっていた、「オーケストラ!(Le Concert)」という、ロシア人が沢山出てくる2009年フランス映画を見ちゃう。クラシックの指揮者とオーケストラを題材とする、荒唐無稽なストーリーを持つ作品で、クラシック版「ブルース・ブラザース」と言えなくもないか。メラニー・ロランが奇麗。パリに演奏に行ったオーケストラ団員であるロシア人ユダヤ系演奏家たち(排斥される彼らを守ろうとしたため、主人公の指揮者は30年前に失脚したという筋書き)の振る舞いは、もろに我々が来日ジプシー系音楽家から受けるものと同様だった。

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