シンディ・ローパーは、まるっきりシンディ・ローパーなり。なんか澄んだ心持ちのもと、心意気と真心ありすぎ。そのパフォーマンスからは、音楽の力を信じる尊さが溢れまくり。そりゃ、頭をたれるしかない。

 昨年の3.11当日、地震直後に来日(成田に降りられなくて、横田基地に最初おりたよう。招聘スタッフによる昨年のローパー来日時の日記がパンフレットに載せられていて、それが興味深い)。そのまま、日本にいることを選択し、心の限りの音楽活動を遂行したシンディ姉さん(2011年3月16日)が、ちょうど1年後にまたやってきた。その惨事を風化させまい、もっと人々を力づけなきゃという気持ちを掲げるかのように。日本ツアー開始前に、彼女は宮城県の被災地を訪れたりもしたようだ。

 渋谷・オーチャードホール。東京公演の初日。バンドは昨年と同様といえるもの。近年のローパー表現を支えているキーボード奏者のスティーヴ・ガバリー以外は、南部メンフィス在住のミュージシャンたちで、スティーヴ・ポッツ(ドラム)、アーチー・ターナー(キーボード)、ウィリアム・ウィットマン(ベース)、マイケル・トゥールズ(ギター)という面々。そして、さらに今回は白人ブルース・ハープ(ハーモニカ)の大御所であるチャーリー・マッセルホワイト(!)も同行している。彼はステージから離れる曲も少しあったが、ブルース曲外でも演奏に参加し、ホーン奏者的役割を勤めた。

 演じる曲はローパーのキャリアを教える代表曲と昨年発表のメンフィス録音作『メンフィス・ブルース』からの曲、そして“その他”。ブルース・ハープ奏者が入っているということで、前回以上にブルースっぽい行き方を見せるのかと想像する人がいるかもしれないが、新作収録曲比率は前回よりも低目で従来のローパー曲のほうが多い。それは、普通のシンディ・ファンにはありがたいか。ただ、やはりハイ・サウンド(南部ソウル)系奏者を数多く採用したバンド・サウンドはやはりどこかゴツっとしていて、実直。それこそは、今回も引き続き南部の奏者を起用し続ける彼女が求めるところであっただろう。

 興味深かったのは、“その他”の楽曲。昨年もツアー途中から思いつきで歌ったりもしたようだが、マーヴィン・ゲイの大ヒューマン告発曲「ホワッツ・ゴーイン・オン」をきっちりとアレンジを施したうえで、前半部に披露。じわん。また、中盤では、「忘れないで」という日本語曲をもろに歌う。それ、なんでもリトル・ペギー・マーチという米国RCAが60年代に送り出した10代歌手(1948年生まれ。その「アイ・ウィル・フォロー・ユー」は1963年に全米1位を獲得しているよう)の曲。ぼくはその名前さえ知らなかったが、60年代には度々来日して、その際に日本人作家による日本語曲をいろいろと録音していたらしい。世の中、いろんなことがあるもんですね。そして、大成前に日本食レストランで働いていたとき、ローパーはこの曲に触れていたようだ。という能書きはともかく、彼女はこの曲を日本に対する思いの強さを出さんとするかのようにきっちり覚え、きっちり歌う。ちょい、演歌調? そして、バンドのアレンジというか、その曲で採用したビートはもろに特徴的なハイ・サウンドのそれ(ブッカー・T・ジョーンズ&ザ・MGズ〜2008年11月24日〜で来日しているスティーヴ・ポッツの叩き口、お見事)。ニンマリできました。
 
 アンコール最後は、スティーヴ・ガバリーとチャーリー・マッセルホワイトの二人の伴奏のもと、あまりに著名な彼女の大ヒット“励ましソング”を。会場内には、送り手側と受け手側のいろんな気持ちが交錯しあい、舞っていた。

<今日の心持ち>
 もうすぐ、1年。1年ぶりのローパーの実演に接して、昨年の暗い状況、暗い心持ちを思い出した。ローパーは“パワー・トゥ・ザ・ピープル”というジョン・レノン流れのメッセージもアピール。また、持ち歌を歌っていたさい(何の曲かは忘れた)、オーティス・レディングの「ファファファ」をさらりと歌い込んだりもした。それから。実は、震災後もっともすぐに来日して公演をした英国がらっぱちロッカーのルー・ルイスもまた、ちょうど1年後に日本にやってこようしようとしていた。が、過去の悪行をとがめられ、入国審査でひっかかり入国できなかったのだという。昨年は被災直後で審査があまくなっていたのか。ともあれ、ルイスの侠気も胸にとめておきたいな。

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