シアトルの大人志向の6人組フォーク・ロック・バンド、初来日公演。新木場・スタジオコースト。既発の2枚のアルバムにあった幻想的な手触り(それは、クリエイティヴィティと言う項目とも重なる)/ある種のうれしい捉えどころのなさもあってか、<彼らは何をやるのか。すべてを見逃すまい>みたいな張りつめた構えが聞き手側にはあったような。で、結果的には、アルバムを上回る潤いや奥行きをちゃんと表出していたわけで、大きく頷かされた。

 2作目となる『ヘルプレスネス・ブルース』(サブ・ポップ。全米4位まで、のぼった)の名を冠した世界ツアーの最終公演だそうであり、ドラマーはこれにて脱退とか。そのドラマー、公演が終わると、お客に演奏していたシンバルを手渡していたな。メンバーの半数は楽器を持ち替える。持ち楽器をいろいろ換えるバンドに駄目な連中はいない。またしても、そのテーゼは肯定されましたね。曲によってはウッド・ベースやフルートやサックスなども、巧みに彼らは用いていた。

 豊かな手作り米国ロックという系譜の中にちゃんと位置しつつ、今を生きるバンドである事を伝える機微(それはリズム設定であったり、映像効果であったり)を巧みに散りばめ、得難い訴求力やスケール感やスートリー性を鮮やかに浮き上がらせう。見れて良かった、と思わせる公演だった。

<今日の、電話>
 知人との電話で以下のようなやりとりあり。なんか、ここのところ、眼鏡をかけたまま寝るようになってしまった、と。実は、年末に飲んでいたとき、同様のことを言う者がいたな。で、よせばいいのに、でまかせで、それは寝ているときに災害が来る事を本能で感じているんじゃない?と戯れ言を言ったら、とっても相手は納得していた。んなの、信用すんなよ。くるときは来るし、そんなことを考えてもしょうがないし、面倒くせえ。ぼくはそういうことに無頓着で、楽観的というのとは少し違うが成り行き主義だ。どーにか、なるサ。おこってしまったら、腹をくくれ。でも、動く原発(なのかどうかはしらないが)、原子力空母や原子力潜水艦は現在どれぐらい稼働しているんだろう? 気になる。原子力の事故については、腹をくくれない。

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