エアロスミス

2011年11月30日 音楽
 暗転し、ヴィジョンには映像が映し出され(サイレン&サーチ・ライト、発想がとても子供っぽい)、開始をまっていたら、歌のスティーヴン・タイラーとギターのジョー・ペリーが中央部に突き出たセリ(というのかな? それとも、花道というの?)に出て来る。わ、すぐ目の前だァ。で、その風体は格好いい。じじいになっても、ええ格好しいなロック的外観を維持。この前のジョン・レノンの映画(2011年5月26日)のなかでのアール・スリックを見たときも思ったが、世にはそういうタイプのロック・ミュージシャンがいるんだよなあ。まあ、他のメンバーも劣化は少ないほうか。特に、ベースのトム・ハミルトンはあんまり変わらない。

 以下、気付いたことを、箇条書きにて。

 ▼イーグルズのとき(2011年3月5日。わ、震災前だったのか)と違い、しっかり満席とはいかなかったよう。ともに、東京公演はドーム2日間。▼演奏は、サポートのキーボード奏者(一部、スロウ曲では生きるが、通常曲では目立たず)を入れてはいるが、アルバム・デビュー時のままの顔ぶれで。そして、正直に人力サウンドをかます。ぼくは彼らにそんなに上手ではないバンドというイメージを彼らに持っていたが、きっちり音を出していたな。▼スティーヴン・タイラーとジョー・ペリーはよく動く。タイラーはいつでもマイク・スタンドを片手に移動する。いろいろ、見せ方は考えられていた。▼代表曲を約20曲、2時間越え。タイラーは上着を脱ぐとそれなりに腹回りの肉はあったが、歌声はおとろえていない。実は、それが一番印象的で、感心した。▼「ラスト・チャイルド」とか「ウォーク・ディス・ウェイ」とかのファンキー曲披露は無条件に嬉しい。その「ラスト・チャイルド」のとき、タイラーはスライ・ストーン曲の1フレイズを歌い込み、コール&レスポンスさせた。▼とともに、ジミ・ヘンドリックスのブルース曲「レッド・ハウス」をやったり(この曲のみ、ジョー・ペリーが歌う)、何曲かタイラーがブルース・ハープを吹いてアーシー感を出したりとか、随所に我々はブラック・ミュージック・オリエンテッドな白人ロック・バンドなんですよという意思表示を前に出していた。それに比して、ハード・ロック的な部分は皆無。←それが、一部の人には年取ったという印象を与えるそう。だが、それがないので、ぼくはパフォーマンスに没入できた。▼タイラーやペリーだけでなく、他の3人にもちゃんとスポットを当てる場面があり。おお、とても民主的なバンドね。でもって、水面下ではどうか知らないが、表面上はとっても仲の良いバンドというのをアピール。プロだな。▼ヴィジョンは仕込みイメージ映像と、ステージ撮影映像を一緒に流す。照明ともども凝ったものではない。▼でも、それでOK。というのも、ロックは馬鹿者の音楽というのを還暦を過ぎてもまっすぐに届けるというのが、現在の彼らの意義であり、それには過剰にテクノロジーや頭を使ったものでないほうが伝わりやすい。

 ロック旧世代の朽ちぬ美意識と根性を存分に堪能しました。


<今日の、トホホ>
 水道橋に行くために乗った地下鉄が少し前(新しくない)の車両。だから、通常車両だったら出入り口の上にある情報ディスプレイがない。そしたら、ついた駅がどこか判りづらく、困惑。そんなことまで、文明の利器にたよっているのかと、余計にコンワク。そういえば、この前、東西線に乗ったら、出入り口のドア部分が通常車両とりも広いものがしつらえられていて驚くとともに、少しワクワク。ついでに書くが、有楽町線の車両は少しモダンと思わせる内装を持っているよな。


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