完全に夏の日差しがバルコニーに注いでいる(眩しいっ)が、一方ではとても風が強く、気持ちよく仕事部屋を風が吹き抜けて行く。なんか快適、鳥の鳴き声も聞こえてきたりして、一瞬ここは何処てな感じで、リゾート気分になる。気持ち良い。

 日暮れ以降は、例によって“飲みの時間”。まずは、丸の内・コットンクラブに行って、元サンディー&ザ・サンセッツのサンディーのライヴを見る。近年はハワイ育ちという属性を活かしハワイアン音楽とのつながりを前に出した方向に出るとともに、フラ・ダンスの教室を持ち成功しているのはなんとなく知っていたが、MCで「(フラのほうの印象が強くて)私が歌っていたことを知らない人も少なくない」というようなことを本人も言っていた。会場内は女性客が多し。肩がでた薄手のマタニティ・ドレス(本当はちゃんと呼び名があるんだろうけど)みたいな格好をしている人の比率が高い。彼女のフラ・スタジオの生徒なのだろう。ステージの向かって右側は楽器などを置かずスペースが作られていたが、3、4曲では計4人のダンサーが出てきて、音楽に合わせて踊ったりもした。

 と、書くと、かなりハワイアンなノリのパフォーマンスだったみたいだが、伴奏を担ったのはチャクラやキリング・タイムをやっていたピアニストの清水一登(2010年3月20日)ということもあり、好奇心広がる開かれたポップ表現になっていたのではないか。非ハワイアン曲も歌ったろうし。サンディーと清水はずっと一緒にやっているようだ。それから、菅木真智子がコーラスをつけるが確かなハモりを提供し、なかなかの実力者と見た。サンディーのステージは初めて見るが、MCや振る舞いに触れると、びっくりするぐらい無邪気な人という印象を持つ。

 後半は、コンテンポラリー・ハワイアン・ミュージックのハパにいたこともあるようなネイサン・アウェアウが出てきて、ソロでやったり、サンディーたちとかさなったり。ギターやベースを達者に弾きばがら、伸びやかで透明度の高い歌を披露。それに接し、彼はハワイに生まれていなくても、音楽でそこそこ名をなすに値する才を持つ人なんだろうなと感じる。彼は子供の事から親しんだ歌と言って、昔の日本の健やかな曲を日本語で歌った。ハワイと日本の交流関係の積み重ねに思いをはせかけたが、ハワイに行ったことがないぼくには、それは無理ってもん。ちょうど今、子供に学校を休ませてハワイに家族旅行に行っている知人がいるなー。

 その後は、南青山・ブルーノート東京で、渡辺貞夫のショウを見る。アーロン・ゴールドバーグ(ピアノ)、マット・ペンマン(ベース。2010年9月5日、他)、ジョー・ダイソン(ドラム。ニューオーリンズ出身で、まだ21歳とか)、在NYの生きのいい奏者をともなってのもの。彼は6月中旬にNYで新作のレコーディングをしてきている(それは前作の録音メンバーと同じ、ようは2009年9月3日のライヴの顔触れと同じ)が、それとはまったく異なる奏者を呼んでのパフォーマンス。3.11後の寒い日々のなか書いた「ウォーム・デイズ・アヘッド」と紹介したバラードをはじめ、新作に入る曲もやった。やはり震災後に書いたと言ってやった曲(「ホワット・アイ・シュッド」というタイトルだったか。よくおぼえていない)はかなりグーヴィな曲だった。


<今日の、????>
 サンディーの初ソロ・アルバム『Eating Pleasure』(アルファ、80年)は細野晴臣(2010年11月21日、他)のプロデュースで、バッキングはYMO+久保田麻琴(2010年12月4日、他)。それ、今聞くと、その後のザ・サンセッツ作のプロト・タイプ? 4曲は細野曲で、他は久保田曲や高橋幸宏(2009年10月31日)曲やロニー・バロン曲やモータウン曲などを取り上げている。で、なぜか家のレコード棚には『Eating Pleasure』が2枚あるんだが、ジャケット・カヴァーが違う! 1枚は通常良く知られているピンク色の背景色のもの(サンディはヒョウ柄の水着かレオタード)で、もう一枚は背景色がグレイでサンディはキャベツ柄の布をおっぱいに当てている。後者のジャケ盤はどういう経緯を持つのだろうか。だれか、知っている人いないかなー。近藤さ〜ん、おせーて。

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