代官山・晴れたら空に豆まいて。同じビルの上階に、“山羊に、聞く?”という同系列のカフェができ(ちょい覗いたら、けっこう広い)、そちらではワークショップやアコースティックなライヴをやったりするようだ。歌声がデカそうな歌い手が3人揃う出し物で、多和田、Leyona、佐藤の順で登場。

 多和田(2008年11月25日)はキーボードと生ギター奏者を従えて、まっすぐに、いまだ初々しく歌う。なかには、サウダージなフォーキー調曲も披露。ながら、ソウル愛好を下敷きにする、凛とした歌声は無理なく映える。いい歌い手だなと、思った。MCは素朴にして、心がこもる。伴奏陣は上手に寄り添っていたが、彼らは普段から一緒にやっている人たちなんだろうか。

 Leyona(2000年1月25日)はギターを手に登場し、ソロでパフォーマンス。へえ、ギター弾き語りをする人でもあるのか。まあ、ギターのほうの腕前はキツいときもあった。ハッピーエンドの「風をあつめて」も歌った(彼女のヴァージョンがTV-CFに使われたことがあったっけ?)が、<極上にいい曲&きっちり訴求する歌唱>と<不足なギター演奏>の重なりは大げさに書けば、天国と地獄を行き来するという感じ。それを聞いていての聴感は、それまで感じたことのないものだったかも。ある意味、すごい。MCで何度か、私はバンド人間とか、私はバンドで歌うのが大好きとか、表明したりもする彼女でした。歌やギターのちょっとした感じは、やはりG・ラヴ(2011年2月11日、他)つながりを感じさせる場合も。かつてはレゲエ・バンドにいたこともあったそうで、ボブ・マーリー曲も歌った。

 そして、シアターブルック(2003年6月22日、他)のフロント・マンの佐藤も一人でステージにあがる。サンパウロ(2010年5月23日、他)や沼澤尚(2010年1月12日、他)がらみのセッション(2005年2月15日、他)、近くではマイア・バルー(2010年2月25日)のサポートなど、彼のことはいろいろ見ているが、ソロ・パフォーマンスに接するのは初めて。3年前ぐらいにラフな一人録音リーダー作を出したことがあったが、そのモノクロのジャケット写真と同様にキック・ドラムを前に置き、サンプラーも用いつつ、椅子に座ってギターを弾きなが歌う。まあ、ボブ・ログⅢ(1999年10月17日)とかアッシュ・グランワルド(2008年5月26日)と似た様式と言えなくもないが、やっぱすっこーんと抜けた自分/味をもっているので、他の例なんかはどうでもいいという気持ちにもなるな。

 シアターブルック曲で始まって終わり、途中はいろんなMC(桑原茂一主導の、スネークマン・ショウの再現も少しやった。好きだったみたいだ。ああ、アルファ・レコード……)も含め、臨機応変に。ながら、その背骨を貫いていたのは、反原発姿勢のロッカーとしての表出であったか。MCによれば、ユーチューブの反原発替え歌で話題を呼んだ斉藤和義ともかなり仲がいいようだ。彼はニール・ヤングの「ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド」を日本語歌詞で歌い、そこでも率直な懸念を表出したりも。「オレ、(音楽活動で)電気使ってばかりいる」という、しょげた発言は少しチャーミング。ともあれ、そこには自分の声とメロディと気持ちと流儀を持つ、ぶっとい音楽家がいた。

 その後、アンコールには先に出た多和田とLeyonaとともに登場。3人でしっとりと、シャーデーの「キス・オブ・ライフ」をやった。

<今日のご意見番>
 佐藤タイジはビン・ラディン殺害に対する疑問も発言。悪人であっても裁判は開かれてしかるべきではないのか、と。その件については、マルーン5公演のときに知り合いと同様の話をした。結構、英国のミュージシャンからは疑問の声がツイッター等であがっているという。佐藤は“インディ発電”というアイデアを披露したりも。また、下ネタと放射能ネタが絡んだ曲がいっぱいできちゃう、そうな。
 終演後に知人と話していたら、つかつかと寄ってきたのは、同業先輩の高橋健太郎さん。あれれ。自らスタジオを持ち、エンジニアリングやプロデューシングもしている彼だが(ミュージシャン業も少し)、この日のライヴを配信前提で録っていたそう。いろんなことをできるのはいいナ。そして、原発事故通である彼としばしその話をかわす。関係者の間では、健太郎さんがいるかぎり東京は大丈夫という話があったりするよなー。

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